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LNJ Logo 「国旗に一礼しない村長」曽我逸郎講演録・全文掲載
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 2013年1月26日(日)に、「頭ごなしに押し付け、型にはめようとする風潮がある今、あなたはどうしますか」と題して、長野県中川村の村長、曽我逸郎さん(写真)の講演会があった。(『河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会』学習会 報告はレイバーネットに掲載済み)。講演を聞いて、安倍政権復活後の重い空気の中に、元気を吹き込んでもらったように感じた。曽我さんは、この国を作るのは、わたしたち民衆であり、おかしいことはおかしいと率直に言いながら、議論のなかから新しい方向性を目指すべきだと語った。日本の戦後民主主義はこんなもんだったのかと意気消沈してはいられない。原発問題、沖縄の新たな米軍基地問題、そして、「日の丸・君が代」強制の教育問題、それぞれの場から声を上げていく地道な活動が、本当に必要な時が来たのだと思う。講演のテープを文章化したのでぜひご覧ください。(光本敏子)

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曽我逸郎講演録(2013/1/26)

 皆さんこんにちは。こんな大きなお部屋で、こんな多くの方に来ていただいてドキドキしています。ありがとうございます。カメラより前に来ていただけると、もっと満員感も増して、わぁたくさんの人だなって感じで、レイバーネットさんがインターネットにアップしてくださるということで、よろしければ前の方に来ていただければと思います。

 根津さんからお誘いをいただいたんですけれども、わりと気安く、はい、はいと答えてしまったんですが、根津さんも河原井さんも教育の現場で、子供たちと一緒に問題を考えていくということをしていかねばならないと、真摯な思いでずうっと闘ってという言い方が一番正しいと思いますけど、がんばってこられたということでございます。それに対して、私の方は、去年、議会の方で質問をいただいて、それの受け答えをネットに載せたら、新聞とかで取り上げていただいて、少し話題になった、本当にポッと出の者で、こんなところでみなさんにお話するのは心苦しい部分もあるんですけれども、立場の違ういろんな考え方をぶつけたり、すり合わせたりすることで、みんなの考えが深まっていくということなので、私のお話することも、少しでも役だてばうれしいかなと思いますので、聞いていただければと思います。

 中川村というところはどこかってことですが、今日もバスで来たんですけども、中央道が便利です。JR、鉄道は不便なところです。飯田行きに乗ると、中央道をずっと山梨県を超えて長野県に入って、諏訪湖のところで二又に分かれて、中央道は名古屋に南の方に行くのですが、南の方に少し下がったところです。車だったら中川村まで3時間ぐらいで来ていただけるんではないかと思います。

 「日本で最も一番美しい村連合」というのがあるんですけど、それにも加盟しているんです。来ていただいて、美しいかどうかを検査していただいて合格をいただかないと入れないという格調高い連合なんです。その一員でもありまして、その地域の良さを生かして持続可能な村づくりをしていかなければならない、そういう考え方の村の一つです。りんごとか果物のおいしいところなので、来ていただけたらありがたいです。中央アルプスと南アルプスと両方が見えて、天竜川が流れていて、冬でも里には雪がない、白い山が夏ぐらいまで、残雪が見えるという恵まれた場所です。

 私自身のこともお話しておきます。1955年に生まれました。生まれたのは長崎県の対馬というところですが、バルチック艦隊が沈んだところであるし、元寇で来たところだし、倭寇が攻めていったところだし、そういう国境の島、朝鮮半島まですぐそば、うちの母親なんかは釜山に映画を観に行ったりしたこともあったと言っていましたし、島のちょっと高いところからは、朝鮮半島の灯りが見えるところでございます。

 物心つく前に滋賀県に移りました。高校生の時に浅間山荘事件があったんです。膳所(ぜぜ)高校という甲子園にも出たこともあるんですが、高校ではノンポリで何にもないところだったんですが、大学に入ってから活動に急にのめりこむ先輩が多かったのか、浅間山荘事件で総括した側にもされた側にも、両方結構な人数の先輩がいたということで、高校の先生方が心配して、テレビをじっと見ておられたのが印象に残っています。

 大学に入った年がサイゴン陥落の年、ベトナム戦争が終わった年です。私自身は禅寺に通っていた時です。大学には、まだヘルメットが多かったです。赤いヘルメットが多かった。旧ブント系、わかる人は解るのかもしれませんけども。それが、一年ぐらいたつと消えてしまって、代わりに手かざしをする、いわゆる新興宗教的な方が増えていった。一番決定的だったのは、大学4年の時だったと思いますが、中国とベトナムが国境紛争というか、戦争したというので、私の周りの熱心に社会問題とか世界はどうあるべきかを考えていた人たちが、もうどう考えたらいいか解らない、世界のプロレタリーアートはみな友達だ、仲間だと思ってたのに、何で中国とベトナムが国境紛争になったのか、それで考えがまとまらなくなって、それに内ゲバ事件とかいろんなことがあって、学生の社会を変えていこうという運動が急速に下火になって行きました。そのかわりに新興宗教とか、都会から田舎に行って自然に近い暮らしをしよう、自然に帰ろうって、若い人の気持ちがダーッと移り変わっていく、その変わっていく境目のあたりにいたのではないかと思います。先輩とかは、世界同時革命とか理想に燃えて闘えた時代だけど、私の時は、その辺が崩れちゃって瓦礫になったところで、何をしたらいいのかというのがすごく悩ましい、やるべき目的が見つからないという青春時代を送りました。それで禅寺に行ったりしていたんですけども。

 ひょんなことから広告の会社に入って、大阪、香港、ちょうど返還直前の香港だったので非常に刺激的でしたけどもそれから大阪それから名古屋ときて、2002年に会社を辞めました。

 長野県の中川村に、先に家族は住んでいたんですけども、会社を辞めてそこに住むようになりました。そうすると、市町村合併問題があって、暇そうだから手伝えって言われましてね、ビラ配りぐらいしますよって。せっかくこんな素晴らしい、いいとこがいっぱいあるのに、それを生かさないまま合併してしまうのはもったいないなと思って、お手伝いしていたんです。その時は、地方交付税という国から地方維持のために分配される交付税がどんどん減らされていくという中で、前の村長さんは合併しないとやっていけないというようなことを、ずっと主張しておられた。それが合併しないことになって、すぐに村長選があって、前の村長さんも立たれたし、「何とか自立で頑張って行けるんじゃないか」って言ってた我々からも、誰か出さにゃいけんやろとなって、いろいろ当たったけども、それぞれ事情があっていきなり言われても困るという中で、あの人もダメこの人もダメってなって、やっぱり暇な人がおるなということで、私が立つってことになりました。

