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「日の丸・君が代」被処分通信

         経過報告 五 2010.5.17

累積加重処分取消訴訟 原告  近藤順一 TEL/FAX 044−877−1266

 

本日(5/17)、第一回口頭弁論(原告本人陳述)開かれる

* 傍聴の皆さま、署名に協力してくださった方々ありがとうございました。

* 署名740筆を、東京地裁民事19部に届けました。

 

意見陳述(累積加重処分取消訴訟)

 

1,      はじめに

 

〜「日の丸・君が代」強制下、私の不起立・不斉唱は必然〜

私はこの間5回の不起立・不斉唱を行い、被告都教委によって4回の累積加重懲戒処分を受けた者です。都教委は、私の行為を信用失墜行為としていますが、これは全く転倒した考えであり、「日の丸・君が代」を学校現場に強制する都教委にこそ非があり、私は一教員としてその職責を全うするため、不起立・不斉唱に至りました。以下その経過を述べます。

 

2,私の思想形成

 

私は、1949年、四国香川県で生まれました。私の家族は現中華人民共和国東北部、大日本帝国が侵略し植民地とした「満州国」からの引揚者です。この侵略と植民地支配には、日の丸・君が代を強制した教育が大きな役割を果たしました。父は南満州鉄道株式会社の職員として国策遂行の一端を担い、帝国の敗戦後1946年に難民として帰国しました。私が子どもの頃父や母から聞かされた「満州」での生活は、植民地支配者としての安楽な生活と中国人蔑視でした。父母の不満は引き揚げと共に、農地解放によって小地主の身分から没落したことです。戦後、父は鉄道員、母は農民となりました。60年代、折からベトナム戦争が激しくなり、中学・高校生の頃、私もまたアメリカの侵略、日本国政府の加担に反発し、父母と口論するようになり、我が家にも長い冷戦が続きました。大学に進む時、日中戦争時の中国側の動向について研究したいと考え専攻しました。学生時代以後、各地で日本と中国の友好、特に日中不再戦、再び戦火を交えない取り組みは重要だと考えてきました。日本も中国も強力な軍事力を擁し、中国は核戦力を持ち、日本にはアメリカの軍事基地が存在しています。日本国憲法で「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」戦力不保持を宣言した「武器無き民」の言動は貴重なものだと考えます。それは東アジア不再戦、環太平洋不再戦へと拡大すべきです。私は政治思想的立場としては、浮き草のように揺れ動く無党派浮遊層の一人ですが「武器無き民」として、内外いかなる方面からの抑圧や強制に対しても非暴力不服従の抵抗を採りたいと考えています。これが私の思想的核心であり、「日の丸・君が代」強制を受忍できない一つの理由です。

そして、この強制は学校現場への不当な支配であり、学校現場を直撃し教育の自由を侵害するものです。教員はその道具とされていると思います。以下、その点について述べ不起立・不斉唱が必然であったことを提示します。

 

3,      教育現場での経験

 

1977年から2010年まで33年間、東京の教育に携わり、後半の17年間、夜間中学で働いてきました。夜間中学では、戦災孤児、在日朝鮮人、中国からの引揚者等アジア太平洋戦争の影響を強く受けてきた方が学んできました。現在では、約9割が来日外国人です。授業中、中国人生徒から「南京事件」について説明を求められたことや、フィリピンの生徒から「自分の親戚が日本軍に殺された」こと、モンテンルパやレイテ島について聞いたこともあります。外国人生徒は日本の学校とその教員が歴史的問題、現実の問題にどう対処しているのかをしっかりと見ていることを強く感じました。

 

4,      2003年「10.23通達」以後

 

通達が発せられた時は、世田谷区立新星中学に勤務していました。2003年度の卒業式ではこれまでと一変し、正面に「日の丸」が設置され、「君が代」もピアノ伴奏となりました。2004年4月、八王子第五中に赴任し、その年度の卒業式の前にも卒業式要綱案をめぐって式次第から「国歌斉唱」を削除するよう議論しました。このとき、卒業制作は舞台のサイドに追いやられました。

