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●根津公子さんからのメッセージ

―間違っていると思うことには従わない、長いものに巻かれずに、自分を生きよう

東京都の教員根津公子さんがこの3月定年退職を迎える。根津さんは、都の「日の丸・君が代」強制に抗して不起立を続けてきた。今年の卒業式が最後の不起立になる。不起立に対する都の処分は苛酷をきわめ停職6ヶ月を3回も根津さんに課した。しかし、根津さんは、停職中も学校の門前に立ち、生徒や保護者たちと対話を続けた。根津さんは、退職するにあたり自分の思いをメッセージにした。これは若い教員あてに書かれたものだが、私たちすべてが受け止めるべきメッセージではないか。(S)

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 もうすぐ卒業式
「日の丸・君が代」の強制について考えてみませんか?

東京の学校が子どもたちのものではなく、都教委の支配物に化してしまったことは、皆さんも痛感されていることだと思います。東京の教育行政が大きく転換したのは、石原都知事2期目の2003年であり、その象徴が10・23通達でした。

私はこの3月に定年を迎えます。最後の卒業式でも、教育に反する職務命令には従いません。間違っていると思うことには従わない、長いものに巻かれずに、自分を生きようという子どもたちへのメッセージを込めて「君が代」不起立をします。直接的には子どもたちへのメッセージですが、この2〜3年は、若い教員たちへのメッセージとも思っています。

以下に、教員の一人としての私の考えるところを記します。是非、ご一緒にお考えください。  

1.10・23通達=「君が代」起立の職務命令発出の目的は子どもたちへの国家意志の刷り込みと教員の隷従化

不起立の教職員を処分する理由について都教委は、「起立する教員と起立しない教員がいると、児童・生徒は起立しなくてもいいものだと受け取ってしまう(だから不起立教員を処分するのだ)。」と裁判で主張しています。   小学校入学の幼い時から「日の丸・君が代」に親しませれば愛着を持つのは当たり前。「日の丸に正対し、君が代を起立し斉唱する」ものと子どもたちに刷り込むために、その邪魔となる起立をしない教員を処分し、ゼロにするのだとあからさまに言います。さらにそれを徹底させるために、都教委は教員が「内心の自由の説明を生徒にすることを禁止する」通知(2004年)を出しました。最近では、「起立をしない生徒がいたら、その生徒が立つまで式を始めない」と式の冒頭に宣告する(させられる)学校が現れています。子どもたちに国家の意志を刷り込む、反抗する者は子どもたりとも見逃しはしない、とするものです。

10・23通達の目的は、直接的には、一人の例外なく「君が代」起立・伴奏の職務命令に従わせることにありますが、それを突破口にして、都教委の意志通りに動く教職員及び学校体制にすることにあります。

それを裏付ける都教委発言をあげます。10・23通達を発出した同日に、都立学校の校長を集めた「説明会」において、横山教育長(当時)は「卒業式、入学式で着席のままの教職員がいるが、これは運営の妨げである」「(卒業式等の適正実施は)儀式的行事の問題にとどまらず、学校経営の問題である」と、臼井人事部長(当時)は「教職員を職務命令に従わせることが大事」と発言。2004年4月に全都の校長を集めた会では、鳥海巌教育委員(当時 元丸紅会長)が、「(不起立教員は)半世紀の間につくられたがん細胞みたいなものですから、…少しでも残すとまたすぐ増殖してくる。徹底的にやる。あいまいさを残さない」と発言しました。

また、同じ4月の会で米長邦雄教育委員(将棋士)は、「校長先生は一国一城の主ですから、とにかくその一点でやってまいりました。この数年間に東京都の教育委員会が行ったことは、とにかく校長を助ける、味方をする。校長に楯突く者、あるいは校長をいじめる者は徹底的に教育委員の権限において、決定的に校長のためにやったはずであります」と校長たちに檄を飛ばしました。

 現実は、都教委の打ち出した「職員会議での挙手採決禁止」に対し、「職員の考えを把握しなければ学校運営はできない」と、反対の声をあげた三鷹高校校長であった土肥信雄さんは、定年後の再任用等を不採用にされました。校長とて、都教委の指示命令に異を唱える者は排除するという事例です。都教委にとっては、校長が都教委に意見するなど、想定外だったのでしょう。

