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松本昌次のいま、読みつぎたいもの(8) : ブレヒト『ガリレイの生涯』 | ||||||
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ブレヒト『ガリレイの生涯』それはともかく、この作品は、ナチス・ドイツから亡命したブレヒトが、1939年、デンマークで完成したものです。人口に膾炙したエピソードですが、ガリレイは、宗教裁判の拷問に屈して、地動説をとり下げます。しかしひそかに、「それでも地球は動く」とつぶやいたといわれています。『ガリレイの生涯』でのこの場面は、まさにブレヒトらしく有名です。天動説に転向したガリレイが教会から憔悴して出てくると、師と仰いでいた弟子のアンドレアが絶望の余り叫びます。「英雄のいない国は不幸だ!」と。そしてあらゆる罵倒の言葉を投げかけます。すると、ガリレイは静かに答えます。「違うぞ、英雄を必要とする国が不幸なんだ。」と。 これもまたともかく、問題はこの先にあります。1944年から5年にかけて、ブレヒトは、最終亡命先であるアメリカで、名優チャールズ・ロートンと『ガリレイの生涯』の英語版の草稿を共同で作成していたのです。ところが8月6日、日本の広島に、アメリカが原爆を投下したとの報を聞いたブレヒトは、急遽、作品の大幅な書き直しをはじめたのです。なぜでしょうか。それまでは、どちらかと言えば、裁判に屈しながらも、ひそかに近代的科学の方法を確立したといわれる『新科学対話』を完成させた、ガリレイの抵抗の姿勢にウェイトがかかっていたのです。しかし、それでいいのか。ブレヒトは、上演にあたって、ガリレイを肯定しそうな場面をカットしたりして、アンドレアとの最後の対話のなかに、科学のあるべき姿、科学者の責任について書き加えたのです。そのほんの一部分を、ここまでも引用させて頂いた岩淵達治さんの訳で重ねて引かせていただきます。
さて、このガリレイの自らを断罪するセリフは、科学や科学者にのみ限ることでしょうか。宗教裁判の時代にさかのぼる過去の出来事でしょうか。いやいままさに、この日本で、あらゆる分野で、日常茶飯に進行していることではないでしょうか。かつての戦争中、ほとんどの知識人----科学者・文学者・教師・ジャーナリストたちなどの権力への屈服・転向が、敗戦という無残な結末を招いたことをまるで忘れ果てたかのように。つい5年前の福島原発の大事故が、未来にわたる「人間の生存条件」にとってどんなに危険であるかを無視したかのように。ブレヒトから学ぶことは限りがないと、わたしは深く思っています。ブレヒト自身は、『ガリレイの生涯』の英語版の上演を見ることなく、アカ狩りのマッカーシー旋風を逃れてアメリカを去りました。また、帰国した東ドイツ(当時)で結成したベルリーナ・アンサンブルの上演もまた、稽古中の早すぎる死によって見ることはかないませんでした。1956年8月14日、ブレヒト死去。享年58。 *『ガリレイの生涯』=岩淵達治全訳『ブレヒト戯曲全集』(全8巻・未来社)の第4巻収録。/岩淵達治訳『ガリレイの生涯』(岩波文庫) Created by staff01. Last modified on 2016-05-01 14:21:05 Copyright: Default |