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葬儀をするために戦います

[コラム]明博山城のトラウマを越える龍山惨事百日

イ・ジョンフェ(龍山氾国民対策委)/ 2009年04月18日1時47分

肩にのしかかる生活の重さに疲れてだるい一日を続ける者、差別と抑圧に苦痛 を感じる者、その上少なくともこれを越えて、新しい人生を夢見る者、その誰 にも近頃ほど大変ことはなかったようです。周辺で運動をしている人々のほと んどが憂鬱症っぽく暮していると言っても過言ではありません。私もやはり最 近崩れた人生を、不眠の夜を酒に頼って過ごしたことがありました。

2003年、非正規労働者の自殺政局を通り私には何もできないという無力感で、 通っていた学校をやめて労働現場に入りもうすぐ30年になる歳月にも、何もで きないという無力感に陥り、酒に頼って暮したことがありました。誰かは躁鬱 症だとでたらめ診断をしたりもしましたが、およそ3年をすぎてやっと起きて頑 張って、ここまできました。しかしまたその病気が再発しています。今笑って いても泣いています。ところが泣いているだけではなくて笑っています。

切実で断固たる遺族の前に氾国民対策委が恥ずかしい

読みながら鳥肌が立った再開発組合員会報の表現そのまま書くと、「組合員の 財産増殖のために昼夜を通して走っている」龍山4地区再開発組合と彼らに雇わ れた用役チンピラに、そして三星物産建設と警察に追われて櫓に上がるほかは なかった撤去民がいました。私が今その撤去民と同じ状態です。

警察の暴力で氾国民対策委は大衆から孤立したまま、私は何もしていないのに 逮捕令状が発行され、捕えられることはできずに遺族という櫓に逃避していま す。逆も逆、悪いこともとても悪くなりました。申し訳なくて恥ずかしいこと この上ありません。ヤン・フェソン烈士の子どもが警察に踏まれ、軟骨が破け て手術を受け、ツエをついて歩いても、何もできない無力感に、氾国民対策委 の共同執行委員長の名前が恥ずかしいだけです。

これほどひどい氾国民対策委を見る遺族の目は切実です。烈士闘争をすれば警 察が人脈を動員して金で買収して懐柔し、遺族が先に揺れるのが普通です。し かし今回は逆でした。どんな懐柔もきっぱりと断るだけでなく、なぜもっと 『激しく』戦わないのかとそれとなく強迫します。「遺族が死体を見たためだ」 という追慕連帯のある活動家の言葉はさらに胸を冷えさせます。私は何枚かの 写真を見ただけですが火に焼かれ、そして理由が分からない解剖検査で、とて も正視ができないほど残酷です。

そして二人程度は死体の状態を見ると、焼け死んだというよりは、殴られて失 神した状態で火に焼かれたという確信を持っています。ですから真相究明への 欲求がとても強いです。国民参加裁判が検察の妨害で失敗に終わった後、遺族 が死体を公開するという発言が頻繁になるのもこれに由来します。そしてそれ が氾国民対策委に期待する理由、退けない理由です。

希望を抱いてまた龍山へ、龍山へ

今、私がいる所は警察の侵奪に備えて全撤連の家族がパトロールしています。 その人たちの中にはサンド撤対委から来た80歳中盤をはるかに越えているよう な方もおられ、ドファ撤対委から来た編物のおばあさんもおられます。恥ずか しくて身の置き場が分かりません。全撤連でパトロールを減らそうとすると絶 対に減らせないと言うそうです。それだけその人たちの怒りが大きいのです。

龍山惨事があった直後、ルポ作家たちが口述を受けて構成した『ここに人がい る』という本に、「家を数坪か広げようとする人々の胸の中に暴力があります」 という、今は拘束されているインテスン氏の話のとおり、土地を愛する人々の 財産増殖に消された生涯の痕跡でも取り戻そうとする執念があるので止めさせ られません。ユン・ヨンホン、イ・ソンス、ハン・デソンの三人も検察が言う テロリストではなく巡和洞で、信奉洞で、シン洞で、撤去で崩壊した生活の希 望を取り戻すために龍山にまで来てあえなく散華した方々です。それでも検察 と警察は全撤連を粉砕すると言っています。今現在、十四人が拘束されても撤 去民対策委ごとに召喚状を乱発して、これまで全撤連の名で戦って勝った50数 か所をすべて見つけ出して全撤連の種を絶やすと言っています。

