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追想アラン・ドロン

牧子嘉丸

「かっこよくドロンと消えたアラン様」
去年2024年8月にフランス映画界の大スターだったアラン・ドロンが亡くなったとき、新聞の投稿欄にこんな川柳が載ったが、私はちょっと首をかしげた。ここ数年フランスから伝わってくるアラン・ドロンの消息はけっしてかっこよくはなかったからだ。

遺産相続をめぐる骨肉の争いやら、面倒を見ている日本人女性からの搾取やら、果ては動物虐待の噂まであった。遺書に愛犬を殺して自分の墓に埋葬してくれという内容の文言があったという。これは年来の俳優仲間であり動物愛護家のブリジッド・バルドーが引き取ったそうだ。

なかでも私が一番がっかりしたのは、フランスの国民戦線指導者ジャン・マリー・ルペン(現国民連合の党首だったマリーヌ・ルペンの父)との交友関係だった。個人的な交流ならともかく、ドロンは日本でいえば参政党のようなレイシスト党の支持を公然と表明していた。おかげで「永遠の反動主義者ドロン」などとジャーナリストから烙印を押される始末だった。

私はアメリカ映画ではジョン・ウェイン、フランス映画ではこの人がどうも苦手であった。ジョン・ウェインの顔にはジョンソンやニクソン、レーガンと言った歴代アメリカ大統領のいかにも共和党的風貌がかさなりなじめなかった。逆にドロンの場合はそのあまりの美貌に羨望ともコンプレックスともつかぬ感情が渦巻くのが情けなかった。

が、あるときルキノ・ヴィスコンティ監督の特集で「若者のすべて」(1961年/写真)を見て、印象が変わった。この映画はイタリア南部ルカニアからナポリに出稼ぎにきた母親と五人兄弟の苦闘する姿をリアルに描いている。原題は「ロッコがとその兄弟」といい、ドロンは三男ロッコを演じている。やがてひとりの女をめぐって兄弟が相争い悲劇的な結末をむかえることになるのだが。

次に見た「山猫」(1963年)はシチリア島の名家の没落を描いた大作で、バート・ランカスターが一族の主人ファブリツィオに扮し、ドロンはタンク・レデイという意気盛んな甥として登場する。イタリア統一戦争のさなかで、島に上陸した英雄ガリバルディの赤シャツの千人隊に馳せ参じて活躍するが、新国王の政権が始まるとたちまち政府軍に合流するという風見鶏的な野心家を演じた。時代に翻弄される新旧の世代の生き方を象徴的に描いた傑作である。 その他にもジャン・ギャバンと共演した「暗黒街のふたり」(1973年・ジョゼフジョバンニ監督)という作品も忘れがたい。犯罪者・前科者の更生はどうあるべきかを問うた問題作で、罪を償って出所した主人公ドロンの再生を保護司であるギャバンが温かく見守ろうとするのだが、彼の過去を知る悪辣な刑事が執拗につきまとう。ついに逆上して殺人を犯した主人公は、やがて断頭台にのぼるのだが、そのときのドロンの悲しみに満ちた表情は忘れがたい。

しかし、アラン・ドロンといえば何といっても「太陽がいっぱい」(1962年・ルネクレマン監督)で、哀切なニノ・ロータの名曲とともに世界的にヒットしたことは言うまでもない。主人公が友人として富豪の御曹司に取り入り、細工を弄して成り代わるという内容はいささか荒唐無稽なストーリーに思うのだが、それでもラストシーンは衝撃的だった。

これはアメリカの女流作家パトリシア・ハイスミスの原作なのだが、映画では「CRIME DOESN‘T PAY」という映画文法の原則通り「犯罪は引き合わない」という結末になっている。そして、そのほうがはるかにこの映画をすぐれたものしている。この「太陽がいっぱい」についていまさら私などが繰り返すまでもないが、その魅力を世界的に決定づけたといっていいだろう。

アラン・ドロンにはこういう野心を秘めてその美貌を武器に這い上がろうとする青年の役柄が多いし、またそれがよく似合って観客の胸につよく響いた。晩年はいささか寂しい人生のようだったが、映画界でのその功績は不滅である。そこでこの不世出の俳優に敬意をはらって、わたしも追想の拙句を捧げたい。
「ドロンドロの極右は似合わぬアラン様」

(詳細は2025年夏号「言論空間」)


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