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News Item 0424
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尼崎事故で亡くなられた天国の皆さんへ。

「この1年たいしたこともできずにごめんなさい。 一人の人間として、何だか恥ずかしい限りです。 ただ、こんな意気地無しの私でも、 お役に立てることはきっとあると思っています。 遠い、遠い天国から、どうか少し、私に力をかしてください。 皆さんがこの世で達せられなかったことが、 ほんの少しでも実現できたならと思います」
(2006年4月23日、献花台前にて。杜 海樹)

 事故現場を1年ぶりに訪れ、事故直後の現場を訪れ取材をした時のことを改めて思 い出しました。トタン板のようにペシャンコに潰れた車両。視界を遮る青のビニール シート。泣き崩れる遺族の後ろ姿。立ち入り禁止になったマンションのベランダでぽ つんと泳ぐ鯉のぼり。そして、瞳を突き刺すように睨みつける怒りに満ちた視線。
・・・
 事故が(事件が)過酷な勤務実態、JRの経営体質、民営化の帰結、つまりは新自由 主義経済に起因しているものだということは、もはや誰の目にも明らかなことだと思 います。尼崎事故国際シンポジウムでも、尼崎駅前集会でも、話しの辿り着く終点は 新自由主義経済に問題有りの一言にほぼ尽きるものでした。安全というものが社会構 造全体の中で蔑ろにされてきたのです。

 しかし…、だからといって、私たちに、否私に非はないのか?加害者性はないのか ?と自分に問いただして見ると、少し戸惑うことがあります。小泉首相のように自己 責任・自己責任と言うだけ言って、一国の首相でありながら、自分では何の責任も取 ろうとしない“変人”は別にしても、ごく普通の人間なら、多少なりとも社会に必要 な“公共”というものが歪められていることに対する怒りというものをお持ちなので はと思います。その怒りに対して自分はどう向き合っているのか?というと、答えに 詰まる部分があります。鉄道利用者として問題点を指摘していかなければ、一つ一つ は小さなことでも、積もり積もれば山となり、起きなくてもいい大事件を起こしてし まっているようにも思えてなりません。怒るべき怒りをしまい込んでしまうことは、 人間としての罪、加害なのではないかと。

 先日、JR千葉支社管内で、線路のレールが完全に破断している(割れている)状 態にあることを告発した社員の方が、こともあろうに会社から厳重注意処分をされた わけです。尼崎事故から一年を迎えようとしている時に、事故が起きないようにと問 題点を指摘すれば、会社は、「会社の信用を傷つける」と社員を処分する始末です。 これはどう見ても、JRが“安全を処分した”と同義のことと受け取れます。しか し、こんな情けない経営陣に囲まれながらも、事故の危険性を指摘した社員の方こそ が当たり前なのであって、安全への近道なのだろうと思います。日の丸・君が代問 題、教育基本法改悪の問題、労働法制改悪の問題、憲法改悪の問題・・・についても 全く同様です。

 JRの経営陣は何が何でも安全だとおっしゃるつもりのようですが、しかし、その 実態はどうなのでしょうか。今日、4月24日には東京・山手線大久保駅付近で異常 が発生し7時間以上も運行が乱れ32万人に悪影響がでたわけです。事故とは思わぬ ことで起きるものです。それだけに、線路の健康診断を行うはずの保線職の方々が削 減されていくというのは恐ろしいことだと思います。JR経営陣はこの一年間“安 全”“安全”とまるでお経のように安全を唱えてはきましたが、一体どれだけ多くの 人に迷惑を掛ければ気が済むのでしょうか?各路線で小さな事故は頻発しています。 私の通勤の範囲だけでも月に2回程は事故関連で列車が止まり遅延証明が発行されて います。架線事故、車両故障…小さな事故が繰り返されれば必ず大きな事故につなが ります。車の世界では小さな事故が27回起きたら大きな事故が1回起きると言われて います。今日の事故は、天国に旅立たれた方々の怒りの声だったのかも知れません。

 尼崎事故でご家族を亡くされた方は、「時間が止まったまま。安全だと思って乗車 したJRの列車でどうして殺されなければならなかったのか納得ができない」と苛立 ちが隠せない表情でこの1年を振り返っていらっしゃいました。JR側は事故原因に ついても、家族に対し答えていないとのこと。家族が亡くなった場所を確認したいと 申し出ても「知ってどうする?」と言ったとか。昨年、沖縄で米軍ヘリが墜落しまし たが、その時、米軍は近隣住民を一切排除したわけですが、JRもまるで米軍並とし か言いようがないですね。

 現地集会では「人の命が単なる商品になり下がることを許してはならない。儲けの ために人間の命が犠牲になることは許せない」といった言葉が登壇者から相継いで出 されました。そして「今、社会で起きていることを自らが問い、でき得ること、なし 得ることからしか始まらない。だからこそ、私たちから始めましょう」と呼びかけが なされました。そして「この悲劇の記憶を継承していこう」と。歴史は常に権力側の 勝手な解釈で書き換えられてしまいがちですが、そうさせないのが私たちのなすべき ことのように思います。一人一人が、例えわずかでも問題に立ち向かう、責任の一端 を感じようとすることが連帯の始まりなのだろうと思います。

たたかいというのはポーズでは決してないのです。たたかいというのは、困難な中 でも、精一杯生きることだと思っています。そして、どんなに惨めと言われるような 境遇に置かれても決して自分を折らないことだと思います。

cubacomm@mail4.alpha-net.ne.jp
Mori Miki
杜 海樹(片柳悦正)


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