 今日お呼びいただいたきっかけになったのは、去年の6月に村の定例議会、市町村というのは3、6、9、12月と年4回定例議会があります。いろいろなことをそこで議員の皆さん方にご説明してOKをもらったり、だめだと言われたりするんですけども、一般質問というのがありまして、議員の皆さん方が好きなことを質問する時間があるんです。ある一人の方が、村長は学校とかの儀式のときに、みんな壇上に上がりきったとこで、真ん中にある国旗とかに礼をして、律儀にそういうことをするのがあるわけですけども、「村長は礼をしとらんように見受けられる、何か考えがあるのか」という質問をいただきました。それまで何も言っていなくて、ただ、そういうのをするのはいやだなって思っていたので、しなかったんです。国歌斉唱っていうのがあるんですが、私は、根津さんとか皆さんのように根性が据わってなくて、立つのは立つんですが、口パクでもなくて、歌ってなくて、地元のケーブルテレビがなめていくんですが、その時も爐Α爾鶚瓩辰討笋辰討い董△海舛蕕らは何も言わずにそうしていただけなんですけども、議員の方からそういう質問をいただきました。それについて答弁した中身を、ホームページに掲出したところ、思いがけず話題になって、最初は東京新聞だったかな、それから朝日新聞が少し大きく扱ってくれまして、週刊金曜日とかいろいろなところで、話題にしていただきました。

 たくさん反響もあったんですけども、ほとんどは賛成というか、共感というかそういうのがほとんどでした。メールは2〜300来たと思いますし、お手紙はもう少し少なかったと思いますが来ました。電話は少なかったんですが、共感賛同を寄せていただいた中には、割と教員関係の方の比率が高かったのかもしれません。特に関西が独特な読み方をされたらしくって、関西からいろんな反響が多かったです。

 一つ面白かったのは、大阪弁の女性の方から、私は滋賀県で育っているので、イメージを再現できるかもしれませんのでやってみます。反対というのはほとんど電話なんですよね。賛成とか共感とかはメールかお手紙で来る。このことを合理的に論理的になかなか書けないのかもしれないですね。この問題について、感情的にわぁっとしか書けないのかもしれないですね。そこまで深読みするのはどうか、わかりませんが。反対は電話で、非常に少なかったです。で、どんなおばちゃんだったかというと、「もしもし町長さん」「いえ、村長ですけども」「村長?まあどうでもいいわ、そんなの。聞いていると、私の応援している人の足、やんわり引っ張っているらしいけど、どういうことでんのん?」から始まって、「私は前々からやっていて、今回は質問されたから答えただけで、何か狙いがあってやっているわけではございませんけども」「そうは言うてもね」といろいろお話されて、「電話で聞いても残らないから、お手紙でもメールでもいいから文章で書いてくださいませんか。そうすると、村のホームページで掲出して、ほかの人とかにも見ていただいて、なるほどなと思う人もいるだろうし、全然違うなと思う人もいるだろうし」ってネットでさらすというんでしょうけども、「こんな考え方の人もいるんですよ、皆さん」みたいなふうな形で書いていただけたらうれしいなって言ったら、「そんな面倒くさいことしていられるかいな。もうええわ、やめてくださいよ。許しませんからね。」ガチャって切れたんですけどね。名前おっしゃらなかったんで、応援している人か誰のことかわからないんですけど。多分あの方かなって思いながら。そんな関係で、特に関西は特別な反応があったような気がしています。

 ほかの電話で、結構これは私とは真反対だなと。私がなぜ反対しているのかということをあまり話してなかったですけど、根津さんも本で書いていらっしゃった通り、しっかりなぜかということを自分で考えて結論を出す、結論を出さなくても、問題意識を持って自分で考えるということが必要なんだけども、それをさせない。日本人だったら礼をしろとか、こういう場では礼をするのが大人だ、みたいな、子どもにもさせるんですけども、日本人なら当然だ、なぜ当然なのかを問わないままに押し付けるっていうのは嫌だし、日本をいい国にしていくためにはですね、みんなでどんな国がいいのか議論をしなくちゃいけない。問題点はどこにあるのか、どう改善するのかという話をやっていかなくちゃいけないと思うんですけども、それをさせないことになるんではないかと思っておるんですけども。

 ある方、この方は男性の割と高齢の方だったんですけども、某保守系の国会議員の後援会の役員をなさっているということだったんでけども、先ほど申し上げたような私の考え方というのを申し上げたら、こんな風な論理展開をおっしゃいました。どんなことおっしゃったかというと、「みんなで意見を出し合って、批判しあったり、意見を聞きあって考えるというのは、直接民主主義で、幼稚で愚かだ」とおっしゃったんです。直接民主主義というのはあたっていると思うんです。この方は直接民主主義は幼稚で愚かな考えだと思っていらっしゃるんですよね。「世の中の人たちは、社会がどうあるべきか、とか、どうなったらいいか、とか、国をどうしていこうか、とか、そもそも興味がないんだ」とおっしゃる。「興味があったとしても、知識がないからろくな答えは出せないんだ」と、その方はおっしゃる。「民主主義というのは多数決だ、少数意見というのは所詮多数になれない意見に過ぎない。多数をとった政治のプロが上意下達で大衆を統治する、それが政治である」と、その方はおっしゃった。そう思ってる人は多いと思うんですけど、その方は明確にそうおっしゃいました。

 政治のプロというのは、政治で食べている人、政治でお金を稼いでいる人なんだなって、専門家かもしれませんけど、私はそういう見方もできると思ったし、そんな多数をとったものが統治する考え方というのは、今の日本の政治、何人寝返ったとかですね、どこの会派を抱き込んだとか、数の取り合いみたいなそんな話ばっかりでして、じゃあどうするのかという政策の話じゃなくて、エー…政局? 何人になりましたとか、何人とりましたとか、そんな話ばかりになるのは、多数になることで統治するという考え方で、どういう国にするのかということを、少数意見とも闘いながら国のあり方を考えていく、という発想があまりないんじゃないかなと感じました。そういう形で多数をとった者が統治する。「市町村長の役割というのは、国の統治に従属して住民を統治する。大きな統治があって、小さな統治があって、その間にある小っちゃな統治だから、国の方針に従わず、逆らっている村長は次の選挙で必ず落選させてやる、落選して恥をかきたくなかったら出馬を辞めろ」というふうにおっしゃったんです。

 今度もうすぐ、実は選挙があるんですけども、4月かな。次の選挙があるんですが。その時はどうしようかなって。最初に申しあげたようなたまたまなことで、瓢箪から駒みたいなことで暇そうな人がってことで始まって、それなら一期やりますって、それが二期になっていたんで、もうそろそろ村のこともよく知っている考えの深い人に出てもらった方がいいのかなって思いもあったんですけど、ちょっとそんな風に言われちゃったもんですから、エーっとか思って、それから今度の国政選挙でもあぁいう結果になったし、もう一期、やらにゃいかんのかなってことで、もう一期やることになったんですけど。もう一期やるきっかけを与えていただいたのが、その方のお言葉だったのかなっていう風に思います。

