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LNJ Logo 太田昌国のコラム「サザンクロス」 : 「明治150年」史観と民族・植民地問題
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 ●第20回 2018年5月25日(毎月10日・25日)

 「明治150年」史観と民族・植民地問題


*1912年に北海道で撮ったアイヌ民族

 私事から始めて恐縮だが、私は北海道・釧路に生まれ、育った。「明治維新」の翌年=1869年に近代日本国家に強制的に編入された旧蝦夷地=北海道に、どこかの段階で「移住」した和人の末裔だ。18歳まで暮らした釧路では、山野での先人文化発掘に熱中する考古学少年だったが、先住民族アイヌと移住者(侵入者)和人の歴史的な関係には無知だった。1950年代から60年代初頭にかけてのころの話である。

 それから10年と経たない60年代半ばから後半にかけて、世界状況は激変した。米軍の北ベトナム爆撃を契機に、それに対して南北ベトナム民衆と軍による抗米戦争が始まった。米国では、ベトナム戦争に抗議し、同時に人種差別撤廃の要求も掲げて、黒人と先住民族(インディアン)の抗議デモ・集会・都市暴動・占拠闘争が始まった。世界のどこを見ても、それまで重視されてきた一国内の階級闘争だけではなく、民族・植民地問題に根差した諸課題をこんなにも抱えているという現実が明らかになった。

 アイヌと和人の関係を平板にしか捉えていなかった、少年期の牧歌的な歴史観が覆された。1869年の蝦夷地併合とは、近代日本が初めて行なった植民地支配だったのではないか、との考えが芽生えた。それは私個人の思いではなく、ある程度の集団性・共同性をもっていたと思われるので、それを敢えて「時代精神」と呼ぶなら、その時代精神は詩人・新谷行の『アイヌ民族抵抗史』(三一書房、1972年)によって鮮やかに表現された。また、蝦夷地併合から10年後の1879年に行なわれた「琉球処分」を合わせて考えれば、維新国家は、台湾・樺太・朝鮮・満洲へと支配の手を伸ばす以前に、もっとも近い北と南の島々を全的支配の下に置いたという史実が見えてくるのだった。

 今年、中央政府および関係する地方自治体は「明治150年」の記念行事に勤しんでいる。それは、もちろん、維新後150年を刻んだ近・現代日本国家の足跡を肯定的に描く意図に貫かれている。幕末・維新の「志士」たちがさまざまに論じられるなかにあって、吉田松陰の『幽囚録』(1854年=安政元年)の一節に注目する論者が少なくないことは大事なことだ。松陰はそこで、軍備を整えた日本国家が対外的に拡大すべき方向として「蝦夷、カムチャッカ、オホーツク、琉球、朝鮮、満洲、台湾、ルソン」の諸地域を、この順序で挙げている。近代日本は、まさしくこの順序で、近隣諸地域に対する植民地支配と侵略戦争を実践していった道筋が見えてこよう。

 北海道の話題に戻るが、私の関心の在りかを知る同地の友人が、アイヌ関連の新聞記事や地域出版が刊行した関連書籍をときどき送ってくれる。それらを眺めていると、この半世紀の歳月をかけて着実に実現しつつある「変化」が実感できる。「北海道命名150年」を記念する官製行事には、歴史認識上の大きな問題も孕まれていることは事実ではある。だが、ほぼ連日のように、アイヌ関連の記事が新聞には載っている。先住民族としての権利・人権、世界各地の先住民族との交流、伝統文化の伝承、アイヌ語の復権、漫画「ゴールデンカムイ」のアニメ化――テーマは多岐に渉るが、なかには、札幌駅ではアイヌ民族の伝統料理を再現した駅弁が発売されるとか、平取町ではアイヌ語と日本語で車内放送を行なうバスが運行し始めたなどのニュースもある。人びとの日常生活に関わる場所で、微かな、だが着実な変化が起こっていることがわかる。デマと差別の扇動がまかり通るネット時代であるとはいえ、日常における変化は、これに抗する力も育ててくれよう。

 この連載で触れているように、世界と日本の政治・社会の現実には我慢のならないことも多いが、何かをきっかけに起こり始める「変化」「変革」があることへの確信は失いたくない。


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