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戦場に再配置されるベネズエラの危機

[ワーカーズ] INTERNATIONAL

スギョン(地球地域行動ネットワーク) 2019.03.11 11:05

[出処:テレスール]

いわゆるベネズエラ危機が表面化してから3年になる。 2016年の夏から食料品不足で商店の外に列を作って並ぶ人々の写真と共に ベネズエラがマスコミに上がっては下り始め、 2017年4月から8月初めまで、マドゥロ大統領の退陣を要求する反政府集会が連日続いた。 公権力は4か月ほど続いたデモを武力で鎮圧し、公式統計によれば127人が死亡した。 それでも昨年5月に行われた大統領選挙でマドゥロ大統領は再選に成功し、 選挙の公正性問題が起きた。 そしてベネズエラ危機は1月23日に新しい局面を迎えた。 この日、フアン・グアイド国会議長は自らを臨時大統領で宣言し、 同日トランプ大統領は彼をベネズエラ大統領として認めると発表した。

この3年間、ベネズエラ危機は何回も再配置された。 危機の連鎖は危機を限りない変化にした。 長期政権と腐敗が引き起こす民主主義の危機、 紙幣で工芸品を作って売ってもいいほどのハイパーインフレが見せる経済危機、 米国の政治的な圧力と経済制裁で確認される主権の危機、 フアン・グアイドを支持する大衆のデモが示すチャベス主義の危機、 資源の呪いを解く魔法を知らない限り、産油国の運命として受け入れなければならない国際関係の危機。 それぞれの危機状況は他の危機状況を取り込んでいる。 危機の連鎖を断ち切る方法は見えない。 むしろ米国は、危機の連鎖を編み出す蝶番に頼った。

皆が目撃した空の陳列台と紙くずになったボリバル

ベネズエラ危機の信号は2013年から感知された。 14年間、ベネズエラ首脳の席を守ってきたチャベスが3月5日にガンで死亡した。 そしてチャベスが闘病していた時期にすでに前兆が見え始めた経済危機が表面化した。 経済危機の信号は2か所で捕えられた。 最初の信号はボリバルの暴落だった。 2012年20%水準だったインフレは2013年には50%を超え、2017年には2000%に達した。 二つ目の信号は国際原油価格の暴落だった。 2013年末、1バレル100ドルに迫っていた原油価格は2014年の下半期から急落し始め、 2016年には24.25ドルまで下がった。 石油価格低下の原因の中の一つは米国のシェールガスの大量生産だった。

経済危機の最初の信号だったインフレの原因としては多様な要因が指定された。 そのうち最も簡単に最も早く広く伝えられたのがチャベスのポピュリズムだった。 チャベスの死と同時にベネズエラはチャベスが残したポピュリズムの代価を払うことになったという呪い混じりの分析があふれた。 福祉費用を払うために通貨量を増加させ、それがボリバルの価値低下を引き起こしたという主張だった。 しかしベネズエラ政府が通貨量を増加させたことがインフレの直接の原因ではない。 インフレの速度が通貨量増加の速度より早かったという分析がある。 ベネズエラの中央銀行は効果的な通貨政策を推進できなかったが、 降り注ぐ矢を一人で受け取められる程、全面的な責任を負う力量がなかった。

二つ目に言及される原因は、ドルとボリバルの為替レート政策だ。 特にベネズエラの経済構造において、ドルは大変重要だ。 ベネズエラは輸出全体の95%を石油産業に頼っており、 国家経済の25%が石油産業に依存している。 しかも非石油部門の製造業がとても脆弱な状態で、ほとんどの基本消費財は輸入に依存してきた。 言わば、ベネズエラは国営石油企業家PDVSAの原油輸出によりほとんどの外貨を確保する。 原油の取引代金はドルでしか行われないので、 ベネズエラが確保する外貨のほとんどはペトロダラーだ。 外貨を確保するPDVSAが国営企業なので、外貨取り引きの中心に国家がある。 しかもベネズエラの経済構造では海外交易が大変重要なので、 ベネズエラ政府は為替レートを厳格に統制してきた。 2003年から2018年の1月まで、食料品や医薬品のような生活必需品の輸入のために適用される保護為替レートとその他の財貨の輸入に適用される商業為替レートの二重構造が維持され、 原則として個人はドルを商品として取り扱うことができなかった。 ドルが必要な輸入業者は政府にドルを要請しなければならなかった。 ドルで輸入の代金を払うには、長く複雑な行政手順を踏まなければならなかった。

ベネズエラ政府は生活必需品を安定して供給するために、 ドルという道具の使用を統制しようとしたが、 ドルは道具として残っていなかった。 ドルは非常に高価な商品だった。 政府がこの高価な商品を統制しようとしたが、全てを統制する能力はなかった。 国家が統制しようとしたため、その商品はさらに高くなった。 腐敗した官僚はドルを引き出して闇市を大きくし、 数十倍になる保護為替レートと商業為替レートの格差は地下市場を活性化させた。 その上、外貨流出を防ぎ、為替レートを安定化することが目的の 外国為替統制委員会(CADIVI)がドル流出の主犯で指定されたりした。 ベネズエラ経済危機の三つ目の原因とされる腐敗は、 為替レート政策の派生物と同じだった。

