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日韓民主労働者連帯・中村猛です。

ロウソク集会が労働運動を始め進歩陣営に大変なショックを与えたようです。前回は労働運動の視点から書かれたものをお送りしましたが、今回は社会運動全般の視点から書かれたものです。

韓国の労働運動は何か事件が起きるたびに、着実に進化を遂げているようです。韓国労働運動と並行して走っていると思っていたら実は周回遅れだったと言った人がいましたが、87年大闘争を経て08年のロウソク闘争、2週回遅れになったような気がします。

今回の全北本部の訪問団が集会で例の「トゥジェン(闘争)!」をやらないのは、ある意味でショックでした。「トゥジェン!」は労働者の集会の合い言葉みたいなもので、国民向けではないというのが理由のようです。「トゥジェン」に「トゥジェン」で応えようとしていた人はいつまでたっても「トゥジェン」をやってくれないので、なぜだろうと思っていたそうです。

今回の論文は是非読んでください。(長文)

――――――――――――――――――――――

韓国労働社会研究所
「労働社会」2008年9月号

2008年のロウソク集会と社会運動

ハ・スンチャン(市民団体連帯会議運営委員長)

この文章は2008年8月7日の政治社会学会シンポジウムで発表した「新しい市民運動の『転換点』」を修正補完したものです。(編集者注)

韓国の社会運動を振り返ると、その以前と以後が区別されるような特定の歴史的事件がある。『2008年のロウソク』は、もちろん学問的研究と議論がもっと必要だろうが、運動的想像力で見れば、1987年の6月抗争のように以前の運動と以後の運動が変わる節目にあると思われる。1987年6月の大統領直接選挙制の奪取という政治権力の選出に関する手続き的な民主主義を獲得した後に、社会運動は社会のあらゆる分野で新しい流れを作り出してきた。1980年代の民主化と民衆運動の流れは1987年6月を経て、現在の民主労総、全教組、ハンギョレ新聞などを誕生させ、組織的、政治的に成長しながら制度の中にまで拡張されただけでなく、環境運動、女性運動、市民運動など、新しい課題を掲げた社会運動が本格的に成長する背景にもなっている。

20年ぶりにやってきた社会運動の新しい転換点

今の時点で、それぞれの運動がどのような姿に変化し、発展するかを予測することは容易ではないが、環境運動も、女性運動も、言論運動も、労働運動も、またそれ以外の運動も、2008年のロウソク集会以前とは違った姿に発展して行くというのはハッキリと見える。すでにいくつかの兆候を私たちは見ているとも言える。メディアの運動においては、いま拡がっているハンギョレ新聞、京郷新聞、放送社を守る運動などが、現在の状態のままで終わると予想する人はあまりいないだろう。すでに一部のネット市民の間では『国民ポータル・サイト』を作ろうという主張までも出てきている。とにかくインターネットと交わって、以前と違ったメディア運動が展開されることは明らかである。

女性運動においても、インターネットを媒介にして街頭に出てきた女性たちを見て、今の状態のまま運動が展開すると予想する人はいないだろう。今まで運動の主体であったり対象と見られた女性像とは全く違う女性たちが運動の主体として登場し、また出てくる可能性があるということを象徴的に示した現象が、まさに『ハイヒール部隊』の登場と言えるだろう。またこの前までは大学生たちが昔とは違うと嘆いていたが、ロウソク集会に現れた、近い将来大学生になる青少年たちの行動を見ても、今後大学が変わることは簡単に予測することができる。

このような運動の各分野での変化と共に、「2008年のロウソク」以後の社会運動は議題の設定と運動のやり方においても以前とは変わるだろう。したがって「90年代の運動が今その時代を終えて、新しい社会運動が要求されており」、1987年6月を経て80年代の「民主化運動がその歴史的使命を終えて、90年代の市民運動にその社会的地位を譲ってくれたように、いま別の性格の運動が組織されなければならない時」であるのかもしれない。そしてこれは危機であり、チャンスでもある。このような変化の意味を理解して対応するなら、既存の社会運動は大衆とさらに深く結合した社会運動として、新たに生まれ変わることもできる。