 この方はメールできたんですけども、「国旗を敬うのは万国共通どこの国でもそうなんだ」と、「国旗は国民を象徴しているのだから、国民を敬うことだから、国旗にも礼を尽くすべきではないのか」という、ある意味それなりの筋の通ったお話だったんですけども、その方の書いた、ちょっとふくらましてますけど、誰もが必ず万国共通のルールで、国旗に対しては礼を尽くさねばいけない、それが和になるとその方はおしゃったんです。まぁどちらかというと右寄りの方だと思ったんで、日本がもし中国領になったら、日本人が中国の少数民族になったら、中国の一つになったら、あなたは五星紅旗を敬うべきだと主張するのかと、もう少し身近なことでいうと、チベットの方々が今いろいろ抵抗しているけども、チベットの人も抵抗せずに、中国のあれに礼を尽くし、そして和をもたらすべきという風に主張するんですか、そうじゃないと一貫性がないでしょう、それぞれ国に対する思いがあって、いろんな人がいるわけだから、一人一人の考え方を大事にすべきじゃないのかと申しあげて、メールに書いて、その後の議論っていうのはなかったんですけども、多分納得していただけたじゃないかと思います。

 和ということについて言いますと、今話題になっています自民党の、憲法の変更の草案の前文にも和ということは書いてあります。そこだけ抜き書きしてきたんですけど、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って、自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を建設する」って書いてあります。この和というのは、非常にみんな素敵なものっていうふうに言うんですけども、和を主張する人っていうのは、たいてい上の人が下の人に対して言うんですよね。和っていうのは、「国体の本義」っていう文部省が昭和12年出したのがあるんですね。これは、和を称賛している、和を推奨しているというものなんですけど。それも抜き読みをしますと、「おのおのの集団には、上に立つものがおり、下に働くものがある。それらおのおのが分を守ることによって集団の和は得られる。分を守ることはおのおのの有する位置において、定まった職分を最も忠実に務めることであって、それによって上は下に助けられ、下は上に愛される」云々と、あるいは「国の和が実現されるためにも国民各々がその分を尽くし、分を高揚するほかはない。身分の高い者低い者、富んだ者貧しい者、朝野公使(民間とお役所)、その他、農工商と互いに自己に執着して対立を事とせず、一に和をもって本とすべきである」と、和というのは分を守るということと常に一体なんですよね。お百姓さんはお百姓の仕事だけしとけと、それだけ集中してやれと、要するに、統治する側とされる側があって、統治される側は統治する側にとやかく言うなと、従っておれというのが、和の仕組み。上に立つものに黙って従え、ああじゃこうじゃ言うなっていうのが、和の発想だと思います。これが、今回の自民党の憲法改正案の前文の中にそれが出ているんだと思います。

 それからもう一つ、さきに批判的なことばかり言って恐縮なんですけども、いろいろご意見を聞いているとですね、ちゃんとルールに従って礼を尽くせとおっしゃる方々は、なかなか、これが大事だから守れということは言えてないんですね。そのことは、根津さんも、なぜそうしなければいけないのか再三聞いたけども、納得のいく明快な答えは聞けなかったって本に書いていらっしゃったけど、多分、今でもそうだと思います。私の場合どんなことがあったかというと、すごい早口の女性なんですが、国旗に礼を尽くすのは世界の常識だというほかに、「君が代」の「君」は天皇のことではないと、「友達」のことだと、「友達」を称える言葉なんだから歌うべきではないのかというふうにおっしゃいました。「大君」が天皇のことであって「君」は友達だ。確かに「君が代」は古今和歌集にあって、元々の歌われ方というのは、村の顔役みたいな人が子どものお祝いとか、結婚式をする時に、来た方がそれを称えるために、「君が代は」とその庄屋さんのことを、その主(あるじ)を称えるために歌われていたというのが歴史みたいですけど。もともとは天皇ではなかったのかもしれませんが、それが明治になってからは、明らかに天皇の歌として使われてきたというのは間違いないし、真剣に歌っている方はそういうつもりで歌っていらっしゃるだろうし、にもかかわらず、それは友達の歌なんだからというのは、まじめにそう思っていらっしゃる方には非常に失礼な言い方ではないかなと感じました。

 それから、先ほどの国会議員の後援会の方も、村長は国の方針に従って自ら範を示さなければならない、心の中で舌を出していても構わんとおっしゃる、それでも構わんからともかく礼をしろと、それが村長の務めだというふうに。大事だからやれというんじゃないんですよね、これは素晴らしいものなんだからなぜ敬わないんだ、こんな素晴らしさがなぜわからないんだ、というふうにはならない。

 ちょっと違う話ですけども、村のホームページにも書いていますけども、靖国神社の問題とかで、自分のお兄さん、お父さんとかが合祀されているのは嫌だから、お兄さん、お父さん、あるいは夫を合祀から解放してほしいというような訴訟がされていますよね。それで、来た中のお手紙には、亡くなった方の名前が書かれている霊示簿、霊示簿は紙だと、紙になんだから気にしなければいいじゃないかとおっしゃる方もいらっしゃる、それもまた、すごい失礼な、本当に靖国神社に神として納められているのをありがたいと感じていらっしゃる方もいらっしゃると思うんですけども、そういう人に対してものすごく失礼な言い方だと思う。本当に支離滅裂な感じがします。気持ちの部分で敬うとか、納得して理解しろというんじゃなくて、気持ちはどうでもいいから外面だけ合わせろという雰囲気がすごく感じるんですよね。それは統治上、そうじゃなくちゃ困るというのが本音のところじゃないかなと想像するところでございます。

 ちょっと人のことばかり言いましたんで、そろそろ自分の考えも言わなきゃいかんと思います。なぜそれまで国旗に礼をせずに、それに国歌も歌ってこなかったのかというと、それは強制されるからですね。「そうしろ」と言われるから。言われなければしていたかもしれないですけど。やれと言われるんで、何というか天邪鬼でね。「北風と太陽」じゃないですけれど、「やれ」と言われるほどちょっと、いやだなあと思う。それはなぜかというと、「やれやれ」というのは、さっき申し上げた通り、統治しようという、従わせようという、自分の頭で考えて、自分で行動を決めるようなことを、皆がするのはいやだから、皆考えずにやるという雰囲気をつくって行く。そういうのが、そんなに明確に言語化していたわけではないですけれど、そういうような雰囲気を感じていたので、たぶん、ずうっとしてこなかったのだと思います。

