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20年間、漠然と期待し続けた「ゼネスト」

[2015ゼネスト](2)「労改闘」、最初で最後として記録される歴史なのか

ユン・ジヨン記者 2015.03.12 16:46

クリスマスの翌朝。 出勤の準備をしていたA氏は、ニュース速報を見て驚いた。 午前6時頃、新韓国党の議員154人がバスを貸切って国会本会議場に入り、7分で労働法と安全企画部法をかっぱらい通過させたというニュースだった。 自動車部品メーカーに通う彼は、去年の夏から労働組合を通じて労働法改正の方向について何回も教育を受けてきた。 もし新韓国党の意図のとおりに「整理解雇制」と「フレックスタイム時間制」などを骨子とする労働悪法が通過すれば私はどうなるのか? まだ30代半ばのA氏には、小学校にも上がらない小さい子供と妻がいた。 それこそメシの種がかかる問題だった。

出勤の間中、気持ちが落ち着かなかった。 ゼネストだと言っていた民主労総は、11月と12月にかけてストライキ突入日を留保していた。 現在は与党が労働法改悪を強行すればゼネストに突入するという指針を確定した状態だった。 指針のとおりなら、今日からストライキに突入するはずだった。 本当にストライキに入るのか? 工場に到着するとまず労組の事務室に寄って親しい労組幹部のB氏に会わなければならないと考えた。

B氏は労組事務室で新聞を見ていた。 彼は少し前に新韓国党のかっぱらいのニュースを聞いたと言う。 「私はファックスを見て知った」。 氏はあごで机の上の紙を示した。 自動車連盟からファックスでストライキ指針が出たという。 「これからどうなるんだ?」A氏の質問にB氏が無関心に答えた。 「何をするも何も。ストライキだよ。」

工場の食堂と広場は組合員たちで騒々しかった。 労組の指導部はとても忙しそうに見えた。 連盟からストライキの指針は出されたが、具体的な行動指針は確定していないという。 しばらくして、民主労総指導部が明洞聖堂で無期限ゼネスト突入記者会見を行ったという知らせが聞こえてきた。 同じ連盟に所属する起亜車、双竜車、アジア労組などをはじめ、現代グループ労組総連合もストライキに突入したという。 起亜車所下里工場の労働者たちが民主労総指導部が座り込んでいる明洞聖堂に集結したという知らせも伝えられた。 労組の幹部らは昼食後に工場から出て、地域本部別にストライキ集会を開く計画だと明らかにした。

太陽が中天にかかる頃、A氏は組合員と一緒に工場を抜け出した。 24日間続いた全国的ゼネスト闘争の始まりだった。 マスコミはこの時期の労働法改正闘争(労改闘)ストライキを1948年の大韓民国政府樹立後50年で初めての政治ゼネストだと呼んだ。

最初で最後に記録されたゼネストの歴史

1996年12月26日から翌年1月18日まで、何と24日間続いた労改闘ストライキ。 全国民主労働組合総連盟(民主労総)の発足から最初で最後に記録されるゼネストの歴史だ。 それから19年経った2015年現在、五十歳を遥かに越えたA氏は労改闘ストライキを思い出しながら寂しく話した。 「あの時は私たち(労組)の組織力がありました。 労働運動もできる程でした」。 当時、労組の幹部だったB氏もその時、その時期を思い出した。 「ストライキになるか、と思っていたが、そのままなってしまいました。 うまく準備できたというより、運が良かったのでしょう。 組織力も強かったし。 われわれの事業場は24日間、ずっと全面ストをしました」。

労改闘ストライキ以後、民主労総はたびたびゼネストを宣言したりした。 だがそのたびに「嘘っぱちストライキ」だの「出張ストライキ」といった皮肉ばかりが増えた。 3年前に民主労総が政治ゼネストを宣言した時、労組の活動家は討論会の場で「労改闘」という勝利の歴史がむしろ労働運動の足手まといになっていると鬱憤を吐露した。 労改闘ストライキの当時、有名な連盟委員長出身のある人は 「労改闘ゼネストは、ゼネストでなければ闘争ではないというトラウマを残し、 労働運動は困難に陥った」と話した。 当時の別の労組委員長出身者は「ストライキ万能主義で民主労総がほろびた」と批判した。 いったいどれほどものすごい闘争なら、「トラウマ」を超えて民主労総を20年も困難に導いたのか。

[出処:チャムセサン資料写真]

ストライキ初日の26日。85の労働組合組合員14万2416人がいっせいにストライキに突入した。 当時の民主労総組合員は49万6908人だった点を考慮すれば、初日だけで28%以上の民主労総組合員がストライキに参加したわけだ。 この日のストライキは、金属連盟、自動車連盟、現総連など、現在の金属労働組合に集まっている製造業中心の労働者たちが主軸になった。 民主労総は労改闘ゼネストが「政治ゼネスト」だと宣言した。 当時の民主労総の権永吉(クォン・ヨンギル)委員長は、26日に明洞聖堂で開かれた記者会見で 「民主労総は反民主的暴挙を阻止し、新韓国党を解体させ、金泳三政権を退陣させるために全国的な無期限ゼネストに突入する」と宣言した。

