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「即位の礼」・渡辺治談話の改ざんにみるメディアの悪弊

2019年10月24日 | 天皇制とメディア
〔K・サトルのブログ「アリの一言」〕

     

 23日付の各紙は前日の「即位の礼」で持ち切りでしたが、その中に目を疑う記事がありました。地方紙が掲載した共同通信配信の渡辺治一橋大名誉教授の談話です。全文転記します。

 「天皇陛下が一段高いところから即位を宣言する儀式の在り方は、憲法で規定する国民主権という理念から、大きく反している。儀式を行うなら、首相が陛下の位への就任を宣言して、それを受けて陛下が国民の象徴となることを誓う形にするべきだ。平成の代替わりから30年以上たっているのに、見直しが行われなかった。今回は準備期間があったのだから、国会で憲法に沿った即位の在り方を考える超党派の委員会をつくるなどして、国民的な議論をするべきだった」

 全体の趣旨は、「即位の礼」が憲法の理念に反していることを鋭く指摘したもので、権力におもねる「談話」が多い中できわめて貴重な渡辺さんらしい談話です。が、驚いたのは、「天皇陛下」「陛下」です。渡辺さんがこんな言葉を使うはずがありません。
 畏友でもある渡辺さんに直接確かめました。渡辺さんは談話をまだ見ていなかったそうですが、「当然、『陛下』などと言うはずがない」と憤慨し、こう話しました。

 「そもそも談話の趣旨が、即位の儀式全体が国民を主権者とした憲法に反している、というものなのだから、そう言う自分が、天皇の臣としてへりくだる『陛下』などという言葉を使うこと自体があり得ない矛盾だ」

 渡辺さんは共同通信に抗議したそうです。渡辺さんは、「これは、担当記者の“常識”に基づく、“自然な”判断によるものと見られる」としてうえで、こう述べています。

 「以前も(メディアの取材で)天皇という記述を『陛下』に変えてよいかと問われたことがあるから、どの新聞社でもそれ(「天皇」を「陛下」に変える)が“常識”化しているのだろう。その時の記事では、自分以外はみな『陛下』と呼んでいてびっくりした覚えがある。
 こうしたことが、記者たちの当然の“常識”となっていること自体が、おそらく、この30年の変化であって、かえって恐ろしい」

 メディアは天皇・皇室に敬語(絶対敬語)を使うべきではない、と22日のブログに書いたばかりですが、その弊害が予想もしない形で現実化してしまいました。この問題は、渡辺さんが言う通り、一記者の問題ではありません。新聞・メディア全体の問題です。

 いやメディアだけではありません。市民の中にも「天皇陛下」「陛下」という言葉を使っている人は少なくありません。それが自らを天皇の臣下とし、支配・被支配の関係を是認し、戦前の天皇主権に通じる上下関係を表す言葉であることを、どれだけの人が自覚して使っているでしょうか。

 なにげなく使っている言葉、とくに天皇(制)にかかわる言葉にはきわめて重大な政治的・社会的意味が含まれているものが少なくありません。支配・被支配、差別を是認する天皇・皇室に対する敬語は、メディアも市民も使うべきではありません。


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