 それから、国旗そのもの、よりもですね、国旗を押し立てて―押し立てる人たちがいますよね―そういう人たちが嫌というか恥ずかしいなと日頃思っています。

 一番端的な例はいつだったか、数年前になりますけど、四谷に上智大学のイグナチオ教会というのがありますよね。あそこに右翼の街宣車が何台か来たし、在特会、在日特権を許さない会でしたっけ、そこの人たちも集まってきて拡声器でワーッということがありました。日曜日だったものですから、あそこはいろんな言葉でカトリックのミサをやっていますよね。拡声器で、外見上分からないですけども、フィリピンかどこかの女性の方、どこか、きちっとした身なりをされた方が一人でそこに入って行こうとされたんですけど、そこに拡声器で「おい、そこの。在留許可書を持っているんだろうな」みたいなことをワーッと言いかけるわけですよね。イグナチオ教会、真ん中の教会だし、来られた方は外交官の方かもしれないし、外交官でなければいいかという問題ではないですけども、非常に品のない、品位に欠けた対応をしておられて、それに日の丸を立てていたんですね。わいわい言っているというのは、本当に日の丸に泥を塗るというか、日本を汚しているような、日本人として非常に恥ずかしい行為だと思いました。    ちょっとすいません。私昔バイクで事故をやりまして、ここ(まぶた)が切れておりまして、涙の流れていく管が切れていて、ときどき涙が溢れます。自分の話に感動しているわけではありませんので、そこだけ誤解のないように。    そんなことで、そういうのも嫌だなという思いがあります。私は別に日本の国がこうあるべきだと、国のことをすごく思っているわけではないです。国が大事だからどうこうと思っているわけじゃないです。とはいえ、ある意味では結構愛国者かもしれんなと思うんですけど、決して国粋主義者ではないです。時々言われるんですけども、「共産主義のなんとかかんとか」というかたちで批判をされるんですけども、残念ながら、私、友だちにはどっちかというと、そういう人が多かったし、シンパもいたし、どっちかというと、かなり左寄りかもしれないですけども、主義としてそういうものを持っているわけではないです。私のベースにあるのは、先ほどちょっと申し上げましたが、禅寺に行っていて、そこから仏教、さかのぼってお釈迦さんはどんな風なことを考えられておられたのかなと。それがベースにあるんですね。

 で、どういうことかとちょっとだけ言うと、国がどうあるべきか、というよりも、仏教的に言うと、有情(うじょう)、有情というのは、人々が苦しんでいる。戦争で苦しんでいたり、貧困で苦しんでいたり、差別で苦しんでいたり、病気で苦しんでいたり、災害で苦しんでいたりする。それを何とかしなくちゃいけない。国っていうのはすごく大きな力を持っていますよね。それがいい方向に働けば、そういう、自分の国の国民だけでなく、世界中の人を救う、世界の有情を救う働きもできるかもしれない。にもかかわらず、子どもたちの上にクラスター爆弾をばら撒いたり、おびただしい苦しみを生み出すこともあるわけですね。だから私としては世界の有情の苦しみを減らすために、それに役立てるような国に日本がなってほしいというような思いがすごくあります。

 もし、そういうような国の力をいい方向に働かせる国に日本がなってくれたらですね、本当に誇らしいじゃないですか。「俺の国、日本は素晴らしいだろう」と世界にも言えるようになるし、逆に世界中の人からも「日本はよくやってくれている。素晴らしい国だ」と言ってもらえると思います。世界中の国の人から尊敬され、愛される国になることができたら、それはそれで非常に大きな安全保障にもなると思います。そのことが、憲法前文に「名誉にかけて誓う」と書いてある。日本国だけでなく、世界中の人の権利のためにがんばると書いてある。でも、一度も真面目に取り組んだことがないんじゃないかと思います。

 今申し上げたことを表にすると――こっち側(右)が未来、こっち側(左)が過去とすると、私は世界中の人に今の日本じゃなくて、これからの日本が未来において、世界中の人が賞賛してくれるような、そういう、ここで、未来で世界中の人が評価してくれるような日本を実現したいというふうに思っているんですね。  ところが、今の、どっちかっていうと右寄りの方々は、ここなんですよね。日本人だけ。世界中の人からどう思われているかは関係なくて、日本人なら日本を悪く言うな。日本を称賛せよと。で、問題にしているのもおおむね過去の話なんですよね。過去の話でたとえば、従軍慰安婦の問題については、「狭義の強制性はなかった」と。じゃあ、「広義の強制性は」と訊くと、そのことは訊かんといて、と。狭い意味の強制性はなかったというようなこと。それが本当かどうかは知りませんけど、問題にしているのは、過去のこと。

 それから戦争についても、はめられて、追い詰められて仕方なくやった戦争だ、みたいなこと、過去のことを言っている。未来について、いい国をつくって行こうではなくて、過去を正当化する。日本人の中だけでというのが、志がすごく低いと思うんですよ、あの方々は。なんというか、正当化というか、言い訳がましい話ばっかりで。まあ正直言って、ニューヨークタイムズかなにかに出たみたいですけれど、日本の過去を正当化する姿勢っていうのは、正面から向き合わないというのは、やっぱり、世界の良識ある人からは呆れられてくるのではないのかなと思う。

 誇りにできる日本をつくろうというのが、逆に呆れられる日本をつくるようになっちゃっているんじゃないかと思うので、未来において世界中の人から納得してもらえる、敬愛してもらえる日本にしていくためには、日本の問題点をしっかり見つめて、こうした方がいいんじゃないだろうか、ああした方がいいんじゃないだろうかと、皆で議論していく必要があるんじゃないかと思っているところです。

 それはいろんな考えがあると思いますので、それが違う意見どうし、同じ意見の人同士、そうやな、そうやなとやっていても発展しないので、違う立場の人と議論をしていくと、なるほどなと、表面のレベルから深いところで合意に達する。だんだん深まったところで合意に達するということになってくると、より正しい、より深いところで、自分自身最初の段階では浅いところだと思い込みがあるかと思いますけど、議論してなるほどと思うところが出てくると、その分だけ深くなっていくし、地球じゃないけど、こっちとこっちで反対側じゃないけれど、真ん中の正しいところに近づいて行けるんじゃないのかなというふうに思って、そういう努力が人間誰しも完全じゃないから、一面的なことしか見えてないので、そういうふうにみんなで考えることが大事。だから、少数意見ていうのは、自分の気づいていないところを気づいている人の意見だから大事だと思っております。    突然また違う、関連してですけども、教員をされている方が多いかもしれないし、生物学の方もいらっしゃるかもしれないけど、ドーキンスという学者がおるんですけども、生物学の進化を考えた人で、この人が――インターネットで出てきます――ミームという考え方を言っている。何の話かなと思っていると思いますけども、遺伝子の話ってありますよね。遺伝子というのは競争して、生存競争しながら増えていこうとするし、また進化していこうとする。どんどん変わっていって、有利になって増えていく。それと情報、ものの考え方も一緒だというふうに言っているんです、ドーキンスさんは。遺伝子に相当する情報とか、思想とか、考えというものをミームといってらっしゃるんですね。だから、ミームってのは、「このラーメン屋はうまい」とかいうのも一つのミームなんです。「そんなの、違うよ。まずいよ」という人もいるかもしれないし、「いやいや、みそラーメンはまずいけども、塩ラーメンはうまい」というかたちで議論をしていくと深まっていくわけですよね。で、そういうふうに、「あの子はかわいい」とかいう話も「確かにそうだ」と誰かが言い始めるとそれが広がっていくし、「かわいいけども、性格が悪い」とか、いろんな話で深まっていくわけですね。そういうふうにして、情報が人と人との間を広がっていこうとするし、間違った情報は「それは間違った」ということで否定され、淘汰され、絶滅していく。いろんな考えが組み合わさって新しい考えに進化して広がっていく。そういうことがミームだと。