二日目、ストライキ参加規模はさらに増えた。 27日には165の労働組合に所属する20万9548人が仕事を止めた。 製造業労働者をはじめ、事務職を中心とする専門労連と公共部門病院労連などがストライキに加勢した。 三日目には173の労働組合22万人が、四日目には186の労働組合21万人がストライキに参加し、ストライキの規模が拡大した。 1月3日〜7日までは年初の混雑を避けるために公共部門がストライキを暫定的に中断するなどしてストライキの規模は小さくなったが、 8日からはまた180の労働組合の22万人がストライキに参加した。 特にこの時期には公共部門の病院、地下鉄、医療保険労組労働者たちをはじめ、放送4社と事務労連、建設労連、大学労連など、事務職労働者の闘争が本格化した。

労働者たちは、午前に各事業場でストライキ集会を開き、午後には道路で街頭デモを行った。 A氏もその当時を生き生きと記憶している。 「初めには製造業中心だったが、その後はホワイトカラーが参加し、ニュースにも大きく出てきた。 毎日街頭集会をして、その後はとにかく新韓国党党舎前に集まっていって集会をした」。 ストライキの規模が拡大し、政権は少なからぬ攻勢をかけてきた。 デモ者の連行や告訴告発が続き、約140人に召喚状が発行された。 指導部に対して事前令状も申請された。 だがソウル明洞聖堂をはじめ、全国20余りの地域で集会や街頭デモ行進が続き、10万を超える市民が集会に参加した。

1月15日は全部門集中闘争が展開された。 388の労働組合に所属する約35万人の組合員がストライキに突入し、最大規模のゼネストになった。 その後、民主労総指導部が20日から時限ストライキに転換すると決め、ゼネストは整理期に入った。 結果として、労改闘ゼネスト期間中に528の労働組合の40万3千余人の組合員が一回以上、ストライキに参加した。 民主労総組合員の81%が一回以上ストライキに参加したわけだ。 ストライキ参加累積規模は合計3206の労働組合、359万7千余人に達する。 当時、明洞聖堂で座り込みをした民主労総指導部のC氏は 「明洞聖堂に閉じ込められていて、すべてを見ることはできなかったが、 みんなが明洞聖堂を取り囲んで毎日集会をした。 催涙弾が爆発して、催涙ガスの臭いも漂ってきた」とし 「一日平均5万人がデモを行い、約30日間で合計150万人が集会に参加したと集計される」と明らかにした。

熊が熊女になるのを待つように...「ゼネスト準備」の道ははるかに遠かった

では、労改闘闘争は精巧な準備と確信が担保された闘争だったのだろうか。 いつも労働界で「準備されたゼネスト」を強調するが、労改闘闘争の準備の過程が気になった。 だがB氏の返事はそっけなかった。 「組合員総会や教育はあったが、すごい準備というよりは、ただ今と同じようなものだ。 その時も誰もゼネストができるとは確信できなかった」。 実際に当時の状況を調べると、苦悩に陥った民主労総指導部はかなり長い間ためらっていたようだ。 闘争本部代表者会議はその年の10月初めに会議を開き、11月15日をゼネスト突入時点と暫定決定した。 だが11月初めに突然先制ストライキを放棄して、「労働法改悪を強行すればゼネスト突入」へと方針を旋回した。

政府の労働法改悪案が発表された後も似た彷徨が続いた。 12月初め、民主労総非常中央委は会議を開き、12月13日の4時間全面ストライキ突入の方針を決定した。 だが6日後に開かれた役員産別代表者会議はまた委員長のストライキ留保方針を発表した。 政府が意図的にストライキを誘導して民主労総を弾圧しようとしているという理由だった。

[出処:チャムセサン資料写真]

民主労総の幹部だったC氏は当時を回想しながら話した。 「事実上、先制ストライキはできなかったわけです。 条件が整っていないといっていました。 指導部が組合員を信じられなかったのです。 労改闘の闘争は政治ゼネストだったので、政権では不法ストライキだといっていました。 民主労総が全国的次元の政治ストライキをしたこともなかったんですから」。 何よりも指導部はゼネストの主要動力である現代車など完成車工場の主動力を確信していなかった。

