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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『時間かせぎの資本主義―いつまで危機を先送りにできるのか』
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第1〜第4木曜掲載・第11回(2017/6/22)

切り捨てられる底辺層の絶望

●『時間かせぎの資本主義――いつまで危機を先送りにできるのか』(ウォルフガング・シュトレーク著、鈴木直訳、みすず書房、2016)/評者=菊池恵介

 昨年のイギリス国民投票とアメリカ大統領選以来、「ポピュリズム(大衆迎合主義)」という言葉がメディアで氾濫するようになった。産業の空洞化が著しいイングランド北部やウェールズ南部の労働者階級、あるいは、アメリカ中西部の「ラストベルト(錆付いた工業地帯)」の白人労働者こそ、排外主義台頭の元凶だという言説である。だが果たしてこのような認識は妥当だろうか。筆者の知見によれば、問題の本質は別のところにある。近年の欧米諸国における排外主義の台頭は、雇用不安に喘ぐ白人労働者が大挙して極右に投票したことによるのではない。むしろ、階層格差の拡大に伴って投票率が低下し、既成政党が求心力を失ったことに原因があると考えられるのである。

 たとえば、昨年のアメリカ大統領選でのトランプの総得票数(5970万票)は、2012年にオバマ(6590万票)に敗れた共和党のロムニーの総得票数(6090万票)よりも120万票少ない。それにもかかわらず、トランプが当選したのは、民主党のクリントンの総得票数(5990万票)が大きく瓦解したからである。リーマンショック後、「変革」を唱えて当選しながら、ウォール・ストリート主導の政治を変えられなかったオバマ政権への落胆が、その背景にあることはいうまでもあるまい。

 だがそれにしても民主党の支持率がこれほど瓦解してしまったのは、なぜだろうか。この問いに対する一つの手がかりを与えてくれるのが、ウォルフガング・シュトレークの『時間かせぎの資本主義』である。本書は、1970年代以降の資本主義の歴史的展開をたどる理論書である。2012年にドイツで刊行されて以来、ヨーロッパで大きな反響を呼び起こしてきた。副題に「いつまで危機を先送りにできるのか」とあるように、現代の資本主義は以下の三つの方法により、「危機の先送り」を図ってきたというのが、その中心テーゼだ。第一に1970年代のインフレ政策。第二に公的債務による財政赤字の補填(1980')。第三に民間債務の拡大による需要の創出である(1990'〜)。2007年のサブプライム危機は、その一つの到達点といえるだろう。以下では、本書の中心をなす第二章「新自由主義改革――租税国家から債務国家へ」のポイントを簡単に要約した上で、現代の「ポピュリズム」論の妥当性について考えてみよう。

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 リーマンショック後のヨーロッパでは、国家の財政危機を背景に、厳しい緊縮政策が実施されてきた。「EU諸国は長年巨額の財政赤字を垂れ流してきたが、累積債務の膨張により、利払いが増大し、財政状況を圧迫している。したがって、いまこそ財政再建を図るべきだ」というわけだ。しかし、ドイツの社会学者であるウォルフガング・シュトレークによれば、欧州諸国の累積債務の膨張は、政府の放漫財政によるものではなく、以下の二つの要因によって引き起こされたものだ。

 一つは、サブプライム危機と世界同時不況のインパクトである。アメリカの住宅バブル崩壊後、各国は巨額の公的資金を投入して金融機関を救済すると同時に、さまざまな景気刺激策を打ち出した。その結果、財政赤字が一挙に上昇し、債務残高の爆発となって納税者に跳ね返ってきたのである。実際、リーマンショックの前年にあたる2007年のEU諸国の財政収支は、ユーロ圏全体で平均マイナス0.6%(GDP比)と、ほぼ均衡していたが、2010年には平均マイナス6.3%と、大幅な赤字に転じているのである。

