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レイバー映画祭 : 半生分の涙を流して観た『もうひとつの約束』

                     フクシマ陽太郎

 レイバー映画祭2015を全5本339分全編を今年もみた。時代の問題にぴしゃりと合う映画を選ぶ プログラム構成はすばらしい。350名もが集まったのは何より喜ばしく、スタッフの労に感謝したい。

 トップに上映された『もうひとつの約束』(写真)をみたばかりの交流会で感激のあまり一生分の涙といったが、 正確にみつもると半生分である。

 映画が始まったばかりの場面で、若い娘がギターを奏でる。私はもうその瞬間にその娘の悲しい運命を 予感して激しく涙を流した。なぜなら、レイバー映画祭2014で『貪欲の帝国』をみていたからだ。半導体 工場で働く人々が次々に亡くなり、被害者らがその工場の実態を暴き、結託する大企業と政治権力という 巨大な敵と裁判に訴えてしぶとく闘う記録映画は胸を打つ。が、問題は解決に程遠く、虫けらのように扱わ れる労働者とその働く姿に背筋が寒くなった。その人たちに娘の姿が重なったのだ。

 この実際をモデルにした『もうひとつの約束』は役者の演じる物語だ。有数の企業に勤めたにもかかわらず 娘は人生の青春をさえひとかけらも味わうことなく白血病でこの世を去らなければならなかった。涙はかれる こともなく際限なく流れ続ける。会場のあちこちから嗚咽の声が聞こえてくる。はかない娘の無念の死をいとおしむ。

 涙は悲しみのひと色だけで塗られているのではない。裁判に立ち上がる父親、また家族の離反、崩壊、近隣の人々 の酷薄な態度、会社の悪辣な仕打ちに涙する。だが、どんなに高額な金をも拒否して、正義と真実のために 闘う父親、稀有な労務士と弁護士がやはり巨大な敵に向かっていく姿への深い共感の涙。他人との間に家族の ような結び付きが生まれ、やっとのことで裁判の証人が現れ、判決が認められるまでの信頼のかけらをつかむ までの感動の涙。

 私は、半生分の涙を流しながら、何度も自分に言い聞かせていた。これは、物語なのだ、現実ではないのだ、 作られたドラマに過ぎない、いくら感動の涙を流しても、あの娘に、あの父親のことは本当にはわからず、自分が変わって やることはできないのだ。よくいうではないか、この世には涙もろい悪者がいると。

 涙で現実を浄化することはできない。そして、あの原発事故で大量に撒き散らされたセシウム137は半減期30年 あと300年は消えないという。フクシマにしか被害はない、除染で住めるようになると政府はいうが、それは詐術なのだ。 福島県の中通りの子供が原告となって一刻も早く集団疎開をさせろと訴えた。今、脱被ばく裁判と内容を変えて再び 戦いが始まった。風評被害の一言で、実際の被害をあたかもないかのように当局の宣伝だけがこのフクシマをも 覆い尽くしている。

 福島に戻り駅に降りたとたん、暑い暑い夏なのに、目に見えず匂いもしない放射性物質のうごめくさまを鋭く感じ、寒々した 心に変わってしまった。今は泣いている場合ではないのだ。


Created by staff01. Last modified on 2015-07-27 16:59:33 Copyright: Default

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