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松本昌次のいま、言わねばならないこと(最終回) : せめて書きつづける〜「ひとくぎり」にあたって | ||||||
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せめて書きつづける〜「ひとくぎり」にあたって去る8月30日、安全保障関連法案に反対する人びとが、国会周辺をとり囲み、一斉に抗議の声をあげた。参加者は12万人という。そればかりではない。全国300ヵ所で、同じようにデモや集会が行なわれたという。もはや、この10月で88となり、脚も痛く杖をついて歩かねばならない身として、無念だがデモへの参加はあきらめざるを得ず、新聞やテレビでその模様を感じとるほかなかった。と同時に、いまから55年も前、1960年6月をピークとする安保条約改定反対闘争の日々に、想いをちらりと馳せた。 当時、仲間たちとわたしは、仕事の合間を縫って毎日のように国会包囲のデモに加わった。樺美智子さんが亡くなった6月15日の夜も、現場近くにいた。新安保条約・協定が自然承認された6月18日午前0時には、33万人が徹夜で国会を包囲したと記録にある。安保反対とともに、それを推進した岸信介内閣打倒がスローガンだった。(7月15日総辞職) 奇しくも、その孫である安倍晋三政権の退陣に向けて、いま、たたかいがつづく。しかしその現実行動に加わる体力はわたしにない。 出版にかかわり、戦後精神を学ばせてもらった花田清輝・埴谷雄高・丸山眞男・藤田省三・井上光晴さんら著者たち、そして同時代をともに生きた知人・友人たちの多くは、すでにこの世を去った。未来社で30年、影書房で32年、編集者として生きてきたが、ようやく退社することができた。おめおめと一人生き残った悲哀とともに、残余のわずかの人生をいかに生きるべきか。一介の編集者として、なおも本づくりにかかわりつつ、小さな文章を書きつづけ、小さな集会で語りあう道を歩くほかない。 幸いなことに、ビデオプレスの友人が鉛筆書きのわたしの原稿(写真)を、レイバーネットの連載コラムとして発信してくれ、今回で2年半、30回に及んだ。これを「ひとくぎり」にして、次回からコラムの名称も変えて、最後の新たな出発をする思いで、さらに書きつづけたいと思う。読者の皆さんのご批判を期待しつつ。 *写真上=shinyaさん撮影(2015年8月30日) 中=1960年安保(6月) Created by staff01. Last modified on 2015-09-02 18:02:50 Copyright: Default |