『90年代の社会運動』より先に進んだ能動的市民

「2008年のロウソク」は今の韓国の代議制民主主義自体に問題を提起しており、したがって代議制の核心主体である政党に対しても厳しく問題を提起している。今年の国会議員選挙での46%という投票率は、国民にとって選択肢がない今の政治状況に対して深刻な問題を提起しているのである。それだけでなく、これは1990年代の韓国社会を導いた核心的な社会勢力の一つである市民運動をはじめ、労働運動やその他の社会運動に対しても厳しく問題を提起しているのである。5月の最初のロウソク集会が既存の市民運動、あるいは他の社会運動と全く関係なく始まったという事実は、そのような意味で象徴的である。

この間一般的には、集会を組織し、運営し、スローガンを決めるのは『活動家』の仕事であって、参加する市民の役割ではなかった。スローガンを決めるには関連した争点に対して一定の情報がなければならないし、集会を組織して運営するためにも、それなりのノウハウがなければならないからである。しかし、いくつかの市民社会団体が狂牛病国民対策会議を作って結合する前に行われていた集会ですら、既存の集会と比較してみるとはるかに創意的で活気に満ち、楽しい遊び場で、誰でも簡単に参加できる空間だった。どうしてこんなことができたのだろうか?

これをスローガンを作り出すための情報という側面から見れば、市民の立場で市民社会団体が知っている情報や『私』が知っている情報とはそんなに大きな差がなかったからだった。すでに市民はインターネットを通じて狂牛病問題に対する十分な情報を得ていたし、放送によって纏まった情報を獲得することができた。集会を組織して運営するノウハウもやはり、2002年のワールドカップによって全国民的に学習されたものだった。またピケを作ることも、自分の好きな芸能人やスポーツ選手のために何回もやってみたことがあったのである。これによってむしろ固くて乾燥した市民社会団体のスローガンより、はるかに躍動感と親しみのあるスローガンが作られ、ピケの形態や種類もはるかに多様な姿をとって現れた。

言い換えれば、特別に市民社会団体には、先に『してくれる』のを待たなければならない何の理由もなかったのである。したがって、90年代の市民運動と社会運動がこのように2008年のロウソク集会で現れた積極的な様相を正しく理解できないなら、新しい運動の流れに自らの席を譲るのも、そんなにおかしなことではないわけである。

議論と日常が出会い、自ら組織される

このような状況で、2008年のロウソク集会から社会運動が注目しなければならない特徴を推測しようとすることは、今後の運動の変化に関して極めて重要である。私の意見は次の通りである。

第1に、議論と日常が出会っているという点である。

これを人生の政治、あるいは生活政治の争点と呼んでいるが、とにかく今回のロウソク・デモは、この間ある程度は個人の無賃乗車が可能な『制度の問題』と理解されていた国民の健康権という問題が、実は『暮らしの問題』であるということを個人個人に確認させてくれた。特にこの間、殆どの状況を制度の問題と考えて、立法運動や政策対案の提起というやり方で解決しようとしてきた市民運動において、このように市民が社会問題を自らの暮らしの問題と考えて、直接問題を提起し始めたという点により一層注目しなければならない。既存の議題であれ、議題に対する理解が全く違う形で現れ始めたからである。また医療、教育、環境など、これから私たちの社会で主要な議題になる争点は、人々の日常の暮らしと直結しているという点で、論議は日常とより一層頻繁に出会うようになるだろう。