 これは少数意見でもみんなで考えて、みんなで議論していくうちに進化して、深まって大きな考えになっていく、時代をつくる考えにもなっていく、というふうなことだと、私は理解しています。

 だから、いま民主主義とか、平等だとか、人類共通の権利だとか言っていますけど、それも昔は少数意見。そんなことをいうやつは変わり者でしかない時代だったわけですよね。その中から、そういうことを言い出す方がいて、「何を言っとるか。奴隷の分際で」とか、いろんなことがあったかもしれませんけども、その中で議論をして、「いや、そうだ」と皆が共感をして立ちあがる。それが世界を支配する思想となっていくことですから、ミームっていう発想でですね。ちょっとした思いつきでも、ぜひそれを種にして新しい遺伝子を皆で共有していく中で、立派な思想に発展していくこともあるんじゃないかな。

 そういうことをしなくちゃいけないのに、先ほどの方は、少数意見は多数をとれない意見で、多数をとる方が支配する。上意下達で統治することだとおっしゃった。そうじゃなくて、雰囲気、空気、この場はこうすべきだと、これに従えというかたちで国旗に礼をせいというのじゃなくて、国旗はどうすべきなのかとか、国歌はどうあるべきなのか、人の幸せはどうなのか、社会と個人の関係はどうなのかとみんなで考えて、じゃあどういう社会がいいのか、どういう国がいいのかということを考えていくことを、そんなことを考えるようなやつらは、頭ごなしに統治するのに不便だから、面倒臭くてかなわんわ、というようなのが、礼をしろ、国歌を歌えというふうなことに発露しているのじゃないかなというふうに思うところでございます。    それで、先ほど、保守系のある方のお話ということでお話ししましたけれど、政治のプロが統治するのが正しいんだというお話でしたけど、何事にせよですね、プロというか、専門家という者の当てにならなさが今回の震災で特にそうだと思いますけど、本当に露呈しちゃったと思うんですね。「何ミリシーベルトまで大丈夫」だとか「放射線は体にいい」とかですね、いろんなことを言う学者さんもいらっしゃいましたし、「安全なんだ」と安全神話みたいなことをおっしゃっていたこともあるし、専門家自身が安全神話に呪縛されて、自分自身たぶん、思い込んでいるのか、思い込んでいるふりをするような状況になっていたのではないかと思います。専門家っていうのは、結構高をくくるというのかな、本当にどうなるのかと想像しても、まあそんなことにはならんやろと、高をくくって、事を進めていく傾向があるのではないかと思います。

 それは今回の震災で始まったことではなくて、例えば先ほども始まる前にちょっとお話がありましたけども、満蒙開拓団っていうのがあって、棄民政策で、フクシマも棄民政策の一つだと言われるし、沖縄はずうっと一貫して戦争の前から、琉球処分の時から棄民政策で支配されていると言われているし、満州の開拓団の人たちはそれこそ、ソ連軍が来た途端に、関東軍が一番に逃げて行って捨て去られたんですけども、あれなんかも高をくくっている。ソ連軍は攻めてこないよ。平和条約があるんだからというようなことで、自分はいざとなったら破ったりもしているのに、条約なんて守らない、捕虜の保護とか全然していなかったにもかかわらず、「ソ連は来ない」。ソ連軍は移動しているって情報があっても、そんな大したことはないだろうと高をくくっておいて、いざとなったら逃げる。いざとなった時には、「この状況ではいったん撤退して戦略を立て直すのが戦略的に正しい」なんて偉そうに言うのだけれど、それこそ、そういう危険なところに、もっと言えば人の土地をぶんどって、農地にして奪ってしまうということがいいのかどうかも考えずに、進めていって、人を入植させておいて、ほったらかしにする。非常に高をくくった形。原発にしたって、活断層はそんなにないよ、あってもそうそう地震なんて来ないし、津波は大昔の記録に載っているだけ、歴史上の話で、今はないんだみたいな、そんなふうな、高をくくったことをどんどんしておるのかなと思います。

 もっと言うと、北朝鮮のミサイルの話もありますけども、本当言うと、北朝鮮のミサイルなんかも高をくくっていて、「あんなの来ないよ」と思っているんじゃないかと思うんですね。だって、そうじゃないと54基も日本中に原発をつくってですね、そのほとんどを日本海側に作っているんですよ。あれは北朝鮮が、実際、拉致とかの話もあるし、拉致とかならば漁船かなんかで人を連れて向こうに行ったということだから。同じようなことを原発についてもすることができる。

 今、放射線の被曝が一定限度を超えてしまって働けない方がいるし、そういう人をだまくらかして何回も働かせることもしているみたいですけど、人手が足りなくて、使用している。その中で、原発の中の労働はどうなのかと知ろうとして、飛び込んで行って、私の知っている方でも中で現場を見るんだということで、被曝を覚悟で現地を見るということで、行っている方もいます。

 逆に言うと、人手不足で6次下請けみたいなかたちで、どんな人が来るかわからない状態でやっているわけですよね。その辺の管理ということも、結構杜撰になっているんじゃないかと思います。だから例えば、行って、右に回すねじを左に回して「やってきました」ということだってそんなに難しくないし、いろんなことができると思うのだけれど、そういうふうなことは可能性としてあまり考えないでおこうみたいな。とはいえ、原発という脆弱な部分ではそんなにゆるゆるで手抜きでやっているんだけども、一方で、「ミサイルディフェンスが必要だ」といって、ミサイルを撃ち落とすための、当たるかどうか、「当たらないのでは」という人もいるディフェンスシステムをすごいお金をつぎ込んで買おうとしている。

 結局原発にせよ、ミサイルディフェンスにせよ、利権が動くところがあるんであって、本当にミサイルが飛んでくるのを国民の安全のためにどうしようかってことを考えたら、原発そのものが一番危ないわけですから、そこんとこは、都合よく、いつも違う理由を挙げてやっているように私には思える。専門家の方のそういうところも見えてくるようになってきて、皆さんのような方々がいろいろ勉強をして、どうもおかしいんじゃないかと国民全体が気づき始めて、専門家というのが眉唾やなあこいつらは、となってきているんではないかというふうに思います。    私も役場におるので、官僚の、村役場の人も一応官僚なので、そこから国の上層部の人を想像しても外れているかもしれませんけども、一つは官僚のあり方ってのは、組織に埋没して個人責任をあまり問われないわけです。ですので、これがおかしいと思っても先例にならって今までのことを続けていれば、別に個人の責任ではないですね。組織として続けてきたことを継続するだけだから。それを変更するとなったら、自分が変更するわけで個人責任が発生してくる。それを覚悟でやらなければいけないとなっちゃうので、どうしてもずるずると引きづられていくことが多いんじゃないかと思います。