歳月が流れて、2015年になり、「即刻先制ゼネスト」を公約に掲げたハン・サンギュン指導部が民主労総指導部に当選した。 終盤まで競って落選した他の選挙本部は「準備されたゼネスト」を強調する候補者だった。 ハン・サンギュン指導部の当選は「ゼネスト」で政権と資本の闘争に立ち上がるという組合員たちの意志と評価された。 それもそのはず、組合員たちは労改闘以来、長い間多くのゼネスト準備期を経てきた。 昨年だけでも「朴槿恵退陣」を掲げた2.25国民ゼネストを準備してきたし、 2012年にも10大優先立法課題争奪するための8月ゼネスト準備した。 さらに歳月を遡り、労改闘ストライキ以後、97年から2009年まで民主労総が行ったり宣言、撤回、留保したゼネスト現況は合計30件ほどだ。 20年間ゼネストに漠然と期待していた組合員としては、じれったくなる程だ。

それでも政権の攻勢が静かになったわけでもなかった。 2013年末の鉄道ストライキの時に「公共部門民営化」反対の世論は激しく、 その上、史上初めて民主労総が公権力に侵奪された。 2014年にはセウォル号惨事が起き、連日全国で「朴槿恵政権退陣」を要求する大規模集会が開かれた。 なぜいつも重要な闘争の時期をのがすのかと聞くと、返事はいつも同じだ。 準備が不十分だったということだ。

20年の歳月にも変わらないものは?

今年、民主労総のゼネスト宣言の後、一部産別連盟からは不機嫌な声があがっている。 どの程度の規模がストライキに服務できるのか明らかにしなければならないとし、民主労総に「良心宣言」を要求する声もあったし、 ゼネストに突入する条件が整っていないという否定的な声、 主要産別の参加の可能性を占う顔色伺いも続いた。 先日は主要産別労組の幹部に「民主労総ゼネストに服務しているか」と尋ねると 「民主労総ストライキに服務するというより...ただ連帯する程度でしょう」という回答が戻った。

明らかに世の中は20年前と大きく変わった。 一部では労改闘闘争を87年労働者大闘争以後に噴出した労働者たちの熱望が壮烈に散華した最後の闘争と記録したりもする。 C氏は「87年以後、10年間組織力が強化され続け、民主労組運動は上昇局面にあった。 だが98年の外国為替危機以来17年間、労働運動は下降局面を迎えた」と話した。 いつも戦いで押されてきたので、労働組合への信頼も下がり、現状維持だけに汲々とするようになった。 ストライキを思い出すと、懲戒解雇と損賠仮差押えが影のようにつきまとう。

[出処:チャムセサン資料写真]

それに反して、労改闘当時、労働界の初のゼネストに驚いた政権と資本は、着実に管理マニュアルを作りあげた。 「あの時(労改闘)も、ストライキをすれば解雇、拘束はあった。 ところが大工場の正規職がそれをみんな突破した。 損賠仮差押えはその後に資本が作り出したものだ」(B氏)。 「解雇、拘束などの弾圧は戦いの勝敗によって変わります。 労組法によれば労組活動は民事・刑事上の処罰に抵触しないのに、 労働運動に力がないので解雇、拘束、損賠仮差押えといった弾圧があるのです。 労改闘は政権が屈服した闘争だったので、そうした弾圧を克服できたのです」(C氏)。

何よりも20年前と今の最大の違いは、情勢は変わったのに闘争主体はそのままだという点だ。 96年、整理解雇制を骨子とする労働法改悪反対闘争は、当時の闘争の主体だった大工場正規職労働者をはじめとする民主労総組合員の共通の要求だった。 だが今、民主労総は正規職労働者と非正規職労働者、公務員、公共部門労働者、特殊雇用労働者など、多様な雇用形態の労働者の要求をすべて取りまとめなければならない。 それでも相変らず民主労総ゼネストの主要動力は、97年の労改闘ストライキを率いた大工場正規職労働者たちに留まっている。

C氏は「資本は労働界内部を分断して争わせる構造を作り、今では資本と労働の戦争ではなく労働内部の敵対関係が形成されるに至った」とし 「現在、民主労総の要求と主体は分離している。 組合員たちは自分の利害関係によって、ストライキをするかもしれず、しないかもしれない」と説明した。 民主労総は現在、各地域単位でゼネスト実践団を構成し、 ストライキの組織化や組合員教育などに拍車をかけている。 指導部は毎朝7時から夜まで現場巡回を続け、宣伝戦、懇談会等を通じて組合員と会っている。 来る3月21日から来月4月8日まではゼネストをめぐり全組合員総投票が実施される。 今、民主労総事務総局はいつよりも忙しい毎日を送っている。

労改闘ストライキの真っ最中だった97年1月16日、ハンギルリサーチの世論調査によれば、 国民の65.5%が民主労総のゼネストを支持していることが明らかになった。 民主労総の好感度は66.4%、影響力評価は77.8%、期待感は69.8%であった。 労改闘ストライキに支持し、連帯した市民社会、そして民主労総が語る多数の 「労働者庶民」は民主労総のストライキにどんな方式で応えるのだろうか。(続く)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


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