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第9回・2010年4月2日掲載

笑えない政治家の笑える話

3月14日と21日に行われたフランスの統一地方選挙では、左翼圧勝、保守与党の歴史的な大敗という結果が出た。地方というのは、いくつかの県を集めた「地域圏」とよばれる広域自治体のことで、本土に22、アンティル諸島など海外に4ある。中央集権の強かったフランスでは、1980年代以降に地方自治体の権限が徐々に強化され、現在では経済、福祉、国土設備、交通、教育、文化などさまざまな分野で、地域圏は重要な権限をもっている。ところが、一般のフランス人にはその認識が低く、自分の地域圏の長が誰だか知らない人も多い。1986年、初めての地方選挙のとき21,8%だった棄権率は、今回の第1次選挙ではなんと53,5%に達した(2次は48,8%)。

 社会党中心の左翼連合はすでに、前回2004年に本土22地域圏のうち20をとっていたのだが、今回はコルシカ島もとり、本土で保守の地域圏はアルザスだけになった。地方選挙のため、必ずしも中央の政治に影響力が及ぶわけではなく、現に2004年の左翼圧勝につづく2007年の大統領選と国民議会選挙では、保守が勝って現在のサルコジ政権になった。それでも、第五共和政始まって以来、最低の投票率(第1次、27%)という保守与党の惨敗は、昨年の秋から人気が落ちていたサルコジ政権に対する国民の不信を裏づけているだろう。

 もっとも、左翼も手放しでは喜べない。棄権率がこれほど高かったのは、主に保守層の棄権が多かったからだし、人種差別的な極右政党の国民戦線が、いくつかの地域圏で力を盛り返したのだ(12地域圏で10%以上を得て第2次投票に参加。それらの地方ではさらに投票率をのばした)。昨年12月のこのコラムで、政府主導の「国(民)のアイデンティティについての討論」が知識人や市民の反発を引き起こしたことを書いたが、これは春の地方選挙を前に、「反移民」のテーマをあおって国民戦線支持層をひきつけようという、政府の選挙用戦術だと解釈された。実際、昨年の秋からこの春にかけて、人種差別的な物言いやジョークを口にした(口を滑らせた)与党UMPの大臣や政治家が何人も続出した。むろん、すぐに世論で問題にされたが、国民戦線的なメンタリティが保守党の指導者層にもかなり浸透してしまった(あるいは、抑制がきかなくなった)ようなのだ。

 しかし、人口統計学者のエマニュエル・トッドの分析によると、国民戦線は以前から強かった地域で影響力を維持・発展させたが、今回の選挙で「反移民」キャンペーンは機能しなかったという。「国(民)のアイデンティティ」や反イスラムの話題を政府が大々的にあおったにもかかわらず、もとからの国民戦線支持層(10%前後)以外の国民は、国民戦線や保守与党に投票しなかった。国民の最大の心配事は雇用の不安と購買力の低下であり、経済危機でさらに生活が苦しくなった低所得層は、移民問題や治安などよりまず、経済政策を見て投票したのだとトッドは分析する。その証拠に、サルコジ保守政権の最も厚い支持層である60歳以上(棄権率は低い)の票は今回、史上初めて、与党より左翼に少し多く集まったそうだ。高齢者層は病院など公共サービスの頻繁な利用者であり、サルコジの「改革」が生活環境の悪化につながったのを実感しているのだろう。また、政府の経済危機対策が銀行や大企業を助けたのに、景気は回復せずに自分たちの日常が改善されないのを見て、商店、職人など伝統的保守支持層も、従来ほど与党に票を投じなかった。要するに、「もっと働いてもっと稼ぐ」というサルコジのキャッチコピーを信じた人たちが、「働けど、働けど、我が暮らし楽にならざり」、「働きたくても職はなし」の現実に気づいたということだろう。

 さて、今回の選挙での勝利によって、リーダーシップ争いの醜態ばかり呈し、野党としての信頼を失っていた社会党は、ようやく政治の場に復帰した(大統領候補の座を狙う争いは、いよいよ激化するだろうが)。大手のメディアもサルコジの速いペースとスペクタクル政治にかきまわされ、反対派の声が聞こえにくい状態がつづいていたが、この長かった不毛な期間、サルコジ政権に対して最も鋭く痛烈な批判を浴びせつづけたのは、ユモリスト(ユーモア俳優・諷刺家)と呼ばれる人たちだ。欧米の新聞・雑誌には、時事を扱った政治的な諷刺画(カリカチュア)が必ず掲載されるが、テレビ・ラジオのユーモア番組でも(日本のお笑いタレントとは異なり)、政治(政治家)の諷刺を頻繁に行うユモリストが人気を集めている。

 中でも、国営ラジオ放送フランス・アンテール局の朝のニュース番組で、5分弱の「ユーモア時評」を担当するステファン・ギヨンは、政治家や有名人の巧みな口真似も使った冴えたギャグで、サルコジ大統領の無教養・成金ぶりや、サン・パピエ(「非合法」滞在の外国人)に対する非人間的な政策などをこきおろして、評判になった。与党にかぎらず、社会党の政治家も笑いの種にされるが、権力の座にある大統領や閣僚に対する諷刺はとりわけ過激だ。