 たとえば、先ほどの繋がりで言うと、日本の戦争でも敗戦が明確になってもずっと続けていた。フィリッピンに戦争で行った評論家の方のお話なんですけども、「日本は本気で勝つ気はなかったに違いない」と、その方は書いていらっしゃるんですね。どういうことかというと、フィリッピンだからもうかなり攻め込まれている状況なんですけれど、日本が持って行った大砲は満州で、満蒙で使っていた大砲。今までの戦争で成果を上げてきた先輩の作戦みたいなものをそのまま満州から移動してきたわけですよね。満州だと遠くまで見渡せる平原の中でですね、距離を測ってバーンと打つというようなものなんだけど、フィリッピンはジャングルで、上も全然見えない、距離を測ろうとしても何も見えないようなところで、そういう地形の中では実効性がないような大砲を、何というか心の支えみたいに、坂道をえっちらおっちら押し上げて、それを我慢して、苦労して持って行くことが、自分たちのレーゾンデートル(存在理由)というか、そういうかたちになっていって、決してフィリッピンにおいてこの地形、このジャングルの中で、闘うにはどういうような武器でどう闘えばいいかという議論はあまりされないまま、ただ、苦労することに自己満足を得ているというふうな戦争だったと、その方は書いていらっしゃって、そうかも知れない。

 そう思って、ふと気がついたんですけども、有名な軍歌で「同期の桜」って、ありますよね。あれ、すごく変な文化だなって、思ったんです。気がついたんですよ。「同期の桜…」、最後は、「見事散りましょう、国のため」じゃないですか。勝つことは全然考えていないです、もはや。見事散ることだけが目的化している。見事に散るためには、巨大な敵に真正面から突っ込んで行って粉砕される。ぱっと散るのが美学であって、どうすれば勝てるのかは、もはや考えていない。そもそも、物量とか補給とか無理を承知でやった戦いだったと思うのですけど、いよいよ行き詰って、もう、勝つことさえイメージできない、死ぬことしかイメージできない、そんな戦争になっているにもかかわらず、「止めましょう」と言えない。ずっと持続するという、そういう変なことが起こっていて、それと同じようなことが今も、今までの先例を勇気をもって「改めよう」と内部から言う人がなかなか出てこない。そういう体制があるのかなと思います。

 だから我々、外からでもですね、皆が意見、生活している人、主婦、子どもたち、専門家でない人たちの意見を大きな声としてあげていく必要があると思います。   原発のことでもうちょっと言いますと、IAEAってのがあって、IAEAの基準が原発の安全性の基準であるかのような、最高の権威であるかのような雰囲気があるのですけども、IAEAは原発、というか、核物質を規制する、ある意味規制するんだけども、それを止めるための機関ではないんですね。IAEAは原子力の「平和利用」とか、安全な利用を推進するための機関であって、その安全性を確かめた上で、結局のところ、推進論の中の、安全性を確保しながらやるという話にしかならないから、基本は安全性を言っている限り、止めるとはなかなかならない。

 ドイツが原発をやめるのを決めたのは、ドイツにも安全委員会があるんですね。ドイツは安全委員会で原発をやめようと決めたのではなくて、倫理委員会、倫理という字は間違えずに書けると思うのですが。これでいいですよね、たぶん。倫理委員会はキリスト教の司教の方とか、社会学者とか哲学者の人たちも入っていて、科学者だけの集まりではなくて、宗教家とかも入って倫理委員会を開いて、その中で、わたしたちの今のぜいたく、今の便利さのために、ドイツの原発がどこのウランを使っているか知りませんが、日本だったらオーストラリアのアボリジニーの人たちが働いている比率の高い、被曝しながらやっている、ウラン採掘工場でも被曝するし、原子炉の中でも被曝するし、周辺の人たちもかなり広い範囲で被曝するし、何よりも未来の何十万年先の人たちにまで被曝、あるいは放射性物質の管理の義務を押し付けるようなことをする。そういうことをしながら自分たちが、利便性なり、ぜいたくをするというのは、倫理的に許されるのか、という判断のなかで、それは許されないということでやめることになったというお話です。安全性を問題としている限りは、どこかの専門家が「大丈夫です」と言うと、IAEAが大丈夫ということになり、再稼動しましょうという話になるので、そういう土俵でないとこで議論をしなくちゃいけないなと思います。

 専門家にまかせておいてはいけない。専門家の視点というのは、安全性だけの視点になるので、倫理的にどうなのか、自分たちの暮らし方はどうなのかとか、人間の幸せは何なのかとか、という風なことも広く考えて、物事を考えていかなければならないと思います。

 我々が発言することが大事ということなんですけど、どうしても我々、あんまり格好悪いことを言うとあれやからと言って、いまわたし、字を間違えると困るから書かなかったりしましたが、間違えを指摘されると困るから、理論武装して、勉強してから発言をしようというふうになりますけど、それも必要なことと思いますが、あんまり勉強とか完璧を期すことばかり考えるとタイミングを失しますので、ともかく嫌なことは嫌、へんなことはへんじゃないのと言ってしまったほうがいいと思います。言うと、いろんな人が、君は全然わかってないとか、いろんなことを言ってこられるわけです。君の民主主義の理解は幼稚で愚かだと言ってこられる方もいらっしゃるし、そういう方の意見を聞くと、向こうの方が愚かじゃないのかなと思ったり、ああなるほどな、確かにそうだなということもあるから、自分で一から勉強するよりも、ある程度のところで言ったほうが、そうするとみんなに正していただける。批判というのはほんとうにありがたいことで、批判から学ぶことができる。ああなるほどということが、まわりがみんな先生になるわけですから、ほんとにありがたいことなので、どんどん間違いを覚悟で、批判にさらしていくことによって、そこから、ここは間違うけども、そこのところはおもしろいねと、だれかが食いついて、そこのところを、さっきのミームじゃないですけど、そこを深めていただいて、深化させる人も出てきますから、ともかくみんなで考えていくことが大事だと思います。

 原発のことから、政治というか憲法の話に行きますか。政治のプロ、専門家、政治で食べている方々、政治で稼いでいる方々の一部の人たちが、こんど、憲法を変えるんだということを言い始めていらっしゃるということでございます。夏の参議院選、それからしばらくのところまでは猫をかぶっていて、まず改正手続きの96条を変えて、それから9条も次に変えるということだと、思われます。良く言われるのは、現行憲法の9条は、世界の現状にそぐわないと、現実に全然適していないじゃないかと、だから現実に合わせて現実的な憲法にしなくちゃいかんと、言われます。だけども敗戦直後、敗戦のあとで平和憲法ができるという時に、わたしは残念ならが生まれていませんでしたが、その当時のみなさんは、ほんとうに平和憲法を喜んで、賞賛して、褒め称えたわけですよね。なぜかと言うとその時のみなさんがたは、戦争の現実を、一番骨身に沁みて知っていらっしゃった。戦争の現実を知っている人は、平和憲法のすばらしさを評価する。だけれども戦争の現実を忘れてしまった、いわゆる平和ボケの人たちですよね、平和ボケの人たちが世界の現状に合わせて、戦争のできる普通の国にしなくちゃいけない、普通の国というのは、言い換えれば志のない国ということですよね。志のない、志の低い、現実に妥協してゆく、そういうつまらない国にしていこうというのが、戦争の悲惨さを知らない、忘れた、平和ボケの人たち。戦争のことをいやというほど知った、戦争の現実を知った人ほど、9条というのは、正しいんだと、りっぱなものなんだということを、理解しているんだと思います。