この前、ナミルダン・ビル裏のレアというビヤホールを手入れして、2階にキャ ンドルメディアセンター、1階には絵画展と漫画展が開かれる展示会場として開 所しました。その家は故イ・サンニム烈士が20数年、豚カルビ屋をして子供た ちを育てたところです。今年、年を取ったお父さんと共にレアというビヤホー ルに変えて運営した息子のイ・チュンヨンは、検察の捜査の結果に従えば、お 父さんを火炎瓶で焼き殺した罪で拘束されています。その前は毎日ミサを上げ ておられるムン・ジョンヒョン神父様が起居する宗教人の家があります。故ヤ ン・フェソン烈士が料理人になろうとする息子と共に全財産を注いで作ったサ ムホふぐ料理店は、キャンドル市民が入ることにしました。家から店から追い 出された撤去民は互いに自分の家に入ってこいといいます。今、龍山4地区にま た入居ブームが吹いているわけです。

彼らがそれほど好きな理由は、用役チンピラ、再開発組合、三星物産建設、龍 山区庁、ソウル市と対抗して、そして暴力警察、李明博政権に対抗して、もう 一度戦う新しい希望の芽を見たためでしょう。それは釜山でも開かれている櫓 の闘い、巨済で、瑞山で、原州、全州、大邱で全国のあちこちでまた広まり始 めるキャンドルの花とも同じようなものです。

弔問もして、街頭募金もして、組織次元の募金もして、口述集も買い、櫓戦の 絵も買い、遺族助け合い音楽会のチケットも買って、違った話で二重、三重、 四重の課税をしても笑いながら助けてくれるそれこそ同志たちがいました。帰 郷したチョン・グァンフン議長が大きく一箱キムチを送ってくれて農民たちが コメを送って下さいました。聖堂と修道女会からの寄付もあり、その上コメ、 キムチ、ラーメン、コピー用紙、自ら育てた野菜まで役に立ちそうなものはす べて送っておられます。

いちいちすべてを数え上げることは難しいですが、小学校、中学校の小さな友 人たちが遺族に頑張れと手紙を書き、アメも入れて、小包で送ってきたりもし ました。民衆美術をする画家たちは喜んで絵を描いてくれて櫓展を開いたし、 全国で芝居をする方々が金曜日ごとに演劇祭を開いて力を集中します。いつも 集会から音楽会まで、音楽をする方々がきて、詩人たちは詩を書き、作家はあ なた方の本を持ってきて署名をしてくれました。事実、これらすべてが龍山惨 事の遺族に、人生を破壊する撤去と戦う撤去民には最も大きな力です。

そして宗教人の祈祷こそ力になっています。ムン・ジョンヒョン神父は平沢の 米国基地移転反対闘争を全国闘争に率いた花馬車をナミルダン・ビルの前にと め、手術が必要な肩の苦痛を隠してミサを執典しておられます。それらの人々 は都心のまん中で兄弟と呼ぶ同志を描き、子供がお父さんを焼き殺したテロと 言い、隠し、遮断し、自らの消耗を待つ者にとっては都心テロの同調者かもし れなくても、盾とこん棒と放水銃そして査察でもぞろぞろと集まり体で抵抗す る、とても納得できない者には希望です。

あと何をどうすれば葬儀ができるのか

昨年全国を焼いたキャンドル、それは執権3か月で武装解除された李明博にも、 そして100万が集まっても明博山城を越えられない私たちにも、トラウマのよう です。李明博は昨年、大統領府の裏山でキャンドルの人波で鳴り響いた朝つゆ を聞いて切歯腐心したこと、キャンドル闘争の後、清掃をするようにそれに関 するどんな表現と行動も容認をしないと言うようです。特に龍山惨事に関して はさらにそうです。

集示法の申告事項でもない追慕大会さえ遮り、集会申告にはたった一度の例外 もなく禁止通告をしてきました。一方、追悼行事に参加しようとする人がちら つけば戦闘警察車で遮断して、戦闘警察を前に出し、攻撃的防御をして、最初 は1万人近い大衆の怒りを龍山惨事から分離するのに効果をあげたようです。道 路交通法、集示法などでキム・テヨン状況室長は拘束され、私とパク・レグン 共同執行委員長の2人が手配されて、状況室の活動家は召喚状を受け続けていま す。それでも龍山惨事闘争に関係があると信じる300人以上の人々に専門デモ屋 という勲章を付けて、召喚状を発行している成り行きを見ると、彼は相変らず キャンドルがよみがえるかと思ってあわてているようです。

