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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇―』
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毎木曜掲載・第314回(2023/9/14)

「原爆の父」もまた被害者だった

『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇―』(2007年、PHP研究所、作者 カイ・バード、マーティン・シャーウィン、訳者 河邉俊彦)評者:根岸恵子

 『Oppenheimer』(オッペンハイマー)は今年公開したアメリカの映画(写真)。「原子爆弾」を開発し、「原爆の父」と知られる理論物理学者ロバート・オッペンハイマーの生涯を、 鬼才の映画監督クリストファー・ノーランが題材にした映画。しかし日本では上映されない。当初7月21日にアメリカと同時に上映されるはずだった。だが、ずっと心待ちにしていたのに残念なことにいまだに日本では上映されていない。

 上映されない理由は、公開開始の時期が広島・長崎の原爆記念日に近く、被害者心情や日本人の原爆に対する嫌悪感によるもので上映が躊躇されたのか、また台湾海峡の有事などを踏まえたアメリカの核戦略への配慮なのか、観ていないので、何とも言い難い。世界中でいまも大絶賛が続き、アカデミー賞候補といわれると、さすがに「原爆」による悲惨な歴史を持つものとしては、心穏やかでない。

 結局、映画を観られないので、原作を読むことにした。『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』上下巻で千頁近くもあり、読み終わるのに、猛暑と体調不良で1か月以上もかかってしまった。原作はカイ・バードとマーティン・シャーウィンで2006年にピュリッツァー賞を受賞した。

 カイ・バード氏は歴史研究家で、被爆50周年のスミソニアン航空宇宙博物館での原爆展中止の是非を問う『ヒロシマの影』の編集者である。バード氏は、核兵器は「想像できないほど破壊的で、無差別な爆弾」だと批判し、米国政府に核兵器禁止条約への参加を求める法案の賛同をしている。「1945年の初めての核実験と核爆撃以来、人間がつくりだした核の危険は継続的に増してきた」と指摘した。

 また、マーティン・シャーウィンも歴史学者で原爆開発を中心に1940年代のアメリカ外交が主要な研究テーマとしている。本書ではオッペンハイマーの出生から死に至るまでの生涯と、その栄光と挫折、苦悩と葛藤が描かれている。その膨大で緻密な記録は、すべて映画のフィルムには収まらないだろう。

 オッペンハイマーはドイツからのユダヤ系移民の子として、1904年にニューヨークで生まれた。彼はアメリカ人になろうと努力をした。民族的にも文化的にもユダヤ人であったが、両親はシナゴーグに属せず、ユダヤ教分派の「倫理文化協会」に属していた。合理的で進歩的で非宗教的ヒューマニズムを尊重するその会派の教えは、オッペンハイマーの幼少期から生涯にかけて影響を与え続けた。その後その才気と頭脳明晰さから理論物理学者として名を馳せながら、第2次世界大戦中、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命されることになる。

 アメリカは敵国ドイツが核開発について米国に先んじていると考えていた。アメリカにいたアインシュタインは米大統領に核開発を急ぐよう打診し、同じユダヤ人のオッペンハイマーも核爆弾はナチス攻撃が目的だと考えていた。しかし、原爆は敗戦がわかっていた日本に落とされた。広島と長崎への原爆投下は、オッペンハイマーに深い影響を与え、深い失望と悲しみを与えた。しかし一方で「最も尊敬され最も称賛される科学者」として称えられることになる。

 この本の圧巻はその後オッペンハイマーが「国家安全保障上の危険人物」として告発されるところからはじまる。たぶん映画もこのあたりから始まっていると思う。「赤狩り」の嵐が吹き荒れる中、機密漏洩を疑われたオッペンハイマーは、若いころ共産主義に傾倒したことや、水爆実験に反対したことなどで裁判のような聴聞会を受けることになる。結局オッペンハイマーは彼の名誉や栄誉をすべて奪われてしまう。

 アメリカはその間にも核実験や水爆実験を繰り返し、マーシャル諸島の楽園に住む人々を島から追い出し、故郷の島を破壊した。第五福竜丸や多くの行船の乗組員と同様、島の人々もまた放射能症に苦しめられた。そしてアメリカは自国の核実験場近辺に住む人々の健康をも害した。もちろんヒロシマやナガサキの人々が被った苦しみや痛みさえこの本から読み解くことはできなかった。核の被害はこの本には書かれていない。この本はオッペンハイマーという第2次世界大戦やその後に続く冷戦、「赤狩り」に翻弄された物理学者の生涯の話だからだ。だが、本当にそれでよかったのか。

 オッペンハイマーは1965年に放送されたドキュメンタリーのなかでインドの聖書『バガバッド・ギータ―』を引用し「我世界の破壊者たる死とならん」と述べた。原水爆の脅威と自らへの戒めだろうか。

 読み終わって、やはり日本人として複雑な思いがした。この映画を上映しない主催者側の意思が理解できるような気がした。広島の長崎の被爆者を私たちは知っている。どれほど多くの人が苦しみ、泣き叫んだことか。だが、原爆という最も悲惨な兵器を生み出した人間もまた被害者であり、その人生に垣間見たのは栄光ではなく、悲しみであったかもしれない。生暖かい血が手に着いた感じは生涯ぬぐい取ることはできなかっただろう。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。


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