2016年から2017年まで、商店の空の陳列台がベネズエラの経済危機を示すイメージとして使われた。 一般的にこうしたイメージが意味するものは2種類だ。 商品を購入する金がすっからかんになったり、 誰にも物を買えない孤独な人になったという意味だ。 しかしベネズエラの空の陳列台が物語るのは、陳列台に置く物を購入する手続きが過度に難しかったり、 その品物よりも大きな利益を得られる新しい商品に金が流れたという意味だった。 生活必需品を輸入するために必要なドルは、 生活必需品の輸入代金として支出される代わりに、 高価格な商品に変身して闇市にまた現れた。

経済危機の二つ目の信号だった2014年の国際石油価格の低下はこのような状況をさらに悪化させた。 国際石油価格の下落はベネズエラの立場としては、ドルの減少を意味した。 2015年からベネズエラ政府はドルの流通を減らし、 ドルが必要な民間の輸入業者は闇市を探した。 闇市はさらに活気を得た。 2017年には民間業者の半分が闇市でドルを入手した。 相対的に高い闇市の為替レートは、輸入商品の価格を押し上げた。 そうして物価は上昇し、ドルは皆からも愛される貴重で高価な商品になって行った。 なおさらボリバルは使い道のない紙くずに変わっていった。

こうしたメカニズムの土台には、石油経済に従属したベネズエラの産業構造と石油経済を動かすペトロダラーという罠がある。 チャベスはドル市場を安定するために固定換率制を導入したが、 むしろ市場の歪曲をもたらした。 そしてドルを使った米国の影響力を制限するために、 ラテンアメリカ・カリブ海国家共同体(CELAC)を発足させるなど、 地域経済連合体を活性化させることに努力したが、 2013年のチャベスの死を始めとする、 いわゆるラテンアメリカのピンクタイドは右派の波に巻きこまれてしまった。 [1]

誰もが語るそれぞれの民主主義の危機

2013年の経済危機は、チャベスの死が引き起こした政治的危機とからんだ現象だった。 3月5日にチャベスが死亡した後、4月14日に行われた選挙で副大統領だったマドゥロが当選した。 合計6人の候補が競争した選挙で投票率は79.69%を示し、 チャベスの後継者としてマドゥロは50.61%の得票率を得た。 しかし2位の候補との得票差は1.49%に過ぎなかった。 1999年から始まったチャベス主義は1.49というきわどい数値が示す不安感と共にマドゥロに継承された。 すでに2012年にチャベスが3線に成功した時から国内外で長期政権と独裁という批判が提起されていた。 マドゥロはチャベス主義を継承することにより、独裁者という烙印も共に譲り受けた。 烙印を振り払う政治的な企画は不在で、ボリバール革命の叙事は色あせていた。 14年間動力を維持した革命の可能性は、1.49という数値ほどに希薄だ。 その可能性はインフレという可視的の経済危機と国際石油価格の低下という決定的な危機要素とともに次第に薄くなった。

結局、2015年の総選挙でボリバール革命を支持する左派連合GPPは、 反チャベス主義連合のMUDに敗北した。 MUDは167議席のうち109議席を占めて2016年から議会を掌握した。 チャベスのボリバール革命中、ずっと強力で勢力だった議会は反チャベス主義の牙城に変わった。 マドゥロはチャベス主義者で構成された最高裁を使い、議会を無力化させようとする無理を強いて、 2017年にこれに反発するデモが発生して127人が死亡した。 経済的危機は新しい政治的ビジョンを要求したが、 政治的ビジョンが要求される時点にビジョンを示すのではなく暴力の現場を見つけてしまった。

政治的不安定は経済危機と全て結びついた。 米国は各危機の局面ごとに片隅に入り込み、1月23日になって前面に出た。 その日、トランプ大統領はフアン・グアイド国会議長を臨時大統領として「認定」した。 フアン・グアイドと事前に共感があっただろうという推測が可能な程、迅速な対応だった。 ペトロダラー体制の中にかくれ、チャベスが試みたすべての改革をポピュリズムという不正確な言語でさげすんできた米国は、 民主主義を打ち出して姿を表わした。 民主主義という価値を独占して自国と対立する国家を非民主的な独裁国家に分類し、石油経済を統制してきた米国は、 今回もベネズエラで民主主義の危機を呼び出した。 2014年から米国はベネズエラの民主主義を心配し始めた。 その年は米国のシェールガス生産量が急増し始めた時点でもある。