 もう一つの要因は、欧州の市場統合にともなう減税競争の展開である。1986年に「単一欧州議定書」が成立し、資本移動に対する規制が撤廃されると、大企業は生産ラインを賃金や税金の低い国へと移転し始めた。その結果、失業率が上昇すると、各国は非正規雇用を解禁する一方、法人税や金融資産税などを引き下げることで、資本の誘致に勤しむようになった。いわゆる「底辺への競争」の始まりである。

 こうして1980年代以降、欧州諸国は税収が低迷し、慢性的な財政赤字に直面するようになった。そこで各国は国債の発行により、その穴埋めを行ったため、債務残高の膨張が始まったのである。ここに欧州債務危機の起源がある。1980年代以降、欧州諸国の財政赤字が拡大したのは、政府の放漫財政により、歳出が増大したからではない。むしろ減税競争を背景に歳入が減り始めたことに主要な原因があると考えられるのである。

 だが、こうして歳出のますます大きな部分を国債の発行に依存した結果、欧州諸国はしだいに財政主権を失っていった。累進税率の引き上げなど、仮に「市場」に反するような政策をとれば、国債の格付けを引き下げられ、金利が高騰する。そうなれば、政府は資金繰りに行き詰まり、財政破綻に追い込まれかねないからだ。そこで政治指導者たちは、選挙の時こそ「変革」をアピールするものの、当選後の政権運営の場面では「市場」を配慮し、従来の新自由主義路線を踏襲するようになったのである。「租税国家」から「債務国家」に転落し、「国家の民(=有権者)」よりも「市場の民(=債権者)」を重視せざるをえない現代国家のジレンマである。

 ここに既成政党の凋落の原因を見ることができる。近年のヨーロッパでは、新自由主義の浸透と並行して投票率の低下が進んできたが、これを階層別・年齢別に分析すると、ブルーカラー層や若年層ほど著しく低下していることがわかる。つまり、非正規雇用や失業が集中する人々ほど、政治への期待を失い、投票に行かなくなっているのだ。いかなる政党に投票したところで、「ほかに選択肢はない」として底辺層が切り捨てられるのであれば、政党政治に絶望し、棄権する人びとが増えたとしても不思議ではあるまい。

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 以上の分析を踏まえると、現在メディアで氾濫するポピュリズム論がいかに的外れであるかが見えてくるだろう。最も投票率が低い大衆層を「ポピュリズム(=大衆迎合主義)」の元凶とすることはナンセンスだからである。シュトレークをはじめ、多くの研究者が指摘しているように、現代の大衆層の投票行動を特徴づけているのは、極右への投票よりも、投票率の著しい低さである。したがって、仮に「ラストベルト」でトランプに投票した労働者の割合が増えたとしても、ブルーカラー層の大半が棄権している以上、彼らを「ポピュリズム」台頭の主犯と考えることはできない。むしろ、問われるべきなのは、過去30年にわたって新自由主義を推進し、階層格差の拡大を招いてきた政治指導者の責任である。

 1980年代以来、欧米の保守勢力は福祉国家の解体を目指してきたが、労働組合の抵抗などにより、その目論見はなかなか実現しなかった。そこで考案されたのが「野獣を飢えさせる(Starving the beast)」という戦術である。すなわち、減税政策で国家を兵糧攻めにし、債務残高を膨張させた上で、次に財政再建の名において緊縮政策を正当化するという方法である。こうして2010年以降、「財政再建国家」に転じた欧州諸国は、緊縮の「鉄の檻」に繋がれたのである。だが近年の「反既成政治」の世界的なうねりを受けて、資本主義は新たな危機に直面しているといえる。かつてグラムシは第一次大戦後の世界を「怪物たちの時代」と呼んだが、もしも金融界のヘゲモニーのもとで緊縮政策が続き、民主主義がどこまでも形骸化すれば、欧州連合は解体し、ふたたび排外主義に飲まれていくだろう。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日(第1〜第4)に掲載します。筆者は、大西赤人・渡辺照子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美です。


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