 抵抗する少数の者を弾圧し見せしめにすることで、他の教員を委縮・沈黙させ、隷従させる。さらには、都教委の思いのままに飼い馴らすということです。

学校はすでに、そのような状況にあるのではないでしょうか。処分や異動、業績評価の脅しに委縮し、あるいは発言しても無駄と諦め沈黙し、校長を介した都教委の指示に教員が従ってきたことによって、都教委の狙いは貫徹されてきました。

2.「君が代」のウタと「日の丸」のハタ   十六 日の丸の旗

 どこの國でも、その國のしるしとして、旗があります。日本の旗は、日の丸の旗です。朝日が、勢いよく、のぼって行くところをうつした旗です。

 若葉の間にひるがへる日の丸の旗は、いかにも明かるく、海を走る船になびく日の丸の旗は、元氣よく見えます。

 青くすんだ空に、高々とかかげられた日の丸の旗は、いかにもけだかく、雪のつもった家の、軒先に立てられた日の丸の旗は、何となく暖かく見えます。

 日の丸の旗は、いつ見ても、ほんたうにりっぱな旗です。
 祝祭日に、朝早く起きて、日の丸の旗を立てると、私どもは、
 「この旗を、立てることのできる國民だ。」
 「私たちは、しあはせな日本の子どもだ。」
と、つくづく感じます。

 日本人のゐるところには、かならず日の丸の旗があります。どんな遠いところに行ってゐる日本人でも、日の丸の旗をだいじにして持ってゐます。さうして、日本の國のおめでたい日や、記念の日には、日の丸の旗を立てて、心からおいはひをいたします。

 敵軍を追ひはらって、せんりゃうしたところに、まっ先に高く立てるのは、やはり日の丸の旗です。兵士たちは、この旗の下に集まって、聲をかぎりに、「ばんざい。」をさけびます。

 日の丸の旗は、日本人のたましひと、はなれることのできない旗です。

(1942年発行 国民学校初等科修身1)

第二十三 國歌
「君が代は、千代に八千代に、さゝ゛れ石の いはほとなりて、こけのむすまで。」
とほがらかに歌ふ聲が、おごそかな奏樂と共に、學校の講堂から聞こえて來ます。

今日は紀元節です。學校では、今、儀式が始まって、一同「君が代」を歌ってゐるところです。
どの國にも、國歌といふものがあって、其の國の大切な儀式などのあるときに、奏樂に合はせて歌ひます。「君が代」は、日本の國歌です。我が國の祝日や其の他のおめでたい日の儀式には、國民は、「君が代」を歌つて、天皇陛下の御代万歳をお祝ひ申し上げます。 「君が代」の歌は、我が天皇陛下のお治めになる此の御代は、千年も万年も、いや、いつまでもいつまでも續いてお榮えになるやうに。」といふ意味で、まことにおめでたい歌であります。私たち臣民が「君が代」を歌ふときには、立って姿勢をたゝ゛しくして、靜かに眞心をこめて歌はねばなりません。人が歌ふのをきいたり、奏樂だけをきいたりするときの心得も同様です。

外国の國歌が、奏せられるときにも、立って姿勢をたゝ゛しくしてきくのが禮儀です。

 (1937年尋常小学校修身書巻四)

天皇と天皇制賛美、愛国心などを「礼儀」として感覚的に、つまり説明なしで刷り込み、やがて、「お国のために」死ぬことをいとわない「皇国民」をつくることに、当時の教育の目的はありました。 10・23通達下の東京の学校は、この教育に酷似したものになり始めています。都教委は、起立斉唱行為を「通常想定される儀礼的所作に当たる行為」と言いますが、その言い方も、かつての「礼儀」と同じです。たとえ、儀礼であったとしても、それを科学するのが教育行為のはずですが、「日の丸・君が代」が歴史的に誇れるもの、説明のできるものではないから儀礼と逃げるのでしょう。

起立斉唱行為は「儀礼的所作」などではなく、「国家忠誠儀礼」です。それを堂々と都教委が主張できないのは、そうやって国民を侵略戦争に駆り立て、不正義の戦争故に負けた歴史があるからです。 再び「お国のために」命を捧げる子どもをつくってはなりません。「日の丸・君が代」の強制と処分の先に待つものを歴史に学び、想像すべきと思います。こんな懺悔をしないように。

