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●フランス映画『フランドル』
「愛」と「性」の深淵をさぐる
「繊細で過激な」フランス映画

 男女の愛ほど、ミステリーじみたものはない。世界中の映画がこぞって愛をテーマにしているように、その描き方も多様だ。そんな「愛と性」を考えさせるブリュノ・デュモン監督の「フランドル」が東京・渋谷ユーロスペースで4月28日から公開される。

 映画はフランドル地方の村が舞台。冬の寒々とした風景も絵画のように美しい。そのなかで農家の青年と隣の娘との愛ともいえない愛の関係を中心にドラマは展開している。二人の間にはほとんど会話がなく、セックスも動物のように淡泊だ。そんな二人が村のバーで友人たちと飲んでいた時、青年は娘を「ただの友だちだ」と言ってしまうが、この言葉をきっかけに、娘は見知らぬ若者に声をかけ、(不可解にも)一緒にバーから出ていく。やがて、娘は若者の子を宿し、他の男と衝動的なセックスもして精神を病んでいく。

 これと前後して、青年たちは、戦争にかりだされる。そこはフランドルとは打って変わった砂ぼこりの舞う砂漠地帯。殺し合いも即物的に描かれていてあ然となる(中東のどこかを思わせるが、それがどんな戦争で、どこが戦場か、明らかにしていない。そのぶん寓話ふうになっている)。

 ここでも理解しがたいシーンに出くわす。兵士たち(当の青年と若者も含む)は一軒家の女を集団強姦し、その後、ゲリラ部隊に捕まる。そこへ女が現れ、強姦した兵士でなく、それを見ていただけの兵士の方を殺す。社会的通念では強姦した兵士が処罰されるのに、どうしてか?

 男女の間には、昔から理屈では片づけられない愛と性の深淵が横たわっている。一見して過剰とも見える娘の生き方を通して、「愛」が言葉ではなく本能のようなもの・テレパシーのように精神に敏感に反応するものだということを映画は教えてくれる。そして、戦場から遠く離れていながら、彼女の異常なふるまいは戦争の狂気によるものということが見えてくる。そこがすごい。

 ブリュノ監督は、登場人物を抑制した、繊細かつ過激なタッチで描く、特異な作風で知られている。前作の「ユマニテ」に続き、本作もカンヌ国際映画祭審査員グランプリを受賞した。

*「サンデー毎日」2007年5月6日・13日号発表の原稿に加筆したもの。


Created bystaff01. Created on 2007-05-02 19:12:44 / Last modified on 2007-05-02 19:15:22 Copyright: Default

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