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投稿者:吉原 真次

田中熙巳さんの演説が問う戦後日本/敗戦80年に思う

 昨年12月10日、ノルウェーの首都オスロで開催されたノーベル平和賞受賞式の演説で、日本原水爆被害者団体協議会代表の田中熙巳さんは、二度にわたり日本政府が被爆者に対する国家補償を拒んできたことを述べた。この言葉は戦後の日本政府の無策と軍民差別を明らかにするものだ。日本政府が被爆者をはじめとする戦争被害者に対する国家補償を拒む理由は、戦争で受けた国民の被害は国民全体で耐え忍ばなければならないとする「戦争被害受忍論」だが、それなら政府は軍人、民間人を問わず戦争被害を受忍させるべきだ。しかし独立回復直後の日本政府は占領軍の指示で廃止した軍人恩給を復活させた一方、民間人の死亡や家屋焼失に対する給付制度の復活は行わなかった。これまでに支給された軍人恩給は60兆円、しかし民間人の戦争被害者は1円も補償金を受け取っていない。これは「戦争被害受忍論」と大きく矛盾するものだけでなく、国民より軍人軍属を上位に置くという法の下の平等を定めた憲法と真逆なものだが、独立回復後の歴代政権はその状態を放置し続けてきた。

 軍人恩給には大きな問題がある。戦死・戦病死者そして戦傷者を除いて支給の対象となるのは旧軍人、兵士、下士官で12年、准士官以上で13年の軍歴がある者で、インパールや中国等の激戦地での軍歴は加算されるが、この条件を充たさない者は除外され、学徒動員やアジア・太平洋戦争末期の根こそぎ動員で戦争に駆り立てられた人たちだけでなく、戦場や敗戦後の抑留で辛酸をなめた人も対象外となる。軍人恩給を受け取れる人は戦争に行かされた人の半分と言われるが、召集後に数年間の軍歴を持ち陸軍野戦航空廠の兵士として初めは中国の四平、戦局の悪化に伴いフィリピンのハルマヘラ島に転属となり、敗戦後にオランダ軍に抑留された後に帰国した父が軍人恩給を受け取ることはなかったから、その通りではないだろうか。また恩給の額は階級により極端な差があり、1年間の兵の支給額は145万7600円だが大将は833万4600円と5倍以上の差がある。さらに受給権は孫にまで及び、2024年3月末時点の旧軍人に支給される恩給の受給者は1093人だが2025年3月末の受給者は7万1416人。いかに軍人、特に戦争指導者たち高級軍人に手厚い恩給制度であるか御理解いただけると思う。実際に勝ち目のない戦争を引き起こした東條英機の妻は生涯で2億円もの恩給を受け取った。その一方で日本だけでも12万人もいた戦災孤児は何の保護も受けられず、大人でも生きるのが大変な敗戦後の社会を自分の力だけで生き延びるしかなく、物乞いや靴磨き、新聞売りだけでなく窃盗や売春に手を染めなければならなかった人もいた。『東京都戦災誌』によると、戦災孤児や戦争で家を失い地下道で寝起きする人の数は毎夜千数百名に達し、栄養失調などで命を落とす人が続出して46年暮れから約半月で28人の死者を出したという。戦争で親と家族そして住む家を失った弱者は餓死に追い込まれ、戦争を引き起こした者やその家族はのうのうと生き延びるとは何という事だろう。さらに軍人恩給のもう一つの問題点は国籍による差別、これにより戦前の朝鮮、台湾等の兵士をはじめとする戦争被害者は恩給対象から排除されている。

 「戦争被害受忍論」の他に政府が民間人の戦争被害者に対して補償を拒む理由としては「雇用者責任論」がある。軍人軍属は政府が雇用していたから政府は補償や援護の義務を負うが、民間人とは雇用・被雇用の関係はなかったので義務はないというものだ。しかし大日本帝国は雇用していない民間人の自由を奪い、戦争に協力させ、財産を奪うこともあった。そうならば雇用していない、つまり給料を払わない民間人に多大な労苦を背負わせた政府は雇用した軍人・軍属よりも手厚い補償や援護を行う義務があるはずだ。戦争は地震や台風の様な天災ではなく為政者の誤りによって引き起こされた人災で、政府は全ての戦争被害者に対して補償を行う義務があるが、「雇用者責任論」はその義務を放棄したものに他ならない。為政者が自らの過ちに正しく向き合わず、もっともらしい理由をつけてそのツケを国民に回して恥じない、戦後に戦前の臣民(奴隷)から主権者である国民になったのだから政府は軍民を区別しない戦後補償を行うのは当然だ。

