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あとどれほど悲しまなければならないのですか

[ワーカーズ23号/イシュー]農民ペク・ナムギ、警察、ソウル大病院…消えた国家

キム・ハンジュ記者 2016.10.10 11:44

「私たちに悲しむ時間さえくれないのですか。 遺体安置所は悲しみよりも緊張の連続です。 何の力もない平穏な私たちの家族と、死亡責任を問う国民を、なぜ1年近く困らせるんですか?」
―9月29日、故ペク・ナムギ農民の次女ペク・ミンジュファ

▲写真ホン・ジノン

息の合った警察とソウル大病院

ペク・ナムギ農民が亡くなった9月25日。 約800人の市民が葬儀場を守った。 すでに警察はペク・ナムギ農民の死亡の前からソウル大病院に大規模な警官を配置した。 警察は葬儀場を封鎖して解剖検査令状を申請した。 解剖検査の試みという知らせを聞き、市民はいきりたった。 現場を指揮していたソウル地方警察庁のチェ・ソンヨン第1機動団長は 「不法デモは防がなければならない!」と叫んだ。 衝突が起きた。 この過程である記者は頭に怪我をして病院に運ばれた。 市民の抗議の末に警察は午後7時頃に撤収した。 この日、警察が撤収せずに裁判所が解剖検査令状を発行ていたら、どうなっていたのかわからない。 解剖検査令状の有効期間は10月25日までだ。

ペク・ナムギ農民の主治医であったソウル大病院のペク・ソンハ神経外科長は、死亡の種類を外因死ではなく病死と記載した。 警察は9月25日、病死について「明確に死因を明らかにするために令状を申請した」と話した。 ペク・ソンハ科長は病死の論議がおきると、10月3日に「遺族が積極的な治療を望まなかったために死亡したので病死と表記」したと再確認した。

ソウル大病院と警察の呼吸がうたがわしい。 昨年の事故の時に応急室の医者は全員「見込みがなく、療養院に送る方が良いようだ」と遺族に薦めた。 だがペク・ソンハ科長は数時間後に登山服姿で応急室に駆けつけ、手術しようといった。 ペク・ナムギ闘争本部は事故当時、恵化警察署長がソウル大医院長に緊急協力要請を送り、ペク・ソンハが手術を執刀したことを確認した。 人道主義実践医師協議会のキム・ギョンイル神経外科専門医は9月30日 「その時になくなっていれば、明確に放水銃により亡くなったことになる。 この効果を減らすために生命を延長させたのなら手術は成功」とし、政治的な意味合いによる手術ではないかという疑惑を提起した。

ペク・ナムギ農民が死亡する前の9月22日、ペク・ソンハ科長は家族の医師所見書要請を拒否した。 警察は二か月ほど前の7月17日に「ペク・ナムギ氏が危篤ですよね」と対策委に電話した。 だが当時、家族の誰もペク・ナムギ農民が危篤だということをソウル大病院から聞いていなかった。 また、この日、ソウル大病院は警察に「デモ団体が病院施設を占拠する可能性が高いものと判断している」とし、施設保護を要請した。

ソウル大医院長ソ・チャンソクは朴槿恵(パク・クネ)大統領の主治医出身だ。 ペク・ソンハ科長は2006年の黄禹錫事態の時に捏造された論文の共同著者になり、懲戒処分を受けている。

「政治的な水準で論じることもできない」

10月4日まで、全国129か所にペク・ナムギ農民焼香所が設置された。 警察庁は、ペク・ナムギ農民が亡くなるとすぐ、すべての地方庁警備課長に焼香所を遮断するように指示する。 警察庁警備課は「焼香所設置用品は未申告用品として遮断し、 焼香所設置時は未申告集会として遮断、 暴力行為発生時は対応人員を積極的に介入」しろという文書を送った。

国家により死んだ農民の追慕を国家が防いだ。 だが市民は警察を撤収させた。 ペク・ナムギ農民の遺体を守るために夜を明かした。 葬儀場のロビーが埋め尽くされる程、後援物品を送った。 10月1日のペク・ナムギ農民追慕汎国民大会には3万人が集結した。 この民心は青瓦台に聞こえるだろうか?

「私が属する世の中が、国家が不愉快です。人として不愉快なので出てきました」。 イ・ハンソル氏は9月28日「国家に対する義務」である予備軍訓練と軍服を着たまま、キャンドル集会にきた。 彼はその前に隈で白い封筒に弔意金を入れて遺族に渡した。 彼は「初めてキャンドル集会に来ました。 政治についていいたいことは多いのですが、言いたくはありません。 ペク・ナムギ農民は年を取った方で、正しいことをして放水銃を受け、 そのために300日以上横になって亡くなったのではないですか。 それでは政治的な水準で論じることもできません。 私ぐらいでも謝罪したかったのです」と話した。 彼は弔意金としていくらを出したのかという記者の質問に 「いくらもなりません。9千ウォンです。財布にあるお金全てでした」と答えた。

「ここにきて、ご飯を食べて行ってください」。 40歳の男性、チョン・スンニョル氏はお年寄りが亡くなった翌日から弔問に来て、毎日ボランティアをしている。 食事の準備を手伝ったり道案内をするなど単純なことだが、人が多い時は困ることもある。 彼はペク・ナムギ農民の死がつらく、少しでも手伝いたいという。 「昨年11月14日、現場にいました。 お年寄りが倒れるのを目撃しました。 大統領でも国務総理でも、誰かの指示があったから放水銃を撃ったのではありませんか? 政府が申し訳ないという言葉を一言でも言って欲しい」。

全北農民会のチョ・サングク議長は9月28日のキャンドル集会で 「われわれ農民は、金持ちになるためではなく、暮らすために農作業をします。 生涯農作業だけしていたのに、振り返ればあまりつらい記憶だけが残っています。 米価は25年前の水準ですが、それでも農民は収穫に最善をつくしています。 ペク・ナムギさんも農産物価格保障を要求されました」と話した。 彼は政府が民間投資活性化対策を推進し、資本には土地を与え、お金を与えて農作業をさせていると憤激した。

「とても遅くなりました」。 集会隊列の一番後ろで発言を聞いていた40代のある女性。 天安からきたと言う。 「解剖検査令状に、『死体遊び』だなんて…。 (政府与党の話を聞くと)本当に21世紀なのか現実感がありません。 弾圧の果てが見えません。 大統領選挙を控えていますが、韓国がどこに行くのかわかりません」。 地方で市民団体で働いているという彼女は、ペク・ナムギお年寄りの消息を聞いたのにとても遅くなったと自らを叱責した。

警察は国家の中央行政機関だ。 ソウル大病院は国家の中央病院だ。 ペク・ナムギ農民が倒れた昨年11月14日以後、今も国家はない。 ソウル大医大生とソウル大医大同窓会、全国医科大学生、全国薬剤師、韓医師など1828人の医療界の人々がリレー壁新聞でソウル大病院の病死の判断に対する糾弾声明を発表した。 如何に多くの人が叫べば国家は出てくるのだろうか。〈ワーカーズ23号〉

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2016-10-17 14:41:22 / Last modified on 2016-10-17 14:41:24 Copyright: Default

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