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LNJ Logo 小林たかしの談話室・第12回
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第12回・「核発電」と「核爆弾」を廃絶しよう!

●さ お り◎ オッチャン、韓国では「原子力発電」でなく「核発電」といおう、という議論があって、反対している人たちはわりと自然に「核発電」という言葉を使っている。どう思う?

★オッチャン◇ そう、言葉は大切だね。「原子力発電」というと原子力エネルギーの平和利用というイメージがある。でも「原子力発電」も「核爆弾」とおなじ核分裂連鎖反応によってつくられるものだから「核発電」といったほうがいいかもしれないね。このふたつは双生児だから。

●さ お り◎ 双生児って?

★オッチャン◇ 1939年に米大統領ルーズベルトに送られた有名な「アインシュタインの手紙」には、ウランの核連鎖反応による新エネルギーの開発と、新型爆弾の製造が近い将来に実現するだろう、と書かれている。このときアメリカは、1929年から始まった恐慌から立ち直ろうと経済の「軍事化」に踏み切っていた。39年9月に始まった第二次世界大戦のさなか、ルーズベルトは「われわれはデモクラシー諸国の偉大な兵器廠たらねばならない」といっている。こうした時代のなかで、アメリカの原子核エネルギーの利用は軍事技術として、つまりウランによる核爆弾開発として始まったんだ。

●さ お り◎ ふーん。「核発電」のほうは戦争のあいだは開発しなかったの?

★オッチャン◇ そう、戦後1946年の8月にアメリカは、原子力研究とテクノロジーの発展のために原子力委員会という政府機関をつくって核発電の開発を始めるんだ。実際の核発電の運転は1950年代からで、アメリカのほかにソ連・イギリス・カナダなどでも運転が始まった。とくにソ連の核発電はアメリカより先んじていたし、核爆弾の実験・開発もアメリカに追いつきつつあったんだ。米ソの核開発競争は、このころから激化していく。冷戦というのは、つねに熱核戦争の危機をはらんでいる戦争状態だったんだ。

●さ お り◎ 日本での核発電はいつごろから始まったの?

★オッチャン◇ 衆議院議員となった読売新聞の正力松太郎が、1955年に原子力平和利用懇談会の代表になったあたりから核発電開発がはじまったんだが、前年3月に第5福竜丸がビキニ環礁で被爆し、全国で反核実験・反米の運動が盛り上がっていた。日本を極東における反ソ・反社会主義の砦にしようとしていた米日の支配層は、この大衆的な運動をつぶそうと躍起になった。彼らは「毒は毒をもって制する」と称して、原子力の平和利用をメディアを使って大々的にうたい上げ、55年8月にはアメリカから輸入した原子炉が、茨城県東海村で臨海に達したんだ。この間の事情は、1994年のNHKドキュメント「原発導入のシナリオ」に詳しいが、この映像はNHKアーカイブスから削除されている。しかし、いまユーチューブでみることができる。みたほうがいい。

●さ お り◎ そのドキュメント、みたい……。核発電も核爆弾も戦争という時代のなかから生まれたのね。「平和利用」なんてのは最初からごまかしだったのかしら。

★オッチャン◇ そう、莫大な建設費のかかる核発電は、国家的事業としてしか推進できない。だから、研究・開発・操業は、政府と企業と大学が一体となってすすめてきたんだ。そこにさまざまな癒着となれ合い、秘密主義的策謀と国家主義的政策が生じるのは目に見えている。「平和利用」や「クリーン・エネルギー」のスローガンは、こうした核発電政策のダーティーな面をおおいかくすためにも必要だったんだ。

●さ お り◎ そうなんだ……。福島の大事故で「安全神話」は崩れたけれど、エネルギー政策の背後にある闇にも批判の目をむけながら、核発電と核爆弾に反対していかないとね。

★オッチャン◇ そうだよ。地獄のフタが開いたんだよ。

【2011/04/18 通算16回目/転載・引用・援用など、すべて自由】

*ユーチューブ「原発導入のシナリオ」はこちらです。


Created bystaff01. Created on 2011-04-18 12:46:22 / Last modified on 2011-04-18 13:02:11 Copyright: Default

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