戦死せる教え兒よ
                  竹本 源治

逝いて還らぬ教え兒よ
私の手は血まみれだ!  
君を縊つたその綱の  
端を私も持つていた  
しかも人の子の師の名において  
嗚呼!  
「お互いにだまされていた」の言訳が  
なんでできよう  
慚愧 悔恨 懺悔を重ねても  
それがなんの償いになろう  
逝つた君はもう還らない  
今ぞ私は汚濁の手をすすぎ  
涙をはらつて君の墓標に誓う  
「繰り返さぬぞ絶対に!」  
     『るねさんす』44号(1952年)より

3.戦後教育における「日の丸・君が代」復活の変遷 ――経済不況 戦争準備に欠かせない「日の丸・君が代」「愛国心」教育

 他国を侵略し、死ぬことをいとわない忠君愛国の精神を持つ子どもをつくってしまった戦前戦中の教育。それへの反省から戦後の教育は、軍国主義・国家主義を排し、国家の教育への介入・支配を禁止し、日本国憲法が示す「理想の実現は、根本において教育の力に待つべきものである」(47年教育基本法)と謳って始まりました。「日の丸・君が代」も学校教育から姿を消しました(「日の丸」はGHQの指示で)。

 しかしその理念は、政治の力関係により動かされてきました。歴代自民党政権は、天皇、「日の丸・君が代」、愛国心を教育に持ち込もうとしてきました。

1950年朝鮮戦争勃発とともに教育界もレッドパージ、教育統制を始め、60年には日米安保条約締結となります。その時期、文部省は58年、「教育の正常化」と「学力の向上」という名目の下、勤務評定実施に、61年には全国学力テストに乗り出しました。そして、58年改定の学習指導要領に「国旗を掲揚し君が代をせい唱させることが望ましい」と入れました。77年改定では、「君が代」を「国歌」と書き換え、天皇代替わりの89年改定では、「指導するものとする」とし、これをもって一気に卒業・入学式に「日の丸・君が代」を強制していきました。

 国旗国歌法制定の1999年は、日米防衛協力のための指針(「新ガイドライン」=英訳では「War manual」)、関連法である周辺事態法、改正自衛隊法など、それまでの一線を超えた法が成立した年でした。この年の卒業式を前に、広島県教委の圧力に世羅高校の校長が自死するという事態が起きていました。

 文部行政のもくろみ・攻撃に対して、50、60年代は日教組が下からの声を受けて闘いを組めてきたことで、それを阻止してきました。89年に総評解体、組合分裂があり、組合が弱体化するのと比例して、「日の丸・君が代」の強制が進んできたことは言うまでもないことです。

一方経済は、1990年代半ばには、新自由主義・非正規雇用の国家政策をとり始めていました。そして今、先の見えない長い経済不況と不安、まさに先の戦争勃発時と同じ状況にあります。

御手洗富士夫・前日本経団連会長が「経済的な格差…は、経済活力の源であり」「経済改革は愛国心とセットになって初めて成功する」(2006年)と発言したことに示されるように、失業や低賃金に怒りを持たず、自己責任と受け止め、あるいは他国に敵がい心を燃やすことで不満のはけ口とする、国民育成のため、国は「愛国心」「日の丸・君が代」教育に執着してきました。

国旗国歌法制定時には法制化に反対票を投じていた菅首相は、今年1月27日の国会で、「国旗国歌法をしっかりと順守していく」と答弁したことに示されるように、政権が民主党に変わっても政治姿勢は変わりませんでした。

4.なぜ、「君が代」不起立なのか

 歴史の中で「日の丸・君が代」を捉え、都教委の意図を見るならば、10・23通達に反対し、「君が代」不起立・不伴奏を実行することは当たり前のことのはずです。でも、その当たり前のはずであることが特別視される中ですので、それを敢えて言葉にしてみます。