葬儀をしなければならないのに、葬儀をするには戦わなければならない現実で す。いつまで、どのようにして戦わなければならないのでしょうか。葬儀は後 にして氾国民対策委は李明博退陣にすべてを賭けて闘争するという後談話は、 人を笑わせます。去るキャンドル闘争でのトラウマがオーバーラップしている だけで、団体の間で李明博退陣か審判かをめぐってまともに論争をしたことも ありません。初めから氾国民対策委の参加をめぐり進退は明らかだっただけで す。闘争か追慕かで対立したこともありません。初めから盾と警察バスに遮ら れていただけです。

警察の圧迫を迂回するために神父様牧師様が空間を開いてくれたり、口述集を 出版したり美術展示会、音楽会、演劇祭、作家サイン会、どれも文化芸術家の 怒りによるものか、募金のためでなく追慕のために、忘れられないようにする ために、さらに広げるために形成されたのです。あと何をどれほどすれば大衆 が集まって空間が開かれ、葬儀ができるのでしょうか?

龍山惨事100日、明博山城にのぼるでしょう

撤去された私たちの隣人の職業は撤去民ではありません。『建設!地域労組』の スローガンが鮮明な全撤連の旗が雄弁に語るように、彼ら撤去民は主に韓国社 会の非公式部門を構成する労働者です。最近、双竜自動車労働者の半分が整理 解雇されるだろうといいます。その上、大工場の正規職労働者だとうわさにも なりますが、日常的に失業の敷居を行き来する非正規職にとっては死の時期で す。実質賃金は減り、最低賃金が削られて、非正規法案が改悪される時期です。 この時期に銃で殺されながら8時間労働制を勝ち取ったメーデーは労働者にとっ て何でしょうか? 過去に先輩たちは闘争で、多くのことを変えましたが、今、 われわれは日程と記憶しています。

今の情勢は厳しくてもアドバルーンの下で安定した空間があってこそ『準備さ れない、教育されない大衆』が参加できるメーデー、登山をしながら思い出す メーデーです。ましてお母さん、お父さんの、そして私たちの胸に、民衆の、 民主の血の涙で、相変わらず烈士たちの祭事をして、ごばんでも分けて食べな がら思い出す追慕祭が準備されています。短く見れば私たちにとってのトラウ マは、1年前に清渓広場で若い学生たちが『狂った牛、狂った教育反対』のプラ カードとキャンドルで始めてから100万人が街に出てきても、結局は越えられな い明博山城であるようです。

4月29日は龍山惨事100日目の日です。亡くなって一週間、1か月を追慕して、も う100日になりました。今回葬儀ができなければ次の日は1年しかないのではな いかと思われます。火で焼き殺してもテロリストだと言い張り、街頭に出た遺 族を踏みつけて遺影も壊す李明博政権、明博山城を越えられない限り、葬儀も できそうもありません。登録料値下げを掲げて削髪したといって捕まえて行く 政権、労働者を通りに追い出しては最低賃金、非正規法案を改悪する政権、批 判報道をしたからと記者もPDも捕まえて行く政権、試験で子供たちを成績順に 並べる政権、国民の携帯電話とインターネットもつかまえようとする政権を越 えられない限り、1年葬儀をを待たなければならないかもしれません。

もちろん、昨年のキャンドルは寒いから家に帰ったのではなかったので、暖か い春になったからといって通りを埋めることはないのでしょう。しかし明らか なことは、死亡者たちの名誉を回復して葬儀をするためにも、氾国民対策委も、 全撤連も、そして誰よりもまず遺族が明博山城にのぼるでしょう。記憶ではな く怒りの100日、そして4.30非正規労働者の日、5月1日メーデー、5月2日のキャ ンドル1周年で明博山城を越えるでしょう。光化門で会いましょう。

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原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2009-04-21 17:49:26 / Last modified on 2009-04-26 00:16:08 Copyright: Default

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