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第110回ユニオン学校 大杉栄、橘宗一少年(大杉栄おい)墓碑保存運動、そして、山川均 | ||||||
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2025/09/09 第110回ユニオン学校 大杉栄、橘宗一少年(大杉栄おい)墓碑保存運動、そして、山川均第110回ユニオン学校「ユニオンと連帯する市民の会」・「ユニオン学校」の小野です。 第110回「ユニオン学校」では、「橘宗一少年の墓碑保存会」代表世話人の竹内宏一さんに、「大杉栄、橘宗一少年(大杉栄おい)墓碑保存運動、そして山川均」のテーマで語っていただき、参加者の皆さんと意見交換を行いたいと思います。 ぜひご参加ください。 なお、当日の参加ができない方は、YouTubeでの「後日配信」もありますので、ご連絡ください。 第110回ユニオン学校 大杉栄、橘宗一少年(大杉栄おい)墓碑保存運動、そして、山川均 講師 竹内宏一さん(「橘宗一少年の墓碑保存会」 代表世話人、「愛知リベラル・労組OB会」副代表ほか) 日時:2025年9月9日(火曜日)18時30分〜 会場:名古屋市・市民活動推進センター集会 (名古屋市中区栄三丁目18番1号ナディアパーク デザインセンタービル6階) ◇名古屋市営地下鉄・栄駅7・8番出口より徒歩7分、矢場町駅5・6番出口より徒歩5分 会場カンパ:500円ほど 主催:ユニオンと連帯する市民の会 (unionschool2013@gmail.com) ================================================= 第110回「ユニオン学校」では、「橘宗一少年の墓碑保存会」代表世話人の竹内宏一さんに、「大杉栄、橘宗一少年(大杉栄おい)墓碑保存運動、そして山川均」のテーマで語っていただき、参加者の皆さんと意見交換を行いたいと思います。ぜひご参加ください。 ◆1923年9月1日に起きた「関東大震災」直後の9月16日、大杉栄と女性解放運動家で作家の伊藤野枝と橘宗一少年が虐殺された事件 1923年9月1日に起きた関東大震災直後の9月16日、無政府主義の思想家大杉栄(1885〜1923)と女性解放運動家で作家の伊藤野枝(1895〜1923)が虐殺された事件で、大杉のおい、橘宗一(むねかず)少年(当時6歳)は、東京にある大杉栄の自宅近くで憲兵大尉の甘粕正彦らに連行され、3人とも虐殺され、遺体は全裸にされ、憲兵隊本部構内の古井戸に投げ捨てられました。大杉は38歳、伊藤は28歳。巻き込まれた橘少年は6歳でした。宗一少年は大杉の妹あやめと、現在の愛知県あま市七宝町出身の貿易商橘惣三郎の長男です。 事件は震災直後の戒厳令下で起こり、1976年8月、53年ぶりに発見された解剖医の「死因鑑定書」では、大杉と野枝の肋骨などが無数に骨折していました。集団で殴る蹴るの暴行が加えられ、3人ともに首や腕などを鈍体で絞圧、窒息させられました。死因は物体による扼殺で、憲兵隊幹部たちの集団暴行によるものでした。実行犯とされたのは憲兵隊の5人で、主犯の甘粕正彦は軍法会議で懲役10年の判決を受けましたが、森慶治郎憲兵曹長懲役3年。連行時の同行者2人は無罪でした。しかし、甘粕は1926年10月に2年半で釈放され、森は一年半で釈放されました。甘粕は陸軍の資金でフランスへ遊学し、その後、中国で旧「満州国」建国に関わり、満州映画協会理事長になりましたが、敗戦直後、自殺しました。 ◆「大杉栄野枝ト共ニ犬共ニ虐殺サル」―橘宗一少年の墓碑 橘宗一少年の墓はひっそりと建てられた後、1972年に再発見されました。墓は日泰寺の広大な墓地にあり、高さ約1・2メートル。クリスチャンだった惣三郎が事件4年後に建立しました。表面に宗一の名前、裏面には「大杉栄野枝ト共ニ犬共ニ虐殺サル」と激しい言葉で無念の思いが刻まれています。墓前祭が毎年9月に、竹内宏一さんら「橘宗一少年の墓碑保存会」主催で、名古屋市千種区の覚王山日泰寺で開かれてきました。橘宗一少年の墓は、甘粕事件から100年の区切りに橘家(現戸主:橘幸典さん)の菩提寺である直心寺(愛知県あま市七宝町秋竹四町田484、七宝町桂バス停より徒歩3分)に移設されました。 |