

今日5月26日、戸籍の氏名に読み仮名を記載する戸籍法改定が施行されます。専門家は、「今回の法改正は名前について考えるきっかけになる」(命名研究家・牧野恭仁雄氏、23日のNHKニュース)と述べています。
いわゆるキラキラネームのことを言っているのでしょうが、「名前について考える」必要がある重要な問題はほかにあります。
<神戸の在日コリアン女性、旅券示さず宿泊拒否で提訴>
こんな見出しの短いベタ記事が23日付京都新聞の第3社会面に載りました(おそらく共同電)。全文転記します(太字は私)。
< 神戸市の在日コリアン3世40代女性が東京都新宿区のビジネスホテルにチェックインした際、義務のない旅券や残留カード提示などを求められ、断った結果、宿泊拒否され精神的な苦痛を受けたとして、ホテル側に220万円の損害賠償を求め、神戸地裁に22日提訴した。
記者団の取材に応じた女性は、ホテル側から日本人名(通名)を書けば泊まれると言われたと説明。20代後半の頃に決断して本名で生きてきたといい、「すごくショックで泣いた。宿泊拒否される人を増やしたくない」と話した。>
旅館業法に照らしても女性が旅券などを示す義務はまったくなく、ホテル側の違法性は明白です。それももちろん重大ですが、より深刻なのは、ホテル側が「日本人名(通名)を書けば泊まれる」と言っていることです。言い換えれば、本名(民族名)では宿泊させないということです。
これが明白な差別(民族差別)・人権侵害であることは言うまでもありません。
同時にそれは、たんなる差別ではなく、朝鮮を植民地支配した加害の歴史と密接に結びついています。
帝国日本の植民地支配政策の大きな柱は、朝鮮固有の文化・言語を破壊して「天皇の赤子」として取り込む同化政策でした。そのために強行されたのが朝鮮名の使用を禁じ日本の戸籍制度に取り込む「創氏改名」(1940年実施)でした。
実は「内地」では、「創氏改名」の前から「日本名」を使う在日コリアンが少なくありませんでした。その背景を水野直樹氏(京都大学名誉教授)はこう指摘しています。
「日本社会から差別を受けるのを避けるために、「自発的」に日本名を名乗る…多くの朝鮮人は、日常生活のさまざまな場面で露骨な嘲笑や陰険な差別などを肌で感じざるを得なかった。それを避けるために朝鮮人とわかる名前を名乗ることを躊躇するようになるのも、当然であった」(『創氏改名』岩波新書2008年)
差別を覚悟で在日コリアンが本名を名乗る、あるいはカミングアウトすることがどんなに勇気がいることか。在日2世の精神科医・安克昌氏の『心の傷を癒すということ』(作品社1996年)を原作とした同名ドラマ(NHK2020年=写真)でも印象深く描かれていました。
22日提訴した女性は20代後半で「決断して本名で生きてきた」のです。それに対して加えられた今回の露骨な差別。女性の苦痛は想像に余りあります。
これが当該ホテルだけの問題でないことは言うまでもありません。在日コリアンさらには朝鮮・韓国の人々に対する差別がまん延している日本社会がこういうホテルを生んでいるのです。
この問題を重大な事案として大きく報道しない日本メディアの実態がそんな日本社会を表しています。朝鮮学校が高校無償化制度から除外されているのは今日の朝鮮差別の典型です。
日本人が「名前について考え」なければならないのは、なによりも、在日コリアンの本名(民族名)に対して今なお根深くある日本社会の差別、そしてその根底にある植民地支配の加害の歴史に対する無知と無責任です。