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LNJ Logo 飛幡祐規 パリの窓から・第6回
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第6回・09年10月21日

仕事のストレスが人を殺す

電信電話企業のフランス・テレコムで自殺する社員があいつぎ、社会問題になっている。去る10月15日、ブルターニュ地方のラニヨンにある研究センターの48歳のエンジニアが首吊り自殺をして、2008年2月以降、同社の自殺者の数は25人に達した(全従業員数約10万人)。今年に入ってからは13人目の自殺で、自殺未遂も13を数えている。9月にはパリで32歳の女性が窓から飛び降り自殺し、アンシーで51歳の男性が高架橋から飛び降り自殺したほか、3件の自殺未遂。8月には28歳と53歳の男性2人の自殺(そのうち1人は10月の自殺と同じラニヨンの研究センター)、自殺未遂1件。7月には男性3人の自殺、自殺未遂1件……。

 7月にマルセイユで自殺した51歳の男性は、指導部のやり方を告発する手紙を残してメディアで話題になったが、9月に再び大きなニュースになったときもテレコムのロンバール社長はじめ指導部の対応は鈍く冷たく、「自殺は流行するから」などとうそぶいた。しかし、労働組合が激しく指導部を非難し、フランス・テレコム社の筆頭株主(2004年以降多数株主ではない)である政府の労働大臣が社長を呼びつけて対応を要求したため、ようやく「強制異動を10月末まで一時停止する、勤務におけるストレスについての協定を組と交渉する、自殺について調査する」などの対策を発表した。そして9月末に24人目の自殺が起きた後、リストラと労働環境悪化の責任者とみられていた副社長が辞職し、強制異動の停止は年末まで引き延ばされた。

 25件の自殺のうち、多くは仕事に関係した要因があったとみられているが、それらは日本語の「過労自殺」とは意味合いが異なる。自殺の要因と推定されているのは、超過勤務による疲労ではなくて、頻繁で不本意の強制異動やリストラに対する不安、指導部による極度のプレッシャーなど、職場のストレスなのだ。同社の労働組合は以前から、収益率優先と個人競争にもとづく指導部のマネージメントを批判し、フランス・テレコム社の産業医たちも労働環境の悪化を摘発してきた。しかし、指導部は聞く耳を持たず、失望して辞職した産業医もいた。そこで、一部の労働組合は産業医、ソーシャル・ワーカー、法学者などと共にNPO「ストレスと強制異動の監視局」をたちあげ、従業員の労働環境について詳しい調査を始めた。自殺と自殺未遂の数が2008年2月以降しっかり把握されるようになったのは、この監視局のおかげだ。監視局には人間工学、社会学、精神科など9人の専門家からなる科学委員会も設置されている。監視局の行った調査で66%の従業員がストレスを感じ、15%が絶望・苦悩を感じているという結果が出たにもかかわらず、指導部はこれまでまったく何の対処もしてこなかった。

 自殺の頻発にまでいたったフランス・テレコム社員のストレスや苦悩の背景には、もともと国営の郵便・電話局だった公共サービスが電話局だけ独立して1996年に株式会社となり、公務員の身分をもちつづける人(現在約7万人)とそうでない社員が同居しつつ、急速に変化する先端テクノロジーの分野で過酷な市場競争に組み込まれたという事情がある。民営化される前のフランス・テレコムは、技術革新に秀でた優秀な成績の国営企業を自負し、多くの従業員は公共サービスの精神を柱に、誇りをもって仕事をしていたという。国営独占から市場競争への移行の中で勝ち組として生き残るために、指導陣は収益率優先のネオリベ思想にもとづくマネージメントを徹底させ、「公共サービス文化」を破壊しにかかった。ロンバール社長が従業員に向かって「ムール貝採りはもうおしまい」と言ったように、指導部にとって公務員とはぐうたらの同義語だったようだ。しかし、労働規定に反して公務員の従業員を集団解雇することはできないため、強制異動やパワーハラスメントなどによって個人的に辞職に追い詰める戦略がとられた。国が多数株主でなくなった2004年以降、この経営方針はますます強化され、2006年〜2008年には22000人がリストラされた(全従業員の5分の1近く)。辞職した副社長は「コスト・キラー」と呼ばれていたが、彼は「Next」というリストラ計画や、3年以内の異動を管理職に強制する戦略の責任者だった(モットーは “It's time to move.” ファッションブランドじゃあるまいし、社のモットーを英語でつくるなんて、さもしい発想だ。)

 自殺した従業員が残した手紙や「ストレスと強制異動の監視局」の調査からは、多くの従業員がパワハラや強制異動に苦しんでいる状況があらわれる。それまでの労働編成が大きく変わったことで、従業員が不安に陥り、自信を失ってしまったと社会学者は指摘する。自殺した従業員の多くは40〜50代で、公務員として働くつもりで入社した人々だ。給料の額より、安定した生活や公共サービス精神に重きをおいて彼らが就職したのだったら、その基盤が崩されたことになる。

