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GM大宇自動車非正規支会、夢見る花の布団

[派遣美術-現場美術]非正規労働者と芸術家の連帯

シン・ユア(文化連帯活動家) 2017.07.04 12:00

[編集者 注] 2009年の竜山惨事現場実践を契機として結成された「派遣美術チーム」の活動が8年間、うず高く積もった。 竜山惨事、GM大宇非正規職座り込み闘争、双竜車整理解雇反対、大宇造船鉄塔座込場と釜山韓進重工業、ブラックリスト闘争などでの多様な実践を文化連帯のシン・ユア活動家が連載する。

2009年の竜山惨事現場で忙しく動いた派遣美術チームは、 富平のGM大宇自動車非正規支会労組設立2周年闘争文化祭に参加することになった。 仁川で活動したキム・ジェソク作家の連絡を受けたチョン・ミヨンの提案で始まった派遣だ。

キム・ジェソク作家は、キリュン労働者闘争、Eスーパー闘争現場などを回って、 闘争する労働者たちと連帯し、彼らの姿を絵にする作業をしていた。 龍山惨事の現場で、終わることがない展示の空間も作った。 彼はある日、キリュン闘争の現場に連帯しに行って、 GM大宇自動車非正規支会のホン・ドンスと出会い、 これを契機として富平のGM大宇自動車テント座り込み現場と縁ができた。 初めて訪問したテント座込場は、寂しく孤独に見えた。 環境の改善が必要だと感じたキム・ジェソクは、 時々立ち寄って、多様な文化活動を作り始めた。

その間、毎年仁川で開かれていた仁川労働文化祭がまた始まり、 キム・ジェソクはそのうちの「労働美術クッ(祭祀)」というプログラムを進めた。 労働美術クッは、美術作家の参加と展示で作られ、 ギャラリーのような一定の展示空間で運営された。 だがキム・ジェソクは苦悶に陥った。 「労働美術クッのどこに労働があるのだろうか。 名前にふさわしい空間にしなければならないのではないか。 労働者と一緒にすることが本当の労働美術クッではないか」。 ちょうどその時に連帯していた富平GM大宇自動車非正規支会のテント座込場の寂しさと活気のない姿を思い出した彼は、 さまざまな悩みの末に仁川労働文化祭組織委に提案することを決心した。 仁川労働文化祭組織委は、多くの論争と悩みの末に、 事前プログラム2009労働美術クッを現場で行うことを決定した。

ちょうどGM大宇自動車非正規支会の労組設立2周期になる日が遠くない時だった。 題名を決めた。 2009労働美術クッの題名も決めた。 「非正規チャイダ?」 どんな意味か? 重意的な表現で、非正規職が作った自動車(チャイダ)という意味と、 非正規職が現場で使用者側に足蹴りする(チャインダ)という意味だ。 プログラムも作った。 ハガキ送り、テント計画、テント展示場作り、芸術治療、版画印刷など、 労働者と芸術家が一塊になることができるなかなか斬新な企画だった。 今はずいぶんおなじみになったプログラムだが。 チョン・ジンギョンをはじめとする派遣美術チームは、 座り込みテント計画と展示空間作りの提案を受けた。

会社の人員削減が呼び起こした雇用不安に萎縮したGM大宇富平工場の非正規職労働者たちは、 2007年9月2日に非正規職労働組合を設立した。 労組が設立されると使用者側の弾圧は想像以上に強かった。 外注化などを理由に非正規職組合員を解雇し、 労組を脱退すれば新規業者に雇用継承をすると懐柔したり、 非正規職労組との団体交渉は話もしないようにした。 非正規職労働組合の幹部は工場の中に入れず、 労働組合の宣伝戦や集会に元下請労務チームを動員して暴力をふるうなど、 労働者たちにあらゆる苦痛を与えた。 使用者側の用役の暴力に苦しんだ非正規職組合員たちは、 2007年10月30日、GM大宇富平工場西門反対側の道路にテントを張って座り込みを始めた。 この過程でGM大宇非正規職支会は「総雇用保障争奪、非正規職撤廃!」を叫んで 670日を越えるテント座り込み、135日の高空籠城、麻浦大橋・漢江大橋でのデモなど、 さまざまな方式の闘争を続けてきた。

