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松本昌次のいま、読みつぎたいもの第6回〜上野英信「私の原爆症」 | ||||||
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上野英信「私の原爆症」「私の原爆症」は、わずか3ページほどのエッセイですが、そこに、上野さんの決然とした転身の動機が語られているようにわたしには思われてなりません。上野さんは、学徒召集中の1945年8月6日、広島で被爆します。エッセイの冒頭、上野さんは書いています。その日以来「私はアメリカ人をひとり残らず殺してしまいたい、という暗い情念にとらわれつづけてきた。……おそらく、死ぬまでこの情念から解放されることはあるまい。」と。
エッセイの中に、絶唱として知られる一首――「大き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり」など、多くの短歌を遺し原爆症で斃れた正田篠枝さんとの一夜のことが書かれています。すっかり癌に侵され、動くのは右手だけになりながら、最後の力をふりしぼり、正田さんは、原爆の犠牲者の数だけ、死ぬまでになんとしても「六字の名号(めょうごう)」を写したいと、南無阿弥陀仏を唱えながら、一晩中、必死に名号を記しつづけていたといいます。その「称名(しょうみょう)の声」は、のちのちまで、上野さんの耳にあざやかに聞こえつづけてやみません。
「末期の思想を中核としてもたない平和運動は、もはやいかなる意味においても存在理由をもちえないだろう。平和への希求は、いまさらいうまでもなく、それらしい気運に同調してみずからを解消することではないはずである。私は永劫(えいごう)に救われることのない奈落の底にあって、わが殺意のやいばが、われとわが身を切りきざむ熱さにたえるほかはない。」 *「私の原爆症」 初出=「展望」1968年10月。『骨を噛む』1973年4月(大和書房)/上野英信集5『長恨の賦』1986年5月(径書房)/戦後文学エッセイ選12『上野英信集』2006年2月(影書房)にそれぞれ収録。 Created by staff01. Last modified on 2016-03-01 14:00:59 Copyright: Default |