韓国:金栄煥、証拠ない陳述で統合進歩党の人に暴力革命烙印 | |||||||
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金栄煥、証拠ない陳述で統合進歩党の人に暴力革命烙印新ROの登場に、中央委全員NL路線の思想検証議論まで
キム・ヨンウク記者 2014.10.21 22:35
転向した主体思想派の大物で、「鋼鉄書信」で知られる金栄煥(キム・ヨンファン)北朝鮮民主化ネットワーク研究委員が、 李石基(イ・ソッキ)統合進歩党議員をはじめとする統合進歩党の主要議員、最高委員などが民主革命党の組織員、 または民主革命党傘下RO(革命組織)組織員だと主張したが、 実際に直接彼らと会って指導をしたり指令を出したことはなかった。 金栄煥氏はまた95年の地方自治体選挙の時に立候補した統合進歩党の 金美希(キム・ミヒ)、李相圭(イ・サンギュ)国会議員に北朝鮮の工作金が一部混ざった民主革命党次元の選挙後援支援金500万ウォンを各々渡したと主張した。 だが直接、金を渡してもおらず、他の証拠を提示することもできなかった。 その上、金を渡した人の道徳性を信じて実際に渡したのかどうかも確認しなかったと明らかにした。 10月21日午前10時、憲法裁判所は大審判廷で 「統合進歩党解散新版請求訴訟」と「政党活動停止仮処分申請」事件の16次弁論を行い、 転向した主体思想派の大物、金栄煥氏と、 偽装活動家の議論に包まれた統合進歩党内乱陰謀事件の情報提供者、 イ・ソンユン氏の証人尋問を進めた。 この日、金栄煥氏は統合進歩党の中心人物と学生運動時代に同じ組織で活動した事実を細かく伝え、 一部の核心事実は日付が違っていたり、推測で一貫した。 金氏は「北朝鮮は(接触)初期から合法的な進歩政党を要求した」とし 「私が91年に北朝鮮を訪問した時も、民主労働党の成功に積極的意欲を持っていたし、 私たちに直間接的に民主労働党の支援を要求した」と主張した。 金氏は「当時、主体思想派系列は合法的な進歩政党から距離をおき、 悲観的な観点を持っていて、 民主労働党に直接参加した人は殆どいなかった」とし 「北朝鮮のそうした態度を見て、私も合法的な進歩政党建設の必要性を検討し直し、 特に94年からは北朝鮮が積極的に何回も私たち(民主革命党)が合法的進歩政党の建設を主導しろと指示した」と主張した。 こうした金氏の陳述は信頼するのが難しい。 91年には民主労働党そのものが存在せず、 当時成功した進歩政党といえるようなものはなかったからだ。 いわゆる李石基(イ・ソッキ)派閥と称される民主労働党旧党権派が民主労働党に大挙入党した時期は2000年代の初期だ。 金氏の主張はほとんど推測に基づいていた。 金氏は「民主革命党組織員だった李石基中心の京畿南部委員会や嶺南委員会が、 民主労働党の組織化に積極的に参加した過程を知っているか」という質問には 「正確には知らない。 97年の民主革命党の解体以後、彼らの活動に関与したり接触したこともないので具体的に知らない」が、 「95年頃から北朝鮮が積極的に進歩的合法政党の建設に邁進しろという強力な指示をしていたので、 民主労働党の加担過程を見ると、 民主革命党の時の路線と方針によってそうしているのではないかと推測している」と明らかにした。 彼は89年の7月に北朝鮮朝鮮労働党に入党し、 91年5月北朝鮮に密入国して金日成と面会した事実を知っていた人は4人程度で、 4人とも現統合進歩党の関係者ではなかった。 金氏は民主革命党が仮名で活動する組織なのに、 どうして多くの人の実名を知ったのかという質問には 「普通は実名は分からないが、いくつかの例外がある」とし 「民主革命党の加入はみんな実名で加入申請をする。 核心幹部のような場合、関心を持って記憶した」と主張した。 金氏は民主革命党の下部組織だった京畿南部委員会と嶺南委員会の関係者をいちいち数え上げたが、 これらの関係者と直接会ったことはなかった。 また民主革命党を解体した後の99年以後、 彼が言及した人と会って対話をしたこともなく、 何回か他人を通じて伝え聞いたことだけだといった。 