第2に、「2008年のロウソク」では運動に単一の中央指導部が存在しなかった。

李明博政府と警察はロウソク・デモが始まって以来今まで、背後勢力を見付けるために努力しているが見付け出せていない。事実、今回の集会に伝統的な意味での背後がないということは、李明博大統領をはじめとする政府とハンナラ党、警察を除いては、みんなが知っている事実である。最近進歩連帯という団体の事務室を検索して『ロウソク集会計画書』なるものを見付けたと大騒ぎしたが、それは実際には計画書ではなかった。たとえ計画書だったとしても、ロウソク・デモがどこか一つの団体の計画書のままに動いていないことは誰が見ても分かることだった。

むしろインターネットの特性の一つである『自己組織化』の論理と解釈するほうが、はるかに説得力がある。集会で一人の行為が全体の行為に繋がっていく様子が特にそうである。一人が集会の現場でコンピュータの『マウス』を走らせながら行ったり来たりする様子がインターネット写真に上がれば、次の日の集会では誰がさせるのでもなく、多くの人々が片手に持ったマウスを走らせながら行ったり来たりする様子を簡単に見ることができた。ある家に「狂牛病牛肉の輸入に反対する」というプラカードが架かっている様子が知らされれば、いつの間にか似たようなプラカードが全国のあちこちに架かる。これは単一の指導部が一糸乱れずに命令を出しても実行できることではない。

第3に、既存組織と、集団の権威に対する信頼が薄い。

これは前にふれた指導部がないという点とも繋がっている。6月10日の大規模デモ以後、李明博政府の弾圧によって萎縮していたロウソク集会を、天主教司祭団のミサが繋げて市民の信頼を受けたが、全般的に今回のロウソク・デモでは既存の組織と集団が、市民から今までのように信頼される状況ではなかったという点が特徴的である。狂牛病対策会議が集会が終わったので解散を求めようとすると、「お前らが家に帰れ」と言ったり、集会の途中でも別のデモ隊に移動する人たちは自由に移動し、また姜基甲議員を除いては政界からは誰も集会に出てこなかったとか、集会の初期には組織と集団の旗を前面に出すのを拒否した現象などがその証拠である。

新しい世論形成方式の登場、浮上した個人参加の重要性

第4に、世論が形成される流れと経路が今までとは違う。 実際2008年の牛肉輸入問題で、ロウソク集会が市民の自発性によって行われる程に世論が形成される過程で、少しオーバーに言えば市民社会団体は『疎外』されていたと言える。インターネットを媒介にして行われる米国産牛肉の輸入問題に関する議論に参加しなかったからである。ロウソク集会でなければ入ってみることができないインターネット上の集りと、カフェー・ダウムのアゴラ(訳注:インターネット・サイト名)などでは、市民社会団体はそれほど積極的な結合体ではなかった。

市民社会団体が討論会を行ったり記者会見を行ったり立法請願をすれば、それを既存のメディアが報道して議論になり、社会的に世論が形成され、政策として実現されるというのが一般的だったが、今回は全く違う流れで展開したのである。もちろん最初に問題提起した保健医療団体は伝統的なやり方で熱心に問題を提起し、その結果主要な局面で世論が形成されるのに決定的な役割を果たした。しかし主にこれらの見解は『広く伝播された』もので、これらがインターネット世論を『組織した』ものではなかった。

第5に、様々な価値・指向を持った集団と人々が、特定の懸案を中心に出会って別れる。 狂牛病対策会議という、ネット市民たちも参加した市民社会団体を中心とした連帯機構が作られたが、この機構は伝統的な形の連帯機構ではない。文字通りの『会議体』である。今までも存在した課題別の連帯機構とも性格が違う。一方、対策会議の中に別の意志決定機構があったのでもなく、『状況室』という集会実務を担当する機構があたかも『指導部』のようにも見えたが、これは錯覚に過ぎなかった。今回のロウソク・デモの流れの一般的な形は、価値と指向が全く違う集団が一つ懸案を中心に、各自がそれぞれ別の意志決定の過程を経て、ある空間の中に集まるというものだった。一度参加したからといって今後も引き続き参加するという保障もなく、それを義務として強制することもない。

