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LNJ Logo 松本昌次のいま、読みつぎたいもの(8) : ブレヒト『ガリレイの生涯』
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第8回 2016年5月1日 松本昌次(編集者)

ブレヒト『ガリレイの生涯』

 ブレヒトの『ガリレイの生涯』が日本で初めて上演されたのは、今から58年前の1958年4月、千田是也訳・演出(下村正夫共同演出)の若手劇団が結集した青年劇場の舞台でした。これが、戦後のブレヒト受容の大きなきっかけになったと言われていますが、わたしもまた、強い衝撃を受けたことを今に忘れることができません。極端にいえば、ドラマについてのみならず、芸術・人生全般についての物の見方について、新しい光を与えられたといってもいいかも知れません。

 それはともかく、この作品は、ナチス・ドイツから亡命したブレヒトが、1939年、デンマークで完成したものです。人口に膾炙したエピソードですが、ガリレイは、宗教裁判の拷問に屈して、地動説をとり下げます。しかしひそかに、「それでも地球は動く」とつぶやいたといわれています。『ガリレイの生涯』でのこの場面は、まさにブレヒトらしく有名です。天動説に転向したガリレイが教会から憔悴して出てくると、師と仰いでいた弟子のアンドレアが絶望の余り叫びます。「英雄のいない国は不幸だ!」と。そしてあらゆる罵倒の言葉を投げかけます。すると、ガリレイは静かに答えます。「違うぞ、英雄を必要とする国が不幸なんだ。」と。

 これもまたともかく、問題はこの先にあります。1944年から5年にかけて、ブレヒトは、最終亡命先であるアメリカで、名優チャールズ・ロートンと『ガリレイの生涯』の英語版の草稿を共同で作成していたのです。ところが8月6日、日本の広島に、アメリカが原爆を投下したとの報を聞いたブレヒトは、急遽、作品の大幅な書き直しをはじめたのです。なぜでしょうか。それまでは、どちらかと言えば、裁判に屈しながらも、ひそかに近代的科学の方法を確立したといわれる『新科学対話』を完成させた、ガリレイの抵抗の姿勢にウェイトがかかっていたのです。しかし、それでいいのか。ブレヒトは、上演にあたって、ガリレイを肯定しそうな場面をカットしたりして、アンドレアとの最後の対話のなかに、科学のあるべき姿、科学者の責任について書き加えたのです。そのほんの一部分を、ここまでも引用させて頂いた岩淵達治さんの訳で重ねて引かせていただきます。

  「君たちは何のために研究するんだ? 私は科学の唯一の目的は、人間の生存条件の辛さを軽くすることにあると思うんだ。もし科学者が我欲の強い権力者に脅迫されて臆病になり、知識のための知識を積み重ねることだけで満足するようになったら、科学は片輪にされ、君たちの作る新しい機械もただ新たな苦しみを生み出すことにしかならないかもしれない。」「私は、自分の知識を権力者に引き渡して、彼らがそれを全く自分の都合で使ったり使わなかったり、悪用したりできるようにしてしまった。」「私は自分の職業を裏切ったのだ。私のしたようなことをしでかす人間は、科学者の席を汚すことはできないのだ。」

 さて、このガリレイの自らを断罪するセリフは、科学や科学者にのみ限ることでしょうか。宗教裁判の時代にさかのぼる過去の出来事でしょうか。いやいままさに、この日本で、あらゆる分野で、日常茶飯に進行していることではないでしょうか。かつての戦争中、ほとんどの知識人----科学者・文学者・教師・ジャーナリストたちなどの権力への屈服・転向が、敗戦という無残な結末を招いたことをまるで忘れ果てたかのように。つい5年前の福島原発の大事故が、未来にわたる「人間の生存条件」にとってどんなに危険であるかを無視したかのように。ブレヒトから学ぶことは限りがないと、わたしは深く思っています。ブレヒト自身は、『ガリレイの生涯』の英語版の上演を見ることなく、アカ狩りのマッカーシー旋風を逃れてアメリカを去りました。また、帰国した東ドイツ(当時)で結成したベルリーナ・アンサンブルの上演もまた、稽古中の早すぎる死によって見ることはかないませんでした。1956年8月14日、ブレヒト死去。享年58。

 *『ガリレイの生涯』=岩淵達治全訳『ブレヒト戯曲全集』(全8巻・未来社)の第4巻収録。/岩淵達治訳『ガリレイの生涯』(岩波文庫)


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