 敬老の慰問というのを村でもやります。100歳とか、99歳の方とかまわっていくのですが、戦争体験を聞くと、ほんとにいろいろです。ある方は、モールス信号の教官として金沢だったか、富山だったか、わたしの前の前の前の村長さんがまだ御存命なのですが、そこにいらっしゃった。ある方は南の島にいたけども、米軍が飛び石でいって、飛ばされちゃったから、頭の上を米軍の飛行機は飛んでいったけど、自分たちはひたすら魚をつかまえることと、芋を作ることだけで日がな、日がな暮らしていた。工兵としてベトナムに港を作っていた人、闘う兵隊というより、土建屋さん的な兵隊さんで行ってたから、実戦経験はないとおっしゃる方、ある方は千葉の方にいたけど、二等兵だったけど、隊長付の身の回りの世話をする係りでいて、兵営にも入らず、その隊長さんと一緒に地元のお屋敷にいて、食べ物を隊長さんがいい人だったから、けっこういいものを一緒にもらっていたと、そんなお話を聞きます。

 だから生き残って帰ってこられた人はほんとうにラッキーだった人で、そうじゃない方もたくさんおられるけれど、ほんとうに苦しいつらい思いをした人はなかなか口にできないと思う。懐かしがれる、恵まれた経験の人は、戦争はこういうものだったんだ、最近の若い者はなってない、もう一回鍛え上げないといかんと言うけれど、そういう風に戦争について語る人の多くは、恵まれた戦争体験を持った人ではないかなと思います。一番恵まれていない人は話すことはできない、亡くなった方、食べ物がなくて飢え死にした人、凍え死んだ方、マラリアでうなされながら亡くなった方は、その苦しみを絶対に後世に伝えることはできない。今はもはや戦争体験もなくて、幼年学校とかで、お互い切磋琢磨して鍛えたとか、そういうのが戦争体験として語る人になっている部分もあるのかなと。

 アメリカ軍もイラクに行って、PTSD、心的外傷後ストレス障害というのがあって、それは自分が恐かっただけでなくて、間違えて市民を殺してしまったとか、撃ったらそこに子どもがいて、小さな子どもを殺してしまったとか、というのがすごい大きな心の傷になるわけです。そういう方は自分自身、悩みもがいて、なかなかその事を語ることはできないというふうに思います。永久に変わらない戦争の真実かなと思います。

 現実と理想ということなんですけど、戦争の現実を知っていたら、理想を目指さなければいけないと思う。それが戦後、戦争直後に、平和憲法を受け入れたみなさん方の考えだったと思います。憲法の前文には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と、「崇高な理想と目的を達成する」、最初から憲法は理想を目指していくよという話であって、憲法が理想主義で現実から乖離しているから、だめだというのは、そもそも最初から百も承知で、この戦争だらけの、みんなが苦しんでいる、有情が苦しむ、この世の中の苦しみを少しでも減らすような世界にしていこうよと、世界中が、日本人だけでなくて、ということが現行憲法には謳われておるわけですから、それを、理想を実現するというのが、憲法の精神だと思います。

 映画で『私は貝になりたい』というのがありましたね。フランキー堺が主人公で、オリジナルは。テレビでもスマップの方が主人公をして、リメイクもされてましたけど、散髪屋さんが赤紙で召集されて、自分まで行くことはないだろうと思っていたら召集令状が来て、捕虜を銃剣で突けと、ヒトツというかたちで中国では広く行われていたようですけど、それをさせられて。そんなことは満足にできなかったにもかかわらず、断れなかったけど、上手にできたわけでもないのだけれど、だけれどもBC級戦犯として裁かれた。で死刑になった。なぜそんな嫌だったのに断らなかったのかと言われて、そんなことを日本の軍隊で言えるはずがないじゃないかと。自分の考えなんかは、日本軍では言えないんだと。そう言いながら死刑になってしまうというお話なんです。たしかに、ヒトツでゆけと言われた時にいやですと言えたかもしれないけれど、それを言うのは難しかったかもしれない。そしたら召集令状が来たときにいやですと言えたかもしれない。これは少しバーが低いかもしれないが、難しかったかもしれない。その主人公もきっと、提灯行列したりとか、勝った、勝ったと言ったり、となりの若い人を万歳で見送ったりとかしてたと思う。それよりもっと早い段階で、嫌やと、若い人を戦争につれていくなんてことは、良くないじゃんと、もっと関心を持って言っていれば、そうはならなかった。どうかわかりませんが、戦争なんで。その過去のことを思って、今はどうなのかと思うと、早い段階で、嫌なことは嫌、おかしなことはおかしいと言っていかなくてはいけない。直感的で、理論武装する前であれ、と思います。

 それを言うべきときはいつなのか、言えるのはいつなのかというと、ひょっとすると今なのかもしれない。憲法が変わってくると、こういう集会は公共の秩序に反するということで「弁士、注意」みたいなことをあのあたりから、言われる時代になるかもしれない。言えるときは今から言っていかないと、どうなるのか。じわじわとゆで蛙の話がありますけども、言わないと、と思ったときは、全然言えない状況になっているということがありうるかと思いますので、それは大事なことかなと思います。ほんとうにそういう意味では、河原井さんと根津さんとしっかりと発言をしていただいていたわけですし、それに続いてわたしたちもきちんと言って、お互いに考えを深め合って負けない声にしていかなければいけないと思います。

 思いつきなんですけど、自分でそれをやる技量と時間がないので、誰かやってほしいと思っているんですが。こういうインターネットのホームページみたいなものなんですけど。いまの憲法がこっち側にあって、こちら側に自民党の出している変更案。たとえば、自民党案にしかないのもあるだろうし、現行憲法にあるのでも自民党案には消えているのもある。対照して見比べられるようにしてあって、いろんなところにいろんな人が、この憲法だとこんな風になるんじゃないのということを、具体的に我々の生活の中で、どういう影響が出てくるのかということを、それぞれみんなが想像したやつを書く。だから専門家、憲法学者のも大事なんだけど、わたしたちの想像力で、これはこんなことになるんじゃないのかとか、あるいは、こういうことを目指しているんじゃないかと、裏ではと、推察して書いていく。そうすると見た人が、アホなことを書いているなと思う人もいるかもしれないし、ああ確かにそうかもしれんと、そうなってくると信憑性のあるもの、みんなが納得するものはミームとして広がっていくわけですよ。