 監視局はまた、仕事が要因で自殺する人がフランスには年間、300〜600人いると推定している。2006年末〜2007年初め、あいついで3件の自殺が起きたルノー社でも、去る10月9日に再び自殺があった。フランス国有鉄道SNCFでも、先月と今月あいついで従業員2人が自殺した。ちなみに、フランスは歴史的に日本ほどではないが自殺の多い国で、西ヨーロッパでは現在、フィンランドに次ぐ高い自殺率である(10万人について16〜18人)。最も多いのは男性高齢者、次に若者の自殺だから、仕事が要因の中年の自殺は新しい社会現象である。

 かつてフランス人は、「働かないでヴァカンスばかりとっている」と揶揄されていたのに、過労死や仕事が要因の自殺が続出するほど、多くの人々にとって「仕事」は人生における最大の価値になってしまったのだろうか。だとすると、これはゆゆしき事態だ。というのも、ネオリベ経済の論理においては、労働者は利潤計算の変数でしかなく、使い捨てされる存在にすぎないからだ。仕事を自己のレゾン・デートル(存在理由)にしてしまっては、自分自身の人間性の破壊をまねくことになり、さらには社会の荒廃を導くだろう。

 ネオリベ経済がなぜ人間性を破壊するかというと、フランス・テレコムの社員にかぎらず、人間とは(ごく少数の例外を除いて)安定を求めるものだからである。人間は昔から社会生活を送ってきた。家族や部族などの集団をつくって定住し(遊牧民や流民にしても、慣習化した規範にしたがって行動する)、自己と近親がつつがなく生きていけるように生活を設計してきた。設計とは未来を描くことだが、未来を描くという能力は人間の特性である。ところが、失業によって生活手段を失った場合や、いつ解雇されるか異動になるかわからないというような不安定な状況では、未来を描くことはできない。未来の設計ができないと、人間は不安に陥って身体や精神に障害をきたしたり、暴力的になったりする危険が出てくる。

 ネオリベ経済は、急速に変化する市場に適応できる人材、新しい仕事にすぐ順応できて、いつでも別の未知の職種、どんな場所にでも異動できる労働者を求める。ところが、これまでの社会制度も教育も、もっぱら人間を枠にはめるようにできているのだから、そんなフレキシブルな状況に対応できる人はほとんどいない。長いあいだ終身雇用がモデルだった日本や、家族やヴァカンス、仕事以外の世界における自己実現を大切にしてきたフランスではとりわけ、ネオリベの労働モデルに対するストレスは大きいだろう。これからはノマード(放浪者)の時代だ、It's time to move!などと言われても、常に居場所が不安定な状況で(家族や恋人、友人との関係も築けず)、実力を発揮できて精神の平静を保てるフレキシブルな人間なんて、ほとんど存在しないのではないだろうか。世の中にはたしかに「冒険者」タイプ、放浪者タイプの人もいるが、そういう人だって50歳も過ぎればフットワークが鈍るだろうし、誰もが冒険者やアーティストの素質を備えているわけではない。

 土屋トカチさんのドキュメンタリー「フツーの仕事がしたい」がめでたく、ロンドンのレインダンス映画祭でベスト・ドキュメンタリー賞を受賞した。英語のタイトル、“A Normal Life, Please”(「ふつうの暮らしがしたい」)を見て、なるほどこれには、多くの人の願いがあらわされているのだなと思った。わたしは年若い頃から、社会で常識とされるふつうの暮らしなどしたくないと思って生きてきたが、人間とは地に足をつけて何かを築くことで、心の安定を得られるのだと感じるようになった。それが仕事の場合もあり得るだろうが、そのためには自分自身が能動的な当事者であることが必要だろう。あるいは、公共サービスのように、社会のみんなのために働いているという意識。人間は他者との接触をとおして人間性を培う社会的動物なのだから、ひとりひとりに分断され、土台を崩されて安定を失った人間が、人生に意味を見いだすのはむずかしい。

 ルノーでのあいつぐ自殺が話題になったとき、自殺は抵抗のひとつの形だとある社会学者が述べていた。フランス・テレコム社の自殺者の中にも、会社の経営を告発する手紙を残した人がいた。彼らの死をきっかけに、この殺伐とした労働環境に変革がもたらされることを願いたい。フランス・テレコム社の指導部は10月19日、全従業員に労働環境に関するアンケートを配り、翌20日にはストレスに関する交渉を再開した。同日は社の労働組合がストや集会をよびかけている。(2009.10.20 飛幡祐規 たかはたゆうき)


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