また李石基議員などが相変らず暴力革命路線を追求しているという根拠について 「公開のTV出演やセミナー、私的な学科、サークル同窓会の発言や態度を総合すると、 核心メンバーは暴力革命路線を放棄していないと確信する」と話した。 彼は民主革命党が管理していたRO組織があったとし、 当時のROと李石基内乱陰謀関連のROの関係について 「李石基が90年代初期から管理指導していたROを解体せずに維持していたと考える」とし 「検察が起訴した時にマスコミに公開された資料を見れば、 2003年に連合ROを作ったとなっている。 李石基が90年代初期から指導していたいくつかのROを一つに統合したのではないかと思う」と主張した。 金氏は自分が北朝鮮で金日成と会った後に民主革命党に懐疑を感じ、 95年に解体を決心したが、 97年の解体の事実を北朝鮮に知らせなかった。 結局、北朝鮮が98年まで金氏に指令を送っていたことについて 「北朝鮮の指令に積極的に従わなかったが、 北との関係を切ると他の民主革命党の幹部に接触し、 新しく工作することを防ぐために、 思想転換を隠すといった趣旨で北朝鮮に解体の事実を知らせなかった」と強調した。 憲法裁判の途中に思想調査の議論続いて午後、証人に立ったイ・ソンユン証人の尋問では、 検察側が統合進歩党の最高委員と中央委員それぞれの思想検閲水準の尋問を行い、 問題になった。 検察側はイ・ソンユン証人に総合進歩党最高委員のリストと中央委員のリストを一つ一つ読み上げ、 各個人がNL(NLPDR民族解放民衆民主主義革命論)という暴力革命路線を相変らず持っているかのを尋ねた。 これにより、統合進歩党が暴力革命を主導する勢力が掌握している政党だという事実を証明しようとした。 イ・ソンユン氏は「統合進歩党内の京畿東部勢力や光州全南、釜山蔚山勢力はすべてがほとんど同じ路線だと見れば良い」とし 「李石基議員はチリのアジェンデ政権が選挙革命で執権し、 米国によるクーデターで政権を奪われた先例をよく話し、 選挙革命だけを念頭に置かず、全国民の抗争と武力、軍事力まで念頭に置いたと理解すれば良い」と強調した。 イ氏は2012年の総選挙で当選した李石基派閥の議員と姜基甲(カン・ギカプ)前議員との差についての質問に 「根本的に革命家かどうかの区分で決められる。 李相圭(イ・サンギュ)、金美希(キム・ミヒ)、金在妍(キム・ジェヨン)、李石基(イ・ソッキ)、呉秉潤(オ・ビョンユン)、 彼らはみんな組織生活をする革命家だという話を聞いた」とし 「革命家は革命的思想とROという前衛組織活動、 革命的実践をするかどうかで区分されるが、 姜基甲氏のような人はそうした部分で根本的に違いがあると理解すれば良い」と主張した。 続いてイ氏は、 検察が提示した民主労働党1期最高委員、2期最高委員党3役、現統合進歩党最高委員と中央委員数十人についての政治指向の分類を憲法裁判所裁判官が見る前で行った。 統合進歩党側の弁護団は強く反発した。 イ・ジェファ弁護士は 「憲法裁判は徹底的に憲法原則により尋問しなければならない」とし 「最高委員、中央委員リストを証人に見せて指向を聞くのは思想検証であり、 もうひとつの踏み絵だ。 憲法裁判に適合しない」と指摘した。 続いて「このように、それぞれの指向を分類すれば、 私たちも反対尋問で1人一人ずつ指向分類の根拠を問うしかない。 適切に立証趣旨関連の尋問方式を制限的にしてくれ」と要請した。 検察側は「中央委員リストにNL系列がどれほどいて、 実質的な意思決定単位である中央委をどの程度掌握していたのか、 政党解散の判断に重要な点」と強行する意志を曲げなかった。 パク・ハンチョル憲法裁判所長も 「中央委自体が意思決定に重要な機関で、 構成員の指向をNL系が掌握する問題と直結している」とし 「請求人は尋問を続け、 被請求人は反対尋問で適切に指摘しなさい」と被請求人意見を受け入れなかった。 翻訳/文責:安田(ゆ)
統合進歩党弁護団、「金栄煥の証言は推論と推測、証拠価値がない」 「控訴審でROの実体がなく、結論にイ・ソンユン証人に無理な要求」
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