 フランスはコリュッシュやギィ・ブドスなど、辛辣な社会諷刺をする数々のユーモア俳優を生んできた。政治家は、そうした諷刺と笑いの対象になるのは当然のこととして、これまで文句を言う人はいなかった。ところが、「国(民)のアイデンティティと移民省」の大臣、エリック・ベソンは、ギヨンのユーモア時評に猛然と憤慨し、抗議したのである。ベソンは元社会党の幹部のひとりで、2007年の大統領選の前まではサルコジを過激に批判していたのが、ロワイヤル候補に軽視されたとて、キャンペーンの途中で突然、サルコジ陣営に寝返った。サルコジ当選後は与党UMPのトップ2の座につき、「移民省」の大臣になってからは、かつて批判した移民政策(規制強化、サン・パピエの強制送還数ノルマの達成)の音頭を取っている。「裏切り者」のキャラクターをユーモア俳優に強調され、戦争中のアフガニスタンにサン・パピエの難民を送り返した事実などを揶揄されても、自業自得としかいいようがない。だが、彼はどうやらユーモアや諷刺が理解できないらしく、ギヨンは差別主義者で陰険で、向かい合って自分と論争しないから卑怯者だと、リベラシオン紙にほとんど決闘状のような記事(?)を送りつけたのだ。

 ベソンが「切れた」問題の時評は、彼が実は国民戦線によってまず社会党、つぎにサルコジの党に送られたスパイであるという途方もないギャグで、「裏切り者」のキャラを極度に誇張し、反移民政策におけるベソンの役割を攻撃したものだった。折しも、フランス・アンテール局に選挙のコメントのためによばれていたベソンはこの時評を批判し、国営放送で「逸脱した」ユーモアを流すことの責任を追及した。その日のうちに、国営ラジオ局長がギャグ中の外観にかかわる諷刺について謝罪したため、ラジオ局のジャーナリスト組合は「政治の介入」に抗議する声明を出し、この出来事は他のメディアが報道する事件となった(この時評のビデオ・アクセスはもちろん増えた)。

 詳しくは割愛するが、この事件の裏には、報道・言論の自由の問題がからんでいる。サルコジ政権は昨年、国営テレビ・ラジオ局の責任者を選び、罷免する権利を大統領に与えるように、法律を改正した(原則的には視聴覚最高評議会や国会の承認を要するが、国営ラジオ局の前責任者は実際、サルコジの一存で罷免された)。そのときすでに、ギヨンの時評をはじめ、フランス・アンテール局が政府に批判的なのが理由だという説が報道された。それでも以後、この局のジャーナリストとユモリストたちは、自主規制せずに批判や諷刺をつづけている。大臣が放送中、その放送局のユモリストを攻撃するなどという行為は、おそらく前代未聞であり、ジャーナリスト組合が抗議したのも無理はない。

ユーモアや諷刺は間違えば下品、下劣、卑劣の領域に陥る危険がある。だが、ギヨンのギャグには衆愚をあおる要素はなく、フランスの良質な諷刺伝統に則っているーーと思うのだが、諷刺に自尊心(虚栄心?)を傷つけられて騒ぐ大臣が出るとは、この国の文化の質は変わってきているのかもしれない。現に、テレビでは政治を扱わない喜劇俳優が多くなり、ユモリストの中には、「このままいくと、検閲や自主規制が始まるのではないか」と懸念を抱く人もいるという。

古くから、権力者を笑う「道化」が君主制においてさえ存在したことを思うと、テレビやラジオから政治諷刺が消えるとしたら、それはこの国の民主主義に危機が訪れるときだろう。今のところギヨンは健在で、「移民歴史館」(写真)から実況された3月30日の番組では、巧みなギャグで「もうこの件はおしまい」と落ちを決めた。移民歴史館は、パリ12区のアフリカ・オセアニア美術館のコレクションがケ・ブランリ美術館に移動したあとに、移民の歴史を展示する国立博物館として2007年にオープンした。歴史学者などのグループが企画の中心となり、フランスの歴史・文化における移民の貢献に焦点をあてた、フランスで最初の移民博物館だ。ところが、開館前の2007年5月、それまで企画にあたった研究者8人は、サルコジが大統領になって設けた「国(民)のアイデンティティと移民省」に抗議して、辞職した。10月の開館の際、サルコジ大統領も首相も当時の「移民省」大臣も出席しなかったことは、サルコジ政権の移民に対する考え方を如実にあらわしている。辞職した研究者や移民を援助するNPOのメンバーなどを招き、「移民歴史館」で特別番組を組んだフランス・アンテール局はしたがって、レジスタンスをつづけているようである。

   2010.3.31 飛幡祐規(たかはたゆうき)


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