第6に、厳粛主義が破壊された集会文化が一般的だった。 今更のように述べる必要がないほどの風刺とユーモア、遊びが一体になった集会文化は、今までとは全く違う姿だった。マウスを走らせながら行ったり来たりする行為や、いわゆる『鳥小屋ツアー(訳注:みんなで警備状況や護送車を見に行くツアー)』、『お湯・お湯、コール(訳注:放水されると「お湯、お湯」と叫ぶ)』などは以前の集会では見ることができなかった想像力の発露だった。恐らくこういう経験をした市民たちには、いまや一定の型にはまった、プラカードに繋がる挨拶とスローガンの朗読に繋がるような慣性的な集会は、その影響力と破壊力で今までのように注目されることはないように思える。

第7に、集団的組織的参加も重要な役割をしているが、何より『個人』の決定と参加が主要な流れであるという点である。 「2008年のロウソク」以前から、インターネットでは『個人』が組織と集団以上に影響力を発揮できることが確認されていた。大規模ロウソク・デモの始まりになった2002年の二人の女子中学生死亡事件の時のロウソク・デモも一人の提案から始まり、2008年のロウソク・デモもやはり、ある高校生の提案で始まった。数多くの個人がダウムのアゴラ・ディベートルームとMBCの100分討論掲示板、各種カフェとブログで議論に参加したり見守ったりしながら、それなりの判断と決定をした後に、オフ・ライン空間にあふれ出るのである。義務と強制によるのではなく、自身の判断による自発的な参加が様々な形で成立しているのである。

『価値』に基づいた議題生産を主導せよ

このような特性についての検討を経て、ここからは市民社会運動が指向しなければならない課題を見てみよう。

第1に、市民社会運動はすべての場面で変化を模索しなければならない。 価値と議題作り、運動のやり方の変化、意思疎通のやり方の変化、運動主体の変化のための戦略が必要である。政策対応運動から対案運動に、中央権力一辺倒から地域政治まで、制度から生活文化運動への拡張に。

そのためには、最初に『価値』に基づいた議題作りを主導しなければならない。もちろん単純な政策対応運動でなくなるためには、必ず韓国社会の変化に対する構造的な研究が必要である。特に「2008年のロウソク」で確認されたように『変化する環境』に注目しなければならない。まだ本格的に議題になっていない韓米FTAがもたらす変化、南北関係の変化、すでに壊れてしまった平準化システムがもたらす変化、移住労働者による人口学的な変化、非正規職がすでに労働者階級の多数である労働者の存在と認識の変化、気候変化等など、『変化』に注目しなければならない。

そのためには今現在、社会運動が暗黙の内に合意していると考えられる運動の課題を、全面的に再検討しなければならないだろう。特に、李明博政府の教育政策に対する反感にも拘わらず、ソウル市教育長選挙で全教組など既存の教育運動団体が支持した候補が敗北した状況を評価する時、先ず第1に掲げた公約を点検してみるべきだというのが筆者の考えである。有権者たちは李明博政府の教育政策に対して明らかな反感を持っていたが、教育市民運動が掲げた教育問題の解決の方向に対しても、疑問を持っていることを示したと考えるからである。この間市民社会運動の内部でも少数の声であった、生態主義者と無政府主義者、平和運動家、女性フェミニスト、人権運動家、オルタナティブ教育者などの話は、それ自体に既存の運動課題に対する全面的な問題提起が含まれているという点で注目に値する。

議題の形成過程が必ずネットワークの形成過程にならなければ

第2に、旗が掲げられた一つの組織でなく、社会的勢力としてのネットワークを作らなければならない。 どんな価値指向を持って、どのように問題を解決しようとするのかを中心に、社会運動がどのような新しい『勢力』とネットワーキングしなければならないかに、積極的に苦悩しなければならないということである。そのためには既存の運動のやり方に対する根本的な省察が必要である。すなわち、今までが既に作られた議題を提起して世論化するやり方だったら、これからは議題を作りながら形作っていく過程が、運動を組織化してネットワーキングする過程にならなければならないということである。これが今回のロウソク集会が示唆するところである。誰かどんな計画やプログラムを出すかが重要なのではなく、プログラムが作られる過程が重要なのである。