 戦争被害補償における欧州諸国の制度の特徴は国民間の平等、内外国人間の平等だが、その背景には負担の平等と共に人道主義がある。人間一人一人を個人として大切にせず、個人よりも国家を優先し国家との関係の有無で戦争被害者を差別する日本の補償制度とは雲泥の差がある。ドイツは1950年の戦争犠牲者援護法により障害を受けた軍人軍属だけでなく一般市民も援護対象とした。しかも戦争と障害との因果関係の証明が蓋然性(物事の起こりうる可能性)で足りるとされているのが特徴であり、これにより民間人の戦争被害者は日本の様に国を相手取った訴訟を起こさず、直ちに補償を受け取ることができる。さらに給付の内容としてリハビリを含む医療、障害の程度に応じた障害年金、戦争で夫を失った妻に対する寡婦年金、戦争孤児に対する遺児年金、子供を失った親への父母年金等の他に戦争被害者扶助、また遺族が高齢になった場合には生活の為の加給が行われる。また戦争による物的損傷も1952年の負担調整法により補償され、その資金は戦争による財産上の損害を免れた者に対する負担調整賦課金と連邦政府と州政府の補助金、貸付金の返済で賄われ、戦争の被害を国民全体で分かつという姿勢が明確に示されている。イタリアでも1978年の戦争年金統一法典により軍人軍属と民間人を区別することなく戦争犠牲者に対しては平等な取扱いをしている。戦争の惨禍が残っている時点で軍人・軍属と民間人を区別しない補償を開始したドイツ、戦後復興を成し遂げた時点で補償を開始したイタリア、戦後復興さらに高度経済成長を遂げても軍人軍属と民間人を区別したいびつな補償制度を改めない日本、同じ敗戦国でも大きな違いがある。そしてその違いは主権者たる国民に対する国の姿勢を明らかにしているものと言わざるを得ない。

 日本では一定の範囲で、放射能の影響を受けたと認められて被爆者健康手帳の受付を受けた人に対しては医療保険の自己負担分を国費で補填する援護施策、手帳保持者で原爆症の認定を受けた人には医療特別手当、一定の疾病にかかっている人には健康管理手当等が支給されているが、給付の対象は原子爆弾の放射能に起因する健康被害に限定され、給付の内容も医療分野に限定されている。さらに遺族に対する給付はない。軍人軍属としての年金を受給する権利を持たない人のうちで戦後旧ソ連またはモンゴル地域で強制抑留された人と遺族に対しては1988年に制定された法律の規定により一人10万円、遺族に対しては死亡者一人につき10万円の慰労金、また慰労品として銀杯が支給されたが、戦傷者戦没者遺族等援護法の適用を受ける人たちに対して著しく低額となっている。中国残留孤児には2008年の法律改正により老齢基礎年金の満額支給と年金で生活ができない場合には月額約8万円が支給されるが軍人恩給に比べれば低い支給額に止まっている。そしてそれらの支給は被害者たちが起こした訴訟を受けて政府がしぶしぶ出すことになったもので、政府は国家補償ではなく福祉の範囲に止まる物としている。

 3月30日、参議院本会議は満場一致で旧軍人軍属の遺族に対して戦後80年の特別弔慰金を支給する法案を可決した。一方で超党派の国会議員が検討していた心身に障害を負った生存する民間被災者に一時金として50万円を支給する救済法案は自民党内の調整がつかず国会提案のめどすら立っていない。遺族に対する特別弔慰金の必要額は3千億円近い一方で民間被災者への一時金の必要額はわずか23億円。戦後80年を経ても一人一人の個人より国家を優先する国の姿勢は変わっていない(6月1日)


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