 そして、2006年3月、そのころには教育基本法の改定もスケジュールに上ってきました。その年初めての不起立・不斉唱を実行しました。そして、強制、処分に抗議して不起立・不斉唱の事実を公開しましたが、職務命令が発せられていなかったことから懲戒処分には至らず、八王子市教育長の指導措置にとどまりました。私は、旧教育基本法下での自分の行動は意義があることだと考えています。それは、まさに現教育基本法では消されていまいましたが、「この理想の実現は根本において教育の力にまつべき」と「教育は国民全体に対して直接責任を負って行う」という視点からです。この日本国憲法と国民に固くリンクされてこそ教育の自由は保持されなければならないのであり、強制を受け入れることはできないと考えるからです。

 以後、2007年から2010年まで、毎年の卒業式で不起立・不斉唱を実行し、本訴訟事案に関わる懲戒処分を含め4回の累積加重懲戒処分を受けてきました。

 

5,      不起立・不斉唱の意義

 

(1)教育の自由つまり生徒の学習権、教員の教授の自由への侵害の中で

 先に述べたように夜間中学には多くの外国人生徒が学んでいます。国旗・国歌について、プロトコール(国際儀礼)の名で強制を合理化する視点がありますが、日々外国人生徒と接して感じることは、お互いの国家、文化を尊重する自由で寛容ある対応こそ国際的信用を回復する道であり、「日の丸・君が代」を強制すること、儀礼を強制することは、国際的信用失墜行為であります。

都教委の強制は、教育課程において、生徒への直接指導の場面で教員がその態度、行動で示すことを強制しています。旭川学テ最高裁判決が述べているように「直接の人格的接触を通して個性の伸長をはかる」、まさにその場面で強制が進行します。そのような情況に立たされた教員に可能な公務とは、生徒に異なる考え、異なる行動があること、不起立・不斉唱によって多様な道があることを身体で示すことしかありません。

それが生徒の学習権を保障すること、教員として範を示すことであり、一定の制限はあっても教員の教授の自由は認められるべきだと思います。教育は一過性のものではなく、児童・生徒が自らの成長過程で反芻していくものだと思います。私の不起立・不斉唱も一過性ではなく、一貫した公務遂行です。従って強制が続く限り不起立・不斉唱の行為を示しました。

(2)本件事案が発生した期間、校内では生活指導の責任者でした。生徒間で起こる暴力事件やいじめについて、加害者側を厳しく指導すると同時に、被害者にも暴力的報復にでないこと、決して泣き寝入りしないことを指導してきました。私の不起立・不斉唱はこの指導理念と同一線上にあります。ぜひ都教委通達、市教委通達、職務命令そして私の不起立も含めて憲法判断を要求します。どうか裁判官の皆様が、学校現場の実態を深く把握され、学校現場への「日の丸・君が代」強制、処分の不当性を明確にし、処分の取消しを確定する判決を出されるようお願いします。そのことによって、強制が停止されることが私の本意です。

 

<傍聴者の声>

 

*「日の丸・君が代」の問題が様々な教育現場で大きな教育破壊を起こしていることを、夜間中学という現場の実例で示されていること、とても貴重だと思います。裁判の中で是非、夜間中学の実践を具体的に示して、裁判官を説得してください。夜間中学というものを、世間に知らせていくためにも、存続を訴えていく上でも大事だと思います。

*都教委の弁護士がいないのに驚きました。ご説明で了解しました。憲法を

正面から問うという形の裁判になった時、どんな判決が出るのか楽しみです。

 

*世田谷区立小の大嶽昇一教諭は、同区立三浦健康学園の吉村実副園長(当時 現同区立守山小校長)の事実無根、事実誤認の“業績評価”を鵜呑みにした都人事委員会の判定を取り消させる画期的判決を5月13日、東京地裁(近藤順一さんと同じ青野洋士裁判長)で勝ち取りました。近藤さんも青野裁判長から勝訴判決を勝ち取ってください。私も『週刊金曜日』『週刊新社会』に裁判の内容を執筆して支援します。

 

  次回口頭弁論 7/12((月) 10:30〜

 


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