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LNJ Logo 太田昌国のコラム : ある編集者の死
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 ●第32回 2019年6月12日(毎月10日)

 ある編集者の死

 私事のようだが普遍性があると思われるので、書いておきたい。今年4月、大事な友人を突然失った。太田出版の元社長・高瀬幸途氏である。知り合う前は傍から見ていて、不思議な出版社だった。ビートたけしらのタレント本がある。若者文化の本も多い。他方、哲学・思想書にも意欲的だ。人びとの意識の中で〈高尚な〉思想・文学と〈サブカルチュア〉とを厳密に区別する方法が消えつつあった20世紀末の時代状況を巧みに捉えているという意味で、躍動的で柔軟な感性が感じられる出版社だった。私はそのようなセンスを欠いているので、その仕事ぶりが「気になる」出版社の一つであった。高瀬氏とは互いに知らぬ仲ではなかったが、付き合いはさほど深くはなかった。

 氏からの突然の電話を職場にもらったのは、2002年の末も押し詰まった頃だったか。会いたいというので会ってみると、彼の言い分はこうだった。9月17日の日朝首脳会談以降、「拉致問題」一色に覆われた日本社会にあって、私・太田のような言動をしている人物はほとんどいない。これは貴重な意見だと思うので、現在まで書き続けているような時評に加えて、問題総体に迫るような書下ろしをまとめ、1書を作りませんか。

 事実わたしは、「9・17」会談のニュース報道をその日の夜に見聞きしながら、「排外主義的ナショナリズム」が吹きつのる恐ろしい時代が来ると予感し、これにどう向き合うべきかを考え始めていた。というのも、1987年の大韓航空機爆破事件で実行者・金賢姫の自白があって以降、私は、主として右翼雑誌で主張されてきた「北朝鮮による日本人拉致」は事実だろうと考えて、この事実が広く社会的に明かされた時の衝撃を予感していた。自称「社会主義国」で、かつ同国に対してかつて日本が行なった植民地支配の〈後ろめたさ〉が消えていないだけに、北朝鮮に対する感情は、複雑な起伏を示しながら暴発するだろうと考えたのだ。情勢に向き合いながら書き綴っていた文章はインターネット上のブログに掲載していた。それを読んでの、高瀬氏の申し出だった。半年余りのち、その企画は『「拉致」異論』という形で実現した(太田出版、2003年/写真右)。「拉致」一色の雰囲気の中でそれに「異論」を唱える本への嫌がらせは、当然にも予想された。新聞広告を出すと、版元には嫌がらせの電話もあったというが、「読んでもいない人間が文句を言ってきても、何のことでもありません」と、氏は泰然自若としていた。

 以来、高瀬氏は、私が物事を考え、発言し続けるうえで、不可欠の存在となった。数ヵ月に一度くらいの頻度で会っては、その時々の思想・言論・社会・政治状況をめぐる討議を行なった。その過程を通して出来上がった本も何冊もある。ゆるぎない高い思想と理念の持ち主でありながら、発想が高見から繰り出されることはなかった。視線はいつも、私たちの日常を支配する些事から問題を見つけだす低き場所にあった。その具体性から始まる思想や運動でない限り、信じるに値しないと考えているかのようだった。あまりに純粋な理想主義が敗北してゆく過程を、もっとも痛切に感じ取ったがゆえの〈選択〉だったのかもしれぬ。

 「拉致」問題を大きな契機にして、この社会には、非寛容な排外主義が深く浸透した。私が危惧した通りだった。この社会的な雰囲気を背景に、4年後の2006年に自民党総裁に上り詰めたのは、極右政治家=安倍晋三だった。日本では、欧州諸国での「極右政党の誕生」や「議会への進出」はメディアでも話題になるが、他ならぬこの国にあるのは「極右の首相」だという表現も認識もない。この過程を批判的に分析し、指摘し、どこに克服の道があるかを考える上で、高瀬氏はまぎれもなく私の「同志」であった。氏と約束しつつもいまだ果たし得ていない仕事を思い、突然に断ち切られてしまった〈協働作業〉を思う。

 氏が2003年に生み出してくれた『「拉致」異論』は、本来ならばその時評的な立場からして短い期間にその使命を終えるはずだった。だが、社会全体に浸透した排外主義こそは、現在の極右政権を支える基盤であり、政権はこの支持基盤を徹底的に利用して、自らの延命を図ってきたから、拉致問題は、首相の決意表明とは裏腹に、常に後景に退いてきた。そのために昨秋みたび刊行された『増補決定版「拉致」異論』(現代書館、2018年)を前に、私は高瀬氏と交わしたいくつもの大事な会話を思い出しながら、この先を歩もうと思う。

*冒頭の表紙=現代書館「増補決定版」


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