今は韓国の外交部までベネズエラの民主主義を心配している [2] が、 ベネズエラの民主主義を真っ先に心配したのはオバマ前米国大統領だった。 彼は「2014年ベネズエラの人権と市民社会保護のための法案(Venezuela Defense of Human Rights and Civil Society Act of 2014)」に署名した。 2015年にはベネズエラの民主秩序と人権を蹂躙した疑いがあるベネズエラの官僚7人の米国内資産を凍結し、ビザの発給を制限した。 2017年に与党中心に構成された最高裁が野党が多数派である議会の立法権を制限しようとした時も、 米国はベネズエラ大法官の入国を防ぎ、米国との交流を禁止した。 ベネズエラ最高裁が議会を無力化して民主主義の価値を損ったという理由であった。 マドゥロ政権を擁護し、そして反民主の人物に分類された特定の個人に対して取られた米国の経済制裁は、 次第にベネズエラ経済全般に拡大した。 2018年8月、米国はベネズエラの民主主義回復のためにPDVSAの米国内の子会社であるシットゴー(Citgo)の金融取り引きを遮断した。 PDVSAが生産する原油の30%を精油するシットゴーは、 米国内でのベネズエラ原油の販売によりドルを確保する重要な窓口であった。 米国財務部は1月29日、ベネズエラの民主主義を回復させるフアン・グアイド大統領代理にシットゴーの銀行口座の使用権限を渡した。

再び米国

米国が「民主主義」を専有する間、独裁者の烙印を押されたマドゥロ大統領は、 2018年5月3日、エルファイス(El Pais)に掲載された寄稿文にこのように書いた。 「われわれの民主主義は他のすべての民主主義と違う。 私たちを除く世界すべての国の民主主義は、 エリートによる、エリートのための民主主義だからだ」。 ボリバール革命の後継者であるマドゥロにとって、民主主義の核心は 「経済が民衆に服務するのであって、民衆が経済に服務するのではない」。 彼は「民主主義」を米国から救い出そうとしたが、 商店の空の陳列台と札束で持たなければならないボリバルは民衆に服務できず、 「もうひとつの民主主義」の姿を見せることができなかった。

その間、1月23日にフアン・グアイド国会議長は2018年5月の大統領選挙の正当性を問題にして 「われわれは、これがひとりの問題でないことを知っている。 われわれはこれがもたらす結果を知っている。 われわれは民主主義に到達するまで、ベネズエラの路上を埋めなければならないということを知っている」と演説して、 米国と「民主主義」を分け合った。

ベネズエラの民主主義を心配する人々が両陣営に分れてカラカスの路上にあふれ、 ベネズエラの民主主義を心配する全世界の国家が両陣営にわかれて フアン・グアイドを臨時大統領と認定したり、認めないという声明を発表した。 そうして誰もがそれぞれの民主主義を心配しながらベネズエラを見守っている間、 1月には国際石油価格が4か月ぶりに急落傾向から脱したという知らせが聞こえてきた。 ベネズエラ危機が原油供給に支障をもたらすという展望のためだ。 おかげで米国の原油生産は史上最高値を記録したが、原油価格の低下は防ぐことができた。

21世紀の社会主義なのか、ポピュリズムなのかをめぐり、理念戦に巻きこまれたベネズエラは、 今回は石油をめぐる新しい冷戦の場になりつつある。 戦場は、戦争に参加できないために戦場になるのは悲劇だ。 戦争の当事者は戦争を止められるが、戦場は戦争をただ体験しなければならない。 ベネズエラは当事者として、経済的・政治的な危機と直面しなければならない。 それはベネズエラの役割だ。 しかしベネズエラが直面すべき経済的・政治的危機を勝手に民主主義の危機と再配置して、 ベネズエラを民主主義の戦場にする事が行われてはいけない。 われわれは歴史的にその結果を何回も目撃した。 米国は今回も民主主義を媒介としてベネズエラの危機を編み出した。 米国の前轍が憂慮される現実だ。

[脚注]

[1] ベネズエラとともにラテンアメリカのピンクタイドを主導したブラジルの労働者党は 2016年のジルマ・ルセフ大統領の弾劾で力を失い、 結局2019年1月には極右派に分類されるジャイール・ボルソナーロ大統領が就任した。 アルゼンチンも2016年の大統領選挙で右派に分類されるマークリ大統領が当選し、 こうした傾向を象徴的に示すかのように2016年11月25日にフィデル・カストロが亡くなった。

[2] 2019年2月1日、韓国外交部は 「政府は2018年5月のベネズエラ大統領選挙の結果をめぐり現在の混乱が発生したことに対して憂慮する。 政府はすべての政治主体が参加する平和的で民主的な手順を踏み、 ベネズエラの民主主義が早く回復することを期待する。 政府はベネズエラ国民が当面している人道主義的な危機を解決するための国際社会による共同の努力に積極的に参加する計画」という報道資料を出した。 また25日にはグアイド国会議長をベネズエラ臨時大統領と認めると発表した。[ワーカーズ52号]

[参考文献]

https://radio.uchile.cl/2019/01/10/nicolas-maduro-somos-una-democracia-de-verdad-no-una-democracia-de-las-elites-que-reparten-privilegios/

https://elpais.com/elpais/2018/05/01/opinion/1525190756964649.amp.html?__twitter_impression=true

http://www.fnnews.com/news/201902041241257405?fbclid=IwAR1RJKBrIt7BDW6FDTWnWmGi7g7L7d_eR82UDIkFX-XqBJ_DS4-dgusvhd8

原文

翻訳/文責:安田(ゆ)

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2019-03-14 20:38:12 / Last modified on 2019-03-15 22:40:58 Copyright: Default

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