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●木下昌明のWEB版・批評『フリーター漂流(NHK)』(2005年3月24日掲載)

グローバル社会における生産点のいま

木下 昌明

*以下の文章は『労働情報』667号より転載した。転載にあたって加筆訂正を行なった。

 昨年の暮れごろから、政府の愚民化政策の片棒をかついでいるNHKの体質をめぐってジャーナリズムがにぎわっている。同時に受信料の支払い拒否もふえて問題になっているが、これはテレビマンユニオンの今野勉が、「NHKに言いたい」という特別番組(12月19日)で発言していたように受信料の支払いは「義務ではなく権利」なのだ。

 そんな折、『フリーター漂流−−モノ作りの現場で』というタイトルにひかれて、NHKスペシャル番組(2月5日)をみて、驚きかつ感動した。そこには、工場で働くフリーターたちの救いのない実態がとらえられ、グローバル経済下での生産点のあり方が問われていたからだ。

 フリーターといえば、日本ではいま400万人にのぼるといわれているが、一口にフリーターといっても、そういう呼称の“存在”は、さまざまである。わたしはこれまでコンビニやスーパー、家電販売などのサービス産業で働く若者をイメージしていたが、どこかとらえどころがなかった。しかし、この番組でのフリーターは−−「モノ作りの現場」といえば聞こえはいいが−−栃木県の田畑や山林を造成した広大な工業団地の工場で働く若者たちのことを意味した。そこには60の工場があり、マンション風の宿舎が建ち並んでいる。そこへ「請負会社」を介してフリーターたちが、全国各地からバスを連ねて送り込まれてくる。まるで、それはどこかの国の収容所を思わせる光景だ。

 また作業は、ケータイのライン組み立てや半導体基板の塗装といった単純労働である。それもずっと同じ場所に配属されるのではなく、工場をしきっている「通信機器メーカー」側の生産変動によって工場から工場へと駒のように転々とさせられる。若者の一人が自分たちを「人間ロボット」と自嘲する。彼らの収入は時間給で900円。会社側の説明によると、1ヵ月40時間の残業を入れて23万円余になるというが、病気で早退したり休んだり、生産調整で仕事がきれたりしたときは、何の保障もなく、人によっては19日働いても手取り6万7千円にしかならない。

 番組はこういう実態を、北海道から来た3人のフリーター(21歳、25歳、35歳)に寄りそいながらとらえていく。NHKが、働く者の立場にそって労働問題に迫っていく番組は、最近ほとんど目にしなくなっている。その点でも、これは貴重なドキュメンタリーといえよう。

 といっても、番組は彼らだけを追っているのではない。彼らを工場に送り込む「請負会社」の一つにも照明をあてている。その会社は、全国200ヵ所に面接会場を設け、月6千人のフリーターを採用し、千200社の工場に振り分けている。しかし、「請負」といっても体裁をつくろっているだけで、内実は「工場」に員数を送り込む現代版“人入れ稼業”にすぎない。人材開発の部長は、こういう会社は1万社もあって、競争がはげしく「毎日が戦争」といい、「工場へは一名でも多く玉を送りたいのが本音」と、吐露する。また、これを受け入れる「メーカー」側の社長も「フリーターは、その時々に対応して操作ができやすいから便利」と、物でも扱っている口ぶりだ。実は、このメーカーとて大企業の下請けにすぎない。そこでメーカーと大企業との関係はどうなのか、知りたくなるがそこまで番組は追及していない。その点の不満は残る。

 では、なぜフリーターが製造現場にまで進出して働くようになったのか。それをナレーションでは、中国との価格競争が原因と指摘する。ここからわたしの推測もまじるが、−−中国が沿海部に経済特区を設け、農村部からの出稼ぎ労働者をつのって「世界の工場」とすることに成功したように、日本の企業はこれを一つのモデルにして、東京近郊に経済特区のような工業団地を設けて、そこに“フリーター”の出稼ぎ労働者を集めて送り込むようにしたことだ。特にケータイのようにモデルチェンジが激しい家電は機械よりもフリーターの方がコストが安く迅速であること、工場が集中していると生産調整で一時ストップしてもすぐ別の工場での移動配置が可能なことである。これによってフリーターの労働力がフルに活用できる−−ということではないか。また政府は、これまで製造部門の人材派遣を禁じてきたが、法的につくろって、昨年3月1日より実施にふみきった。その結果、製造現場でのフリーターは一挙に100万人を超えて、「請負会社」も1兆円産業にまで急成長を遂げることとなった。

 この「構造改革」で、日本経済は野放し状態となった。ここから憲法に則った「労働法」で保護されていた労働者からも、しだいにその権利を剥奪していく道が切りひらかれたといえよう。「労働法」で保護されなくなった労働者は人間でなくなる。フリーターは人間ではない。「玉」でしかない。だから、彼らが送り込まれた「現場」には、彼らを人間として育成するような環境は全く整っていない。彼らもまた自分の居場所を見つけだすことができない。そこで彼らは悩み、自棄になり、中途でやめていく(やめていかざるをえない)。やめても行き場所がなく、精神は荒廃し、自殺者もふえていく(この番組放映の日、新聞には、無職の若者を中心に10人の男女がそれぞれ集団自殺をしたと報じていた)。人間がこわれていく世の中のモラルの根っこは、労働を基盤にして成り立っているが、それがここでは完全に崩れていることがわかる。「現場」を支配しているのは、どこどこまでも使い捨ての論理だからである。

 番組は、そういう現場の実態を淡々ととらえていくことで、かえって視聴者の胸を打ち、これでいいのかと疑問を抱かせる。ところが、既成の労働組合は、こういう現実に対応すべき方針がもてないでいる。それには、これまで「フリーター」と呼ばれていた若者に対するネガティブなイメージが影響していたことも否めないが、何よりも、グローバル経済によって新たにつくり出された生産点での組織化が、理解はしていても困難であることの方が大きかったといえよう。この番組を見れば分かるように、もはやフリーターはかつてのイメージではかることができないところにまで来ている。いまだに“青春時代”の猶予期間のそれとしてとらえる人々がいるが、実態は「利潤追求の道具」としての代名詞でしかない。

 この番組で、わたしの目に焼き付いて離れない人物がいた。彼は童顔だが、もう35歳。実直そうだが不器用で、年齢制限で追いつめられ、「やるしかない」と必死に働いている。それでも仲間が次々にやめ、先行きのない仕事に自信がなくなり、ついに帰郷する。しかし、老父母は快く迎えてくれない。昔気質の父は「辛抱していれば上司が認めてくれる」といって、実態を理解しようとしない。理解していては一家の破滅をまねくからだ。

 再び彼は「請負会社」の面接を受けて、愛知の自動車工場に向かう。そこは名前こそ伏せられているが、かつて鎌田慧が体験し、つづったトヨタの下請け−−『自動車絶望工場』である。人間を機械にしたてる、あのトヨタ生産方式の拠点である。彼の前途に希望はない。それでもラスト、彼は雪道をカメラに背を向けて遠ざかっていく。その後ろ姿に、わたしは日本の労働者の救いようのない行く末を見た。

 −−これでは日本社会はダメになる。働く者の集団の力で世の中を変えていくしか途はない。また、NHKも変わるべきだ。変えなければならない。国家の民衆支配操作の広報機関でなく、視聴者=民衆の側に立って、いま起きていること、起きつつある問題に鋭い批判の目をそそぐ情報機関としてつくり変えていくべきである。


Created byStaff. Created on 2005-09-04 20:40:24 / Last modified on 2005-09-04 20:49:09 Copyright: Default

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