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 子どもたちに「日の丸・君が代」の意味も歴史も教えずに、「国旗に正対し国歌を起立して斉唱する」行為を指示し、従わせることを教育行為と捉える教員は、まずいないでしょう。「形から入る」などととんでもないことを言う人がいますが、道理を理解させず、意思を確認せずに従わせることは刷り込み・調教、暴力・体罰であって、教育と対立する行為です。

 教育は、「教師と子どもの間の直接の人格的接触」(旭川学テ最高裁判決文)の中で教員が子どもを受容するところから始まります。知識・資料をもとに考え、意見を交わし合い、自らの考えを形成する、その活動への働きかけが教育であり、教員の仕事だと思います。教員は、人格を持った一人の人間として子どもたちに向き合うことになります。世論の分かれる問題については、異なった考え方やその分布状況を説明するだけでなく、教員が自己の良心に照らし考えるところを示すことが求められます。そうした人格的接触を通して、子どもたちは考え、自己の意見や「人はどう生きるべきか」という良心を形成していくことになります。教員が、自身が正しいと思う気持ちを隠し、それに反する行為をさせられ、しているのでは、子どもたちは人格的接触も良心の育みも不可能であり、教育は成立しないと思います。

 このように考え教員をしてきた私は、子どもたちとのかかわりのすべてにおいて、指示命令や暴力(90年代半ばまで、体罰を「強い指導」と称し教育行為として行っていた学校や教員は多い)を排除し、子どもたちが自分の頭で考えることのできるよう、資料を提供し、投げかけをしてきたつもりです。「日の丸・君が代」についても学習指導要領に「指導するものとする」と明記するようになった1989年からは教材プリントをつくって授業をし、子どもたちの身近にいる大人の一人としての私の考えも明らかにしてきました。10・23通達以降は、プリントを用意することは自粛してしまいましたが、「日の丸・君が代」の歴史や私が起立をしない理由を生徒に話し、その上で「君が代」不起立をしてきました。子どもたちが自身の意見形成を阻害され、指示に従わされることに教員が加担してはいけない、あくまでも教育活動を行おうと思ってきました。  

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 国旗国歌・「日の丸・君が代」、「愛国心」が強調されるとき、それは国民が他の国を憎み、自国の政権を無批判に支持同調し、政権の意図するままに国民が動員されようとするときです。 10・23通達発出当時とは比べようもないほど今、解雇や非正規化が当たり前となってしまいました。格差をつくる新自由主義経済が破たんし、その再生を求めるアメリカがいつ北朝鮮や中国に戦争を仕掛け、そこに日本が巻き込まれても、あるいは進んで参戦していってもおかしくない状況にあります。昨年11月23日の北朝鮮から韓国への砲撃事件に乗じて菅内閣は「動的自衛力」なるものを打ち出し、自衛隊法や周辺事態法の改悪などにも踏み込もうとしています。これは、まさしく戦争の準備です。歴史を見ても、大失業と戦争はセットのものです。

こうした社会状況の変化の中で、貧困は自己責任と受け止め、低賃金不安定労働にも「職にありつけるだけマシ」と文句を言わない従順な労働者が、また、戦争ともなれば「正義の戦争」を言う国家の宣伝に躍らせられ、「愛国心」を発揮して進んで軍隊に入る国民が必要となります。「日の丸・君が代」の強制はこうした意図を持って、国民が気づかない段階から始められていたということです。

戦後教員をされてきた北村小夜さんは、ご自身が受けた学校教育の中で当時の教員の言動に影響を受けて軍国少女に育ってしまった体験から、「戦争は教室から始まる」と言われます。「私を教えた先生たちの中にも、本当は戦争に協力したくなかった方もたくさんいたはずです。でも、誰もはっきりと問題点を指摘したり、抵抗の姿勢を示したりする人はいませんでした。抵抗の姿勢を示さないということは、協力していること、賛美していることと同じなわけです。だから私は軍国少女に育った」のだと。