 たとえば、どういうことをわたしだったら書くかというと、さきほどの憲法前文のところで言うと、「和を尊び」というところがあると、その和というのは、統治する側が、統治される側に批判させないムードつくりをさせようとしているのではないかと多分書き込むだろうし。その「和を尊び」のあとには「家族や社会全体が互いに、助け合って」と書いてあるんですけど、それは例えば介護ですとか、あるいは生活保護とかそういう風な問題、いま社会でそういうものを救済していかないと破綻するところを、またもとに戻す。生活保護でも申請すると、どこかに親戚がおるのとちがうかという話になったり、縁の切れた親戚なんかにも連絡するような話は今でもありますが、もっとそれをはっきりと家族の中で支えあっていくべきだと言うとか、障がい者の方とか高齢者の方とかを、公的なことではなくて、家族の中で支えるのが日本人の道徳ではないのかと、言われるのではないのか。家族や社会が助け合ってという裏には、そういうことが隠されているかもしれないんじゃないのと。というようなことをこういうところに書く。

 それから第二章では、現憲法では「戦争の放棄」というタイトルですが、こちらでは第二章は「国防軍」というタイトルになっておりまして、国防軍の活動ということでは、「国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し」と書いてあるんですが、「国際的に協調して行われる活動」というと、おそらくは集団的自衛権とか、そんな話にすぐつながってくるんじゃないかと誰もが思うと思う。そういう可能性が伏線としてすでにしのびこんでいるんじゃないかと。それから国防軍の仕事として「公の秩序を維持し」と書いてあるけれども、それは治安活動、たとえばデモとか、集会とかそういうものにいま機動隊が対応していますが、それに対して国防軍が、対応すると。シリアとかで、いま自国民とシリア軍が、血みどろになっていますが、そんなことも想像されるのではないかなと。公の秩序のためには国防軍は出る、つまり国民に銃を向けるということ、公の秩序に反する国民には銃を向けますよということではないか。そんなことをずっと書いていきますと、あーなるほどなるほどと。ここをクリックすると違う場面で東京都I・Sさんのこうではないかしらというのが一杯書いてあって。そうするとみんなで、専門家に託するのではなくて、みんなの意見で検証していくことができるかなと。ぜひそういう風なことができる人がいらして組織的に運営できれば、やっていただきたいなと思います。

 原発も再稼動になりましたし、憲法も変えるということもある意味、着々と進められているような感じもあって、この間の選挙の結果も脱力感というか、知事選なんかもいろんな感じをお持ちでないかと思うのです。

 ここ数年、元旦に映画を観ることになって、去年か一昨年は、マイケル・ジャクソンを観ましたが、今年は『レ・ミゼラブル』を観ました。何も考えずに家族について行っただけなのですが、けっこうその割には感動したのです。ご覧になった方も多いですか? いらっしゃいます? 舞台はフランス革命なのですが、その中に小学生くらいのバリケードの中にもぐりこんでいる男の子がいるんですが、その子の歌だったと思いますが、「王様を倒したと思ったらまた無能な王様がでてきた」という話をしておるんです。私は世界史に詳しくなくて、もう一度調べたら、バスチーユがあってギロチンがあってということで、フランス革命と思っているんですが、ほとんどの方はわたしより詳しいと思うんですが、バスチーユを襲撃してギロチンで王様の首を落としてフランス革命がなりましたと。そこから40年か50年くらいかかっているんです、まがりなりにも国民国家になっていくのには。王政が復活してきたりとか、いろんなことがあって。

 あまり、一喜一憂せずに、持続的にしっかりと足をつけて、言うべきことを言う、嫌な事は嫌、変なことは変と言い続けて、それを一人一人が言うことも大事だし、連帯していくことも大事だし、批判しあうことも大事だと思うし、そうやって考えを深めながら、持続していくことによってできるのではないか。

 ついこの間、中川村に高橋哲也先生、東大の先生ですが、『国家と犠牲』とか『犠牲のシステム 福島・沖縄』を出していらっしゃる。その方がいらして「現行憲法は、進駐軍によって与えられた憲法だからと戦後レジームをなくすんだといってこっちに変わる」という話なんですが。戦後レジームと言いながら米軍支配にますますのめりこむというのが、非常に変な話だとおっしゃっていました。

 確かに現憲法も進駐軍というか、マッカーサーの影響は大きいし、もうひとつ前の明治憲法は、明治天皇からお下しいただいたものであって、国民が作ったわけでもないし、現憲法においてもマッカーサーの影響は大きい。それは確かにそうなんだろう。今度こそ、本当に、もし憲法を作るとしたら、我々自身の、国民の力で憲法を作らなければいけないと思います。でもこの憲法(自民党変更案)は、国民が作っている憲法ではないですよね。一部の統治する側が統治しやすいような形で、変えようとしているやつだから、これは全然国民の憲法になってない。国民国家、国民の憲法とするためには、まず国民自身が、それを担えるところまで自分たち自身をきたえあげていく必要があるかなと思います。

 中川村の公式ホームページというのがあって、そこに、村長の部屋というのがあります。そこには村長への手紙というので、いろんな御意見をいただいている部分と、村長からのメッセージという部分で、わたしからのそれこそ批判にさらすために、さらしものにしている自分の考えがありますので、ぜひ見ていただいて御意見をいただけるとありがたい。今回の国旗に礼をする、しないという話のほかに、TPPの話、TPPをすると中山間地の共同体そのものが破壊されてしまうのではないかという危惧に基づくところの議論とか、あるいは無防備平和地域宣言というのがありまして、うちのところは兵隊さんとか、軍事施設とかは入ってこないでくださいということを事前にしておいて、自治体単位で軍事化に反対していこうという運動があるんです。そのへんのこととか、あるいはベーシックインカムのこととか、あるいは「英霊にこたえる会」の会長さんに、お手紙をだしてどんなやりとりがあったりとか、いろんな興味もっていただけるかもしれないお話が、いろいろありますので、ぜひ読んでまた御意見いただけたらうれしいと思います。

 それからさっき釈尊の教えというのが、一番ベースにあるんだということを申しあげましたが、そちらの方も、それは個人のホームページに書いておりまして。合わせて社会的な問題と自分の考えている釈尊の教えとつなげて本にしたらどうとお声がけをいただいて、春ぐらいに出るかどうかわかりませんが、そんなこともありますので、もし御興味ありましたら、一番根っこのところから、今日はそこまでお話できませんでしたけど、ある程度はふれておりますので、そういうところもまた御批判いただけたらうれしいなと思います。そういうことでちょうど時間となりました。たいへん、ありがとうございました。

 →なお講演内容はユーストリーム録画でもご覧になれます。質疑部分もあります。ユースト録画


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