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差別禁止法、私たちの人生を数えられるように

[レインボー]

パク・チョンジュ(性的権利と再生産正義のためのセンターシェア、SHARE) 2020.08.10 08:24

はかり知れない差別

10人。6月29日、正義党の張恵英(チャン・ヘヨン)議員が代表発議した 差別禁止法案の発議者リストに名前を連ねた議員の数だ。 14年。2006年に国家人権委員会が立法推進を勧告した後、 何回かの試みにもかかわらず、この法が制定されないまま流れた時間だ。 はかり知れないものがある。 この間、差別に苦しんだ人々の数、 彼らがそのようにして過ごさなければならなかった時間、 彼らが正面から闘わなければならなかった時間。 生活のあちこちで細かくまつわりつく それこそとても多くの差別を、 とても多くの人々が体験しているためだが、それが全てではない。 差別を扱う公的な言語がない中で、 とても多くの差別が差別と認識されたり規定されないため、 差別は文字通り推し量ることができないまま続いている。

一方では保守政党と保守キリスト教が主軸になって差別禁止法制定を (また生活パートナー法制定、軍刑法醜行罪条項改正、地域自治体人権条例制定などを) 全方向的に妨害して、 もう一方では平等と民主を標榜する有力政治家がそれに付和雷同した。 例えば以前、大統領選挙で差別禁止法制定を公約した文在寅(ムン・ジェイン)現大統領は、 2017年の大統領選挙では韓国キリスト教総連合会所属の牧師たちと会い、 差別禁止法制定による「不必要な議論を防がなければならない」とし 「党の立場が確実だから心配しなくてもいい」と話した。 実際に今回の発議に参加した共に民主党の議員は2人しかいない。 これまで強くなることができない人生は、 また数えてはいけないことになった。 社会的混乱だの逆差別の憂慮とかいう悪意の修辞が武器になって、 差別を訴える事そのものを遮断した。

性少数者という理由で解雇された人々、 聖書に反するサークル活動をしたという理由で停学にされた人々、 HIV感染者だという理由で診療を拒否された人々、 国籍を理由に福祉制度から排除された人々、 同性という理由で婚姻届を拒否された人々がいる。 あるいは女性だから、若いから、障害者だからという事実が 相変らず合理的で説得力ある「理由」にされ、彼らの経験は差別と見なされない。

障害者差別禁止法や雇用平等法など、 いくつかの個別の領域での差別禁止を明示した法はあるが、 差別はそれほど特定の主体に特定の方式だけで加えられるのではない。 差別を包括的に規定する国家人権委員会法があるが、 強制力のない委員会の是正勧告は他の政府機関にさえ、 十分に力を発揮できずにいる。

「差別を知って介入し、平等な関係を実践する力」

2007年に最初に政府案が発議された後、差別禁止法案は何回も発議された。 ほとんど「任期満了廃棄」で終わり、一部は自主的に撤回され、 ときには性的指向、性自認などの言及が削除されて発議されたりもしたが、 着実に議論の線上にあった。 続いた保守政権も関連委員会を運営したり、 国政課題で言及するなど、形式的な水準ながら議論を進めた。 しかし現政権は大統領選候補の時から制定反対の立場を明らかにし、 先日任期が終了した20代国会でも一度も発議されなかった。

今回の案が発議された翌日、 国家人権委員会は平等および差別禁止に関する法律、 略称平等法制定が必要だという意見を試案と共に国会に表明した。 また、それから何日も経たずに国会のホームページに 包括的差別禁止法立法を要求する市民請願が登録された。 2013年に発議されてすぐに撤回された二つの案と、 2012年に発議されて2016年に任期満了で廃棄された一つの案の後、 数年ぶりに国会での議論が再開されたのだ。 差別禁止法制定連帯は前述した市民請願の参加を訴えなて、 差別禁止法をこのように紹介している。 「差別禁止法は互いの同僚になろうとする市民の平等力量を高めます。」

差別禁止法は、単に差別を禁止したり被害者を救済する道具ではなく、 それ自体で「差別を知り、介入して、平等な関係を実践する力」という意味だ。 そうだ。 差別禁止法は強力な処罰が核心ではないが、 たとえそうであっても直ちに強力な処罰が行なわれるのは難しい。 男女雇用平等法が存在しても公然と男性が優待され、 労働法が存在しても最低賃金違反から労組破壊工作が当たり前に行われているのと同じだ。 恐らく差別禁止法の始まりは、互いが互いの差別を意識できるようにして、 それによって平等を作れるようにすることであろう。

私たちの生を数えられるように

初めて私たちの差別を、私たちの生を数えられるようになる。 何種類の差別を何回うけ、数時間苦しんだと言えるようになるという意味からではなく、 差別を差別として意識して話せるようになるという意味からだ。 生と思われなかったものや、生になることができなかったものを 生にできるようになるという意味でだ。 初めて私たちの差別が、私たちの生が、消されなくなる。 はなはだしくは差別が相変わらずでも、 消されずに語られれば、生は全く違うものになったりする。

差別を語ることができなければ、初めから差別を知ることができなければ、 平等は不可能だ。 「差別を知り、介入して、平等な関係を実践する力」がなければ 尊厳も幸福も不可能だ。 誰かの特定の差別行為を処罰したり、誰かを特定の差別から保護することによって 社会の秩序と声援の安全を企てる城壁ではなく、 むしろ生と生の自由な出会いを ――したがって時には(平等な間の)衝突を―― 初めて可能にしてくれる新たな場所が切実だ。 包括的差別禁止法がその土壌を肥沃にするだろう。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2020-08-14 21:16:45 / Last modified on 2020-08-14 21:16:47 Copyright: Default

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