このことは、今再び、今の教員たちがしてしまっていることだと私は思います。

10・23通達発出直後の2004年卒業式と入学式では200数十名の教職員が不起立・不伴奏をしました。しかし、年を追うごとに不起立者は少なくなり、子どもたちが先生たちの不起立を目にすることはほとんどなくなりました。子どもたちは、多くの先生が「日の丸・君が代」やその強制に反対の気持ちや疑問を持っているということを知る機会がないのですから、「君が代」に起立する先生たちの姿を見て、先生たちは「日の丸・君が代」を尊重していると受け取ります。「君が代」斉唱時に会場にいなくても、その教員が「日の丸・君が代」に対して沈黙をしているのであれば、子どもたちにとっては、起立する教員と同じに映ると思います。まさか、教員たちが起立斉唱に疑問を持ちつつ、その行為をしているとは想像しないでしょう。このようにして今、私たち教員は、「子どもたちを再び戦場に送」っています。そのことに教員は自覚的であるべきと思います。次に紹介する私の体験をもとに、その点を強く指摘します。

不起立を続け、異端の立場に置かれた私は、教員の起立する姿を通して子どもたちが「日の丸・君が代」を尊重するものと認識するようになったことを、2006年度赴任した町田市鶴川二中で体験しました。生徒たちは、「君が代」に起立しない私に対して、「ルールを守らないならば教員を辞めろ」と「非国民」扱いをしました。この生徒たちの反応は、それまで私が勤務した学校では見られないものでした。同僚たちは「日の丸・君が代」の強制に反対の気持ちを持ち、職場の雰囲気は友好的でしたし、私のことも心配してくれましたが、生徒たちのこの反応には沈黙をしました。「日の丸・君が代」の強制と処分がもたらす空恐ろしさ、次のターゲットにされかねない恐ろしさゆえのことだったのでしょう。

 2006年度の生徒たちは、自身の小学校の卒業式が10・23通達以降に行われ、教員から「日の丸・君が代」について話を聞くこともなければ、不起立する姿を見ることもなかったのです。子どもたちは「日の丸・君が代」・国旗国歌は、さらには国は絶対であり、その指示には従うものという思考、そして、批判する少数者は排除すべきという思考を身につけていったのです。教員の沈黙によって子どもたちが非常に速い速度で「少国民」になっていったということであり、それは、昔も今も同じです。

 「非国民」である私が存在したから子どもたちの急速な変化が表出したのであって、もしも私が鶴川二中に赴任してこなかったなら、この変化は顕在化しなかったものです。

生徒たちから学び、勇気をもらって

私は子どもたちに、「流されずに、自分の頭で考え、行動しよう」「長いものに巻かれないように」と言ってきました。そう言ってきた私は、起立をしなければ処分をされることがわかっていても、間違った職務命令に従うことはできませんでした。2005年3月を迎えるに当たっては、2004年時点で都教委が「3回不起立したら免職」と言っていることを校長からも伝えられていたので、悩みました。また、市教委を介して都教委から連日「根津を指導したか」と言われている校長の憔悴しきった姿に、不測の事態が起きてはいけないと悩み、卒業式前日に「途中まで起つ」と校長に伝え、当日は途中まで起立をしました。生徒たちには最後の授業で「日の丸・君が代」の歴史と私の気持ちを話した上で、「首にされたくないので、間違っていると思うけれど起立してしまうかもしれない」と言い、詫びて式に臨みました。

「国歌斉唱」と司会が発声するや、心臓がバクバクしました。生徒たちのかなりが私を凝視しています。やがて私の脳裏には、日本軍が侵略した中国で、銃剣を持たせられ、中国人の捕虜を「突け」と命令された初年兵の姿が出てきました。私は、「お前は突くのか」と問われているよう。「ここまで起つ」と伝えていた歌詞まで来て着席し、「突かなくてよかった。首にされたとしても、もう、金輪際こんなことはやめよう」と思いました。この頃は、教育に反する間違った命令に従うことはできないという気持ちが一番強かったです。

続く2005年4月の入学式の不起立で停職1カ月処分を受け、私は毎日、校門前に「出勤」し、勤務終了時刻までそこに留まりました。危害が加えられるかもしれない怖さを持ちながらも、私は間違ったことはしていない、仕事をする意思がある、という意思を示そうと思っての行動でした。この停職「出勤」で、通行する方々から声援を受け、時にはカンパをいただくこともありました。また何よりも、生徒たちが応援してくれました。下校時に立ち寄っておしゃべりをしていく生徒たちで、校門前はにぎわいました。そうした中で一人の生徒が、私が掲げたプラカードの横に、自分でつくったプラカードを並べました。その生徒は、卒業間近になった頃私に告げました。「根津先生を見ていて、おかしいことにはおかしいと言っていいんだということがわかりました。私はこれからそう生きていきます」。

