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2次3次希望バス、暴力と対決する

[派遣美術-現場美術]釜山に発つ希望の旅程(5)

シン・ユア(文化連帯) 2017.09.05 12:21

2011年6月11日の1次希望バスは、2次、3次、4次、5次、 そして2011年11月10日にクレーンに上がってから309日目にキム・ジンスクが地上に降りてくるまで、希望バスは諦めることなく走った。 希望バスは個人が切符を購入しなければならず、 シャワーどころか睡眠も路上で野宿しなければならなかった。 それについて誰も不満を言わなかった。 すべて自ら選択したことだったからだ。

1次希望バスの後、時間は忙しく回った。 警察の暴力的な鎮圧に対する記者会見と社会元老の時局宣言、 そして2次希望バスを準備した。 市民に訴えるための韓進重工業労働者の上京闘争文化祭「韓進、85号クレーンの涙」が普信閣で行われ、 1次希望バスに搭乗した作家たちは緊急に「ワハハ希望のバス」の本を出版した。 7月9日に予定されていた2次希望バスは、1次より多くの人からの問い合わせで搭乗券を購入した。 楽しい知らせだが準備する人たちはさらに多くのことに悩まなければならなかった。 バスを探さなければならず、食事も準備しなければならず、参加者の多様な要求を考慮しなければならなかった。

一緒に希望バスを提案した双竜自動車労組の組合員たちは、 自分たちの闘争と韓進重工業をつなぐ闘争として「歩くこと」を選択した。 双竜自動車工場がある平沢で韓進重工業工場がある釜山影島まで歩いて行くのだ。 「塩の花を訪れる千里の道」、歩く足取りで彼らの闘争を知らせようと思った。 9日間の長い旅行日程を準備した双竜自動車労組は、 足の指がはれて顔が真っ黒に焼けたが、 明るい微笑を見せながら釜山駅広場に現れた。 全国各地から出発した希望バス搭乗客の集結地は釜山駅。 釜山駅広場は足の踏み場がないほど多くの人でいっぱいだった。 涙がどっとあふれる瞬間だった。

「塩の花千里の道」には一日の参加者が絶えなかった。 派遣美術チームのイ・ユニョプとシン・ユアも一日の日程に参加するために合流した。 一日40kmを歩くのは誰もができることではなかった。 結局、途中で放棄したわれわれは2時間ほどで歩いていける先頭に車を出し、 双竜自動車の労組員がデモ車両に使うワゴン車に造形物と横断幕を作って設置した。

釜山駅広場には雨が降っていた。 広場の舞台で楽しいバンドの歌が疲れを減らしてくれ、 準備チームは影