2年経った2009年9月2日、彼らの闘争を支持するために多くの人々が集まった。 相変らず闘争をしているキリュンの労働者、コルトコルテックの労働者、双竜自動車の労働者など、 全国で闘争している多くの労働者たちが連帯するために駆け付けた。 派遣美術チームはいつものように、連帯の場を作るためにあらかじめ集まって議論して、アイディアを集める。 そして労組の組合員と意見を交わして共同作業ができることは役割を分担する。 そのように見れば、これまで胸の中にしまっていた苦しかった話、 家族の話、生活の話が気兼ねなく出てくる。 派遣美術家たちも美術家だけの苦しみがある。 こうした苦しみの話は、主に夕食の場でやりとりされる。 この日、派遣労働と下請労働など労働の形態についての話を聞き、 話の途中には労働者の賃金についての話を聞くことができた。 耳打ちをした。 「私たちよりマシだよね…」

美術家、芸術家の暮らしもそんなに楽ではない。 絵を売り、歌を歌い、写真を撮って暮らすことは、楽なことではない。 1年に70万ウォン稼ぐ芸術家がいるかと思えば、アルバイトを併行しなければ暮らすのが難しい状況の芸術家は、平均70%を越えるという。 芸術家、特に若い芸術家の生活苦は自殺につながっており、 これは特定の人の問題ではなく、芸術家全般の問題だ。 もちろん、どこにでも貧富の格差は存在する。 一般的にとって人々は芸術家を羨望の視線で見る。 時には楽しみながら暮らす人と片付けたりもする。 芸術家こそが闘争の主体で、自らの権利のために戦わなければならない。 恐らく、労働現場の闘争が芸術家の暮らしと無関係ではないので、 連帯の絆がつながり続けているのかもしれない。

そんなこんな理由で、派遣美術チームは劣悪な自分たちの境遇を知り、 自ら派遣美術チームという名前で活動を始める契機になった。 2009年9月2日が派遣美術チームの誕生日である。

2010年、年を越し、時間は流れ、座り込みは約束なく長くなっていた。 そんな冬のある日、派遣美術チームに連絡がきた。 座込場のテントがとても古くみすぼらしくなったとし、補修できるのかとおそるおそる連絡してきたのだ。 座り込みテントを初めて計画して作った時、事実、組合員たち全員が喜んだわけではなかった。 それでどうせ補修工事をするのなら、まったく新しくデザインしてみようと意見を集めて富平GM大宇座込場に行った。 座り込みをしていた組合員たちは喜んで私たちを迎えてくれたし、 現在の座り込み進行の経過など、闘争の話を聞かせてくれた。 もうすぐ高空籠城をすることになるだろうということ、 今回の座り込みで終わらせる予定だという話だった。 座込場が良い結果ではなくなるかもしれないという話であった。

そして2010年12月1日午前、 GM大宇自動車非正規職支会組合員2人が高さ9メートルのGM大宇自動車富平工場正門の前の造形物に上がり、高空籠城を始めたという報せに接した。 派遣美術チームは座り込みテントの補修工事より、いっそ座込者を元気付ける応援の行動をするほうが良いと考えた。 ダンボールで大きな人形を作って応援の文句を書いて、高いところにかけてみようと話した後、 派遣美術チームは安城のイ・ユニョプの家に集まった。

大きな人形を作って色を塗り、夜を過ごした翌日の朝。 イ・ユニョプはもそもそと起きてきた人々に、とんでもないアイディアを思いついたとし、作業のアイディアを話し始めた。 高空座込者を守ってる人々が道端でビニールをかぶって眠る姿を見て思いついたとし、 彼らに花のかけぶとんをかけてあげようということだった。 素敵な意見だった。 夜中に終わらなかった作業をして、花のふとんを作るテント生地を買って、それを持って富平に行った。 2010年12月7日。 座込場を守っている人々が工場の壁を風よけにして、ビニールをかぶって横になっていて、 われわれはその上にテント生地をかけて絵を描き始めた。 今日一日だけでも花のかけぶとんをかぶって暖かく幸せな夢を見てほしい。 そして再び労働者たちが路上に追い出されて闘争することがないことを望んだ。

GM大宇自動車富平工場正門前の高空籠城は、30日、60日と過ぎ、 その下には当時支部長だったシン・ヒョンチャンがハンストをしていた。 ハンスト45日、高空籠城64日になった日、使用者側との合意がなされて闘争していた労働者全員の復職で座り込みが終わった。

付記
この文は文化連帯が発行する「話の倉庫〈文化パン〉」にも掲載されました。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2017-07-07 02:15:10 / Last modified on 2017-07-07 02:15:12 Copyright: Default

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