「先生はすごい」と評価するのでなく、自身の生き方を考えるきっかけにしたことに、私の方が学ばされました。「先生がこうしていることを我が子が目にし、今はわからなくてもいつかこのことの意味が分かる時が来ると思います。ありがとうございます」と告げてくださった保護者もいます。こうしたことがあって、停職「出勤」をする意味を確認させられ、以降、毎年続けることにしたのです。 2006年度には、「非国民」のような扱いを受けながらもめげない私を見て、学んでくれた生徒が何人かいます。その一人は、「先生を見ていて、いやな時にはいやと言っていいんだとわかりました」と、授業・教員評価の用紙に書いていました。この生徒はこれまで、「なぜ皆がすることをできないのだ」と責め続けられてきたのではないだろうか。同調しない者を容赦しなくなった地域や子どもたちにこそ、停職「出勤」で私の姿を晒していこうと思うようになりました。

こうして私は、不起立も停職「出勤」も「日の丸・君が代」の授業の一環と考えるに至りました。

2007年度からは特別支援学校に異動させられ、大勢の生徒に話をする機会がないので、今の中学生が「日の丸・君が代」に対してどのような認識なのかはわかりませんが、2006年度の鶴川二中の生徒たちの認識状態が定着しているのではないかと推測します。 2007年度以降も私は子どもたちに「日の丸・君が代」についての話をし、私が起立できない理由を話しています。保護者にも話をしていますが、それで信頼が阻害されることもありません。

私がこのように行動してきたことについて、「根津は強いから」とおっしゃる方がいますが、そうではありません。私の問題、との思いが強いかどうかということだと思います。

ぐ太郤之輔さんのご発言

安川寿之輔さん(名古屋大学名誉教授)は、「日の丸・君が代」の強制に対する教員たちの姿勢について次のように発言されています(運動〈経験〉・32号2010.12)。

「強制収容所への『ユダヤ人輸送』の任務を遂行して死刑となったドイツのアイヒマンという人物がいました。人一倍真面目に、時にはクソ真面目に働く私たち日本人は、常に国家や上司の命令・指示に忠実な『潜在的アイヒマン』になる可能性を持っています。私は今の日本の『日の丸・君が代』の暴力的強制の教育実践の犯罪性を深刻に懸念しています。残念ながら、今の日本では、個の人格と個性を圧殺する集団訓練・教育がなおまかり通っています。国旗・国歌の掲揚・斉唱強制の教育実践は、日本社会の悪しき集団主義を解体するのでなくて、逆に集団同調の強化さえもたらし、生徒や青年が、集団に埋没して行動する訓練を日常的に積み重ねています。日頃尊敬する教員も、文科省以下の『上の者』の前には頭があがらないというみじめな姿を、生徒たちに見せつけることによって、生徒たちに何よりも、権力への、上の者への服従・同調・帰依を教えこもうとする最悪の教育実践です。その教育は、子どもが主権者意識や、独立した人格に目覚めることを確実に遅らせ、日本の青年がふたたび『潜在的アイヒマン』になるのを育成する教育そのものだと思っています。」

 まさにそうだ、と私は考えます。

5.予防訴訟控訴審不当判決に思う

 1月28日、10・23通達に従う義務がないことの確認などを求めた訴訟(いわゆる「予防訴訟」)の控訴審判決が出されました。ご承知のようにまったくの不当判決でした。 

「『日の丸・君が代』は慣習法として確立していたものを『国旗、国歌法』により成文化したものであり学習指導要領の意義を踏まえて一律の行為(起立・斉唱)を求めることには合理性がある」し、「起立、斉唱することは特定の思想を表明する行為と言えない」とし、通達は憲法26条、23条(教育の自由)にも憲法19条、20条(思想・良心の自由、信仰の自由)にも違反しないとして、至極まともだった一審判決を却下、破棄しました。

