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木下昌明の映画の部屋・87回 | ||||||
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●「カティンの森」批判の前提に疑問 ー「ナチス犯行説」の出どころ『思想運動』2月1日号に遠藤裕二さんの「カティンの森」批判の記事がのっています。その批判についてはとやかくいいませんが、その前提としている冒頭の一文に疑問がありましたので、それにふれたいと思います。 ―以下『思想運動』より引用― <ただ、当日わたしは「ソ連犯行説」の“通説”を前提に論を展開したのだが、後日党派機関紙『人民戦線の旗のもとに!』に連載中の「カチンの森事件の真相」(執筆者は佐藤正氏)を読み、参考になった。同記事によれば、ナチスの宣伝相ゲッペルスの日記の中にカティンの森でのみずからの犯行を認める記述がある、という。もっともこの事象のみに依拠して「ナチス犯行説」に鞍替えするつもりではないのだが、いずれにしても事件の真相はいまだ“藪の中”というのが実状だろう。安易に“通説”に従ったのは軽率だったか、といささか反省もしている。> ―ココマデ― ここで挙げている『人民戦線の旗の下に!』は、旧共産党の所感派の流れをくみ、徳田球一を崇拝し、<スターリン万歳>をとなえる集団(日本共産党行動派の下部組織=日本人民戦線)の機関紙とはじめて知りました。もちろん今の共産党とはまったく関係のない組織です。そこで、日本共産党行動派の公式サイト(http://koudouha.com/seimei/01.html)をみますと、確かに「ゲッペルス日記」の件が出てきます。この「ゲッペルス日記」による「ナチス犯行説」を最初に書いたのは、外国人ではなく、実は作家の逢坂剛さん(『中央公論』1992年11月号)だとのべています。その後、逢坂さんは『小説中公』94年1月号に「暗い森の死」と題して、このカティン事件について50ページほどの短編小説を書いています。これを読みますと、そこでも「ゲッペルス日記」のくだりが同じように出てきますし、その部分の英文も出てきます。興味があれば『カプグラの悪夢』と題した小説(講談社)に収録されていますから、読まれるといいです。 この小説は、日本在住のロシア人とドイツ人が「カティン事件」をめぐって、互いに「やれナチスだ」「やれスターリンだ」と犯行をなすり合うものです。終わり近く、ついに「ゲッペルス日記」が出てくるのですが、タネを明かしますと、何んのことはない日本語に訳す訳し方に問題があって、「ナチスのしわざ」と読みとれた所をよく読解すれば、やはりスターリンの犯罪に変わりなかったというたわいのないものです。 多分、逢坂さんは最初に訳し方を誤まったのでしょう。その自らの誤まりを今度は面白おかしく小説に仕立てたのだといえます。作家は転んでもただでは起きないーーというこれは見事なケースです。 それを遠藤さんは、“藪の中”とか“通説”とかで問題をボカそうとしていますが、このような不確かな(実際には間違った理解)の上で批評していることにとても疑問を覚えました。こんな批評がつづけば誰からも信用されなくなります。 小説にもこうあります。 <「すると何かね。カティンの一件はナチスのしわざじゃなくて、やはりスターリンがやったことだ、というのか」「そうだと思います。ゴルバチョフにしてもエリツィンにしても、スターリンをおとしめるためだけに、歴史的文書を偽造したりするわけがない。いくら巧妙に偽造しても、今の鑑定技術をもってすれば、一発で分かりますからね」> 大切なことは歴史的事実を謙虚に勉強することではないでしょうか。この方面の資料はかなり出ています。その気になれば、“真実”を自分の手で掘り起こすこともできるでしょう。 ちなみに1987年4月にポーランドのヤルゼルスキ将軍がソ連を訪問し、ゴルバチョフと会見し、カティン事件その他を解明する「合同歴史家委員会」をつくり、90年4月にソ連が犯罪を謝罪しています。日本では『朝日新聞』4月14日付に掲載されています。 以来、外国ではーーポーランドでは謝罪が不十分という不満はありますがーー「ナチス犯行説」は消えています。ヤルゼルスキ将軍は後年、自らの回想録『ポーランドを生きる』(河出書房新社)でこうのべています。 <モスクワは1990年になってようやくこの恐ろしい犯罪を認めた。事件からほぼ半世紀後である。しかし、真相究明についてはゴルバチョフに感謝している。なぜなら、ソ連の党・政府の保守的な層に真実を認めさせるには、並々ならぬ勇気と粘りが必要だったはずだからである。ソ連は、人類の敵に類する犯行を認めたのであった。> わたしはこの自国の「恐ろしい犯罪」をあえて究明し公けにしたゴルバチョフと、それに「感謝」したヤルゼルスキのなかにこそ、社会主義の精神のなんたるかをかいまみた気がしました。 といって、だからといって、わたしはワイダの映画にくみするものではありません。この映画にはさまざまな問題が内包しています。何よりもワイダ自身の立場が問われる問題ですが、これについては粗っぽいながら『月刊東京』1月号に「ワイダが生涯かけた問題」と題して書きましたので、興味があれば読んでみて下さい。(2010年2月14日) *写真は映画「カティンの森」より。映画は岩波ホールで19日まで上映中。なお、2/21には東京・高田馬場メディアールで木下昌明の映画講座があり、ワイダを取り上げる。詳細 Created bystaff01. Created on 2010-02-14 13:06:15 / Last modified on 2010-02-16 00:21:55 Copyright: Default |