本文の先頭へ
LNJ Logo 日本の抵抗芸能・平和芸能
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
Document column05
Status: published
View

会員関連サイト

more...

日本の抵抗芸能・平和芸能

 無いようで在る、在るようで無いのが日本の抵抗(プロテスト)・平和芸能かもし
れない。川上音二郎の『オッペケペー』「権利幸福嫌いな人に自由湯をば飲ませた
い…」はあまりに有名だがそれに続くものがない。初期の歌舞伎も時代を傾かせた
(かぶかせた)という点では広い意味で抵抗芸能だったかもしれない。しかし、労働
者・大衆が自らの言葉を発するものとして抵抗芸能を本当に持ったのか?といわれる
と疑問が残ってしまう。ところが…、日本を舞台に個人で抵抗芸能を続けた方は案外
多い。
 太平洋戦争前後に日本で活躍した女性ダンサー、崔承喜(さい・しょうき/チェ・
スンヒ)さんもその一人だと思う。彼女は単身、朝鮮から日本に渡り、創始改名を拒
否して「崔承喜」名のまま終戦まで帝国劇場等で踊り続けた。朝鮮の舞踊・舞踏と日
本のものを融合させた踊りは、川端康成が絶賛しなくても十二分に魅力的だ。数少な
い当時のフィルムを拝見したことがあるが、これが戦争中の踊りか!と絶句してし
まった。彼女がチャンゴを叩く姿は実に優しい。
 美空ひばりさんは『一本の鉛筆』という歌をうたっていた。歌詞のサビは「 一本
の鉛筆があれば 私はあなたへの愛を書く  一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと
私は書く 一本の鉛筆があれば 8月6日の朝と書く 一本の鉛筆があれば 人間の
命と私は書く」だ。ひばりさんはこの歌をステージでうたっていた。
 横井久美子さんはアイルランド抵抗歌を日本に紹介し、自分の足でギター一本炭坑
回りなどしていた。『私の愛した街、戦車は動けない、底冷えの工場から、飯場女の
うた…』等の多数の持ち歌がある。
 近藤日佐子さんの『憲法9条の歌、地球星…』、寺井一道さん、田中哲朗さん、趙
博さん、李政美…等々たくさんの方々が活躍されている。最近では時事落語の会「笑
世紀21」などというのもでき、集団的自衛権などを笑い飛ばした出前なども始まっ
ている。
 大道芸でも何でもそうだが、芸能職というのは、どちらかというと食うに困って就
く場合が多い。学歴が無くても、縁故が無くても就ける仕事だからだ。元手もさして
必要無い。芸能自体が貧困層と共感しやすいという性格を持ち合わせている。これが
いつ市民運動や労働運動と結びついても決しておかしくはないのだ。
 ただ、日本の場合大衆運動そのものが「お上」によって動かされるという傾向にあ
るため、抵抗芸能が大衆と結びついて動き出すことになりにくい。戦後労働運動にし
てもGHQからのプレゼントであったし、中央の総評や連合という大組織がやるなら
まあ付き合うかという程度の付き合いであることがとても多い。失業を共感して苦し
みを解決しようというより、自分だけどの組織にくっついたら抜け出せるかというこ
とばかり考えている。そんな所では労働文化や抵抗芸能など育つはずがない。
 今私たちに必要なのは一獲千金の芸能人ではない。自分の失敗、傷をさらしてそれ
を共感表現してくれる人だ。理不尽に耐えられず会社を去った人、経営悪化で店をつ
ぶしてしまった人、無理せずに素直に泣きましょう。そして、それをそのまま表現す
れば、それは芸になって行くもの。さらに積み重ねれば、それこそが労働文化になる
と思う。
 日本で韓国のような労働文化が生まれるとしたら、ひとりひとりが涙を共感して自
立しようとした時になるだろう。人間そんなに強くはない。インチキだってするし、
もの忘れもする。誘惑に負ける時もある。でも、もう一度何かやりたいと思ったら、
またやり直せば良いじゃないですか。何度でも何度でも…。そのためなら、一時の
みっともなさなんてどうでもいい。思いっきり泣きましょう!理不尽なんかに負けて
たまるか!!

片柳悦正
Created byStaff. Created on 2005-09-04 20:40:42 / Last modified on 2005-09-04 20:45:44 Copyright: Default

このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について