 一審判決(2006年9月)は、通達とこれに伴う都教委の指導は、「教育の自主性を侵害する上、教職員に対し、一方的な理論や観念を生徒に教え込むことを強制するに等しい」とし、教育基本法10条の「不当な支配」に当たる違法なものだと判断。 「日の丸・君が代」が「皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱」として用いられてきたことは「歴史的事実」と指摘し、また、「憲法は相反する主張を持つ者に対しても相互の理解を求めており、・・・原告らの基本的人権を制約することは相当とは思われない」と、懲戒処分をしてまで強制することを「少数者の思想良心の自由を侵害し、行き過ぎた措置である」(憲法19条「思想・良心の自由」違反)と断じました。その上で、校長が「職務命令を発することには、重大かつ明白な瑕疵(かし)がある」とし、都教委が「通達に基づく職務命令により教職員を懲戒処分することは、裁量権の乱用」であると言明し、「国歌斉唱の際に、起立・斉唱・伴奏の義務がないことを確認」し、「起立・斉唱・ピアノ伴奏をしないことを理由にいかなる処分もしてはならない」と断じました。

 なんと清々しい判断でしょう。判決には、裁判官の良心(=憲法99条「憲法尊重擁護の義務」を果たそうとする良心)が生きており、裁判官はまさしく憲法の番人でした。仕事を良心でするのか、損得でするのか、裁判官も都教委の役人も、そして私たち一人ひとりも、そこが問われています。

 控訴審判決が出て都教委がさらに処分に弾みをつけることが懸念されます。今度の私への処分が停職6ケ月よりも重い処分になるのではないかと、恐れます。

 今年は大逆事件100年にあたります。大逆事件は国家の思想弾圧に司法が率先して加担し、死刑・無期懲役判決を下し、処刑したでっちあげ事件ですが、司法のその体質を、三権分立となったはずの現在も清算しないまま引きずっていることを、今回の判決が物語っています。裁判所が国家権力であることを、私を含む一連の「君が代」処分取り消し裁判においても、私たちは嫌というほど、味わされてきました。まともな一審判決を覆してまで権力に迎合した今回の判決、こうしたことの一つひとつが、言論弾圧・統制、ファシズム、戦争への道です。

判決に惑わされることなくこれまで通り、史実に向き合い歴史に学び、道理ある行動をとっていくことが大事なことだと思います。その積み重ねが間違った現実を変える力になるはずです。

6.歴史に学び、教え子を再び戦場に送らないために

民主教育を守る教職員組合の理念からすれば、「日の丸・君が代」の強制の闘いは、本来は組合が提起すべきことだと思います。でも、組合がそれをしない現状では、一人ひとりが立ち上がり、動きをつくっていかざるを得ません。一人ひとりが自立して、さらに起ちあがった人たちが団結して闘えば、教育破壊を止めるだけでなく、組合の再生も実現するでしょう。

処分を受け続ける私のことを、「気の毒」とお思いの方が多いかと思いますが、私の気持ちはそうではありません。懲戒免職や分限免職の恐れには、何度も涙を流しました。でも、不起立を続けてきた中で、自己に嘘をつかずにくることができたことは、私の誇りです。また、出会いや出来事からたくさんのことを学ばせていただき、自己と向き合い、成長できたと思っています。バッシングを受けても、そこから学ぶことは必ずありました。

私の世代は、長い間、自身の教育観に基づき、仲間と論議する中で主体的に教育活動をすることができてきました。逃げ切れた(る)世代です。付けを若い人たちに残してしまうことを心苦しく思っています。「日の丸・君が代」の強制は子どもたちを「国家の具」にすると上記しましたが、まさに若い皆さんの働かされ方、管理のされ方は、皆さんが「国家の具」にされていることを示すものです。このような働かされ方に、いつまで体が耐えられるのかという不安を誰もがお持ちなのではないでしょうか。私が職場で発言し行動するのは、子どもたちへの責任が第一ですが、若い人たちへの責任でもあります。

退職し現場は去りますが、今後もずっと皆さんと一緒に闘っていくつもりです。 今度の卒業式を迎えるに当たり、私の以上の思いを、同じ教員として受け止め考えてくださいますよう、心から願います。

        2011年2月                   根津公子(都立あきる野学園勤務)


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