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〔週刊 本の発見〕『長距離走者の孤独』(アラン・シリトー) | ||||||
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自分の人生を誠実に生きる『長距離走者の孤独』(アラン・シリトー、訳者 河野一郎、新潮文庫 1973年発行)評者:根岸恵子
シリトーは1928年イングランド・ノッティンガムで、工場労働者の息子として生まれ、幼少の頃から金銭的な苦労が絶えなかった。14歳で自らも工場で働き始め、この経験が彼ののちの小説に大きな影響を与えている。19歳で空軍に入隊、その後肺結核を患い、小説家の道を切り開いていく。 彼の作品はその作風から、ジョン・オズボーンやキングスレー・エイミスなどと並んで〈怒れる若者たち〉の一派としてみなされるが、多くのインテリ作家と違ってシリトーは貧民の工場労働者家庭で育ち、自らも労働者であったことから、彼の小説はプロレタリアアート側からより権威に抵抗した真の〈怒り〉を表現している。 多くの人はこの短編小説を読んで違和感を持つかもしれない。ちょうどオリンピック・パラリンピックが終わったばかりで、巷ではまだ優秀な成績をおさめた勝者に対する称賛の声が絶えないせいもあるかもしれない。しかし、この小説は多くのものにとって、人が生きていく上で植え付けられた「価値観」に挑戦していると思われるのだ。なぜ、人はなぜそんなにも頑張るのだろうか。運動競技だけでなく労働においても勉学にしても、何にかつけても。 その原動力は、競争理念に基づくものか、優越感に浸りたいのか、高評価を得るためか。それは往々にして他者からの期待に応えるために人はそうするのである。上司やら先生やらコーチやらに「君、期待してるよ」と声をかけられ、人は頑張ることもある。この言葉を「ありがたく思え」と私たちは思い込まされてはいないか。 主人公コリン・スミス少年はこの欺瞞に抵抗する。彼はちょっとした盗みの常習犯で、パン屋の金庫を盗んだことで感化院(今では児童自立支援施設)に送られてしまう。そこで足の速いことをかわれて長距離走者の選手になる。 そこで院長から言われたのは、「われわれは勤勉な作業と、良い運動選手がほしいんだ。もしきみがこの二つをわれわれに与えてくれるならばだ、われわれもきっときみの力になり、誠実な人間としてふたたびきみを社会へ送り出すことを約束してもいい」。そこでスミス少年は「まったくおかしくてどうにかなりそうだった」 彼は他の少年より1時間早く起きて走ることになった。それがきついかと言われれば、走ることは気持ちが良いと彼は言う。走ることが嫌いでない彼は、自分のために走る。ただ院長の「誠実」と言う言葉に反応し、奴のためには走らないと心に誓う。院長は勝つことを彼に期待し、彼は勝つわけにはいかないとより強く思う。そして、彼は誠実という言葉に執拗にこだわる。 権威が言う時の誠実は、権威が「自らの権威主義を暴露する」弱者への甘言であり、実に傲慢な言葉だ。スミス少年は誠実というのは誰かに対してあるのではない。自分に対して誠実であるかどうかが重要なのだという。 彼は大会で先頭を走っていた。そうして最終の競技場に入ってきた時、彼は走るのをやめた。院長は憤慨しただろう。彼の抵抗は、院長の雑用をさせるという彼への嫌がらせという結果を生むが、そんなことはへっちゃらだった。彼は権威に勝ったのだ。彼は彼を追い詰めてきた社会の規律と偽善的な権威者に、そして社会に蔓延る「常識」という壁を打ち破ったのだ。 最終的に彼は兵役を逃れ、いっぱしの盗人になったのだから、希望通りの人生を歩むことになった。つまり彼は自分の人生を誠実に生きたのだ。 Created by staff01. Last modified on 2024-09-12 09:43:51 Copyright: Default |