運動全体が一つの旗の下で一つになるという、過度な期待も捨てるべきである。多元化された価値指向が一つの価値で括られるというのはありえないことであり、より一層の連帯とネットワークが重要である。連帯とネットワークの経験と足跡が積って、互いに違う価値を基にした主張の共感帯が広くなり、社会的に受け入れ可能な政策的対案が、運動内部の主張でなく、社会的要求として受け容れられるからである。

『草の根』の日常に結合する論理が変化をもたらす

第3に、論理と日常が出会う運動にならなければならない。 市民運動の場合、市民運動に対する昔からの批判の一つが「市民のいない市民運動」ということである。市民運動はこの批判から何を学ぶのだろうか? 市民団体の主張とスローガンはいつの間にか市民の日常の暮らしから遠ざかり、専任の運動家だけの重くて真剣なものと思われている。市民運動と市民の距離は縮まっていない。

こういう状況の中でで、最近は草の根運動に対する注目が高まっている。おおよそ今の草の根運動に対する理解は地域住民運動に限定されているが、そうしているうちにすべての活動家が「地域に行くべきか?」という疑問も持ったりする。草の根運動というのは地域的な範疇だけで理解されてはならないし、草の根運動だけが運動の全部でもない。

市民運動だけでなく労働運動をはじめとする今の社会運動は、今現在の韓国社会が疎外している人々に注目しなければならない。非正規職労働者、非正規職の知識人、移住労働者、誤った教育制度のために傷ついている学生たちがそれであり、それらもやはり『草の根』であるからである。何よりも彼らの話は私たちの未来と直接的な関係がある。ロウソク集会は地域の草の根だけが草の根でないことを示し、論理と日常が出会った時、世の中に変化をもたらすことを、説明する必要もない程に十分見せてくれた。

『個人がメディア』の時代、自らメディアになれ

第4に、自らがメディアにならなければならない。 1990年代の市民社会運動は、特に自身のメディアに注目しなくてもいいほど既存のメディアと親密だった。市民運動においても「言論プレイに習熟した市民運動」という評価まで聞いたではないか? しかしそのような市民運動でさえ、2000年の総選挙連帯活動を頂点に「アンチ朝鮮日報」運動を経て、既存のメディアから疎外され始めた。90年代の後半にほとんどすべての新聞が持っていた『NGO』の空間が2000年以後に消え、報道の分量も急速に少なくなった。様々理由はあるだろうが、とにかく今は既存のメディアと市民運動が90年代のような友好的な関係にないことは明らかである。今後もメディア市場で強大な影響力を発揮する既存のメディアが、市民運動をこれまでのように扱ってはくれないだろう。更に、自らの見解を他の媒体に依存しながら市民と意思疎通しようとするやり方は、今の条件に合うやり方とも思えない。

ところが、市民運動は2002年以後に一般化されたインターネットを媒介とした新しいメディアに、そんなに習熟しているわけではない。したがってメディアに対するより積極的な対応をするためには、既存のメディアに対する監視とモニタリングに終わってはならないし、自らのメディアを持つことの重要性についてももっと考えなければならない。今回のロウソク集会で見たように、すでにメディアは単純な情報の供給者ではない。供給過程自体が世論を形成する過程であり、拡散する過程である。メディア自体が運動の組織手段でもある。すでに2008年のロウソク集会が、現在は「個人がメディア」の時代であるということを確認させてくれた。数多くのブログとUCCが、インターネット・ポータルサイトを媒介にして世論化されていく過程を、市民運動は見守っているしかないという現実を乗り越えなければならない。


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