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フレコンバックに埋もれた「我が村」〜福島県飯舘村・葛尾村を訪ねて

    佐々木有美

 *葛尾村に集積されたフレコンバック

動画(10分)

 10月11日〜12日、福島県の飯舘村・葛尾(かつらお)村探訪ツアーに参加した。東京で避難生活を余儀なくされている葛尾村の詩人、小島力(コジマチカラ)さん(80歳/写真)が案内役だ。

 東京を朝、バスで出発し、11日昼過ぎに飯舘村に入った。友人の持っていた線量計が急にやかましく音をたて始めた。それまで0・1μシーベルト台だった線量が、0・4ぐらいまで上がっていく(東京の現在の平均線量は0・04)。

 車窓には、フレコンバックと呼ばれる除染で出た汚染土などを入れた大きな黒い袋が、広大な土地に山積みにされている光景が繰り返し現れる。緑のシートがかぶされているものもあるが、その途方も無い量に驚かされる。

 バスを降りて、路上にさりげなく置かれたフレコンバックに直に線量計をあててみる。なんと6・4まで上がった。驚くと同時に感じる恐怖。このフレコンバック、中間貯蔵施設の建設計画が頓挫しているいま、いつ片付くのか全く見通しがたっていないという。

 かつての村役場前には、村民歌が掲げられ、こどもたちの歌声を再生して聞くこともできる。“山美わしく 水清らかな その名も飯舘 わがふるさとよ みどりの林に 小鳥は歌い うらら春陽に さわらび萌える“の歌詞が、事故前の飯舘の姿を彷彿とさせる。かつて誰がフレコンバックの山におおわれた飯舘を想像しただろうか。

 ツアー二日目は、葛尾村に入った。ここも飯舘村と同じで、フレコンバックの山が次々に視界をかすめる。小島さんによれば、膨大な経費をかけた除染も、放射能の減少は微々たるもので、最近では、場所により数値の増加も認められるとのこと。除染の範囲も家屋周りと道路・河川の両脇20m以内だけ。村の面積の大部分を占める山林・原野は手付かずの状態だ。

 小島さんの家は、山の中腹の木立に囲まれた場所にあった。なだらかな坂道を登っていくと、まず目に入ったのは、庭に置かれた黒いフレコンバックだった。電化製品やキッチンセットなどもある。

 汚染された家財道具は東電が引き取るということで、ここにとりあえず置かれている。効果がないという理由で小島さんは家の除染を拒否してきたが、隣近所の手前やらざるを得なくなったという。

 敷地内には、湧水をひいた小さな池があった。ここにはマスを放して、バーベキューをして楽しんだそうだ。孫たちがターザンごっこをした松の木もある。家族みんなの思い出の庭が荒れ果てた姿をさらしていた。同行した小島さんの娘さん美日(みか)さんは、「子どもたちも訪ねたいと言っているが、放射能あるので連れてこられない」と、くやしそうだった。敷地内は、0・5μシーベルトだった。

 午後は、葛尾村の仮設団地がある三春町で、避難を余儀なくされている方々との懇談会。参加された村の方は8人。皆さん、60代から70代くらいか。牧子リョウコさん(写真下)は、定年退職後、土作りから始めて、「幻のきゅうり」といわれるほどおいしいきゅうりを出荷していた。

 「作ったきゅうりの味が忘れられない。くやしい」と無念の思いを語った。コヤマさん(女性)も、トマト作りに励んでいた。おいしいトマトを食べてしまったので、避難先でトマトを買うことができないと言う。今、木造の借り上げ住宅で暮らしている。「ここ4年ばかりの間に“忍び足”が、たいへん上手になりました」とユーモアたっぷりに話した。

 松本信夫さん(写真上)は、11頭の牛を飼っていた。出荷前の子牛もいたという。牛は家族同然だった。原発事故が起こり、周囲に迷惑をかけられないと、すべての牛をロープで縛り、餌も水もとれない状態にして家を出た。原子力紛争解決センター(ADR)の口頭審理で松本さんは、「家畜を殺処分にしたロープを大事にしている。俺のうちに東電の経営者をよこしてくれ。俺はそのロープで経営者を縛っておきたい」と話したという。

 葛尾村は、南相馬市や川俣町の一部区域とともに来年春に「避難指示解除」が予定されている。しかし村の人たちの心は揺れている。村の自主測定では、目標の年間1ミリシーベルトの倍以上の線量がある。まずこの問題で、若い人たちは戻れない。戻るのは高齢者だけになる可能性が高い。「原発事故によってほとんどの世帯が後継者を失った」という松本さんのことばが重い。小島さんは、「原発事故の後始末さえ満足にできない加害者が、避難指示解除を強行するのは、賠償打ち切りだけが目的」と断言する。

 原発事故の賠償は、東京電力に直接請求するのが基本だ。しかし個人の力は弱く、飯舘村や葛尾村では、国の機関である「原子力紛争解決センター(ADR)」に集団申し立てを起こし一定の成果も上がっている。葛尾村では470世帯のうち105世帯(22・5%)、飯舘村では約6割が申し立てをしている。帰りのバスの中で、小島さんが語ったことが深く心に残った。「懇談会で話してくれた人たちは、ADRに集団申し立てをしている人たち。他の人たちは沈黙したままだ」と。
※文中、お名前の正確な表記がわからない方はカタカナにしました。

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草茫々

        小島力
 草茫々
 田畑茫々
 村一つ荒れ果てて茫々

 二年前
 玉葱畑を風が渡り
 大根の葉先に朝露が鈴生りの
 その畑に
 ささやかな豊かさに満ちた
 その山畑に

 草茫々
 野道茫々
 蔦かずら絡み合って茫々

 幾歳月
 牛を牽き 耕運機往き来し
 何千回何万回の足跡を印した
 その道に
 暮らしの汗したたり 地にしみた
 その畦道に

 草茫々
 我が家茫々
 軒先を埋め尽くして茫々

 かつての昔
 子たち孫たちの歓声はね返り
 バーベキューの焚き火燃え盛った
 その庭に
 生きて暮らした思い出消えやらぬ
 その庭先に

 草茫々
 何もかも亡々
 悔し涙滂々

(詩集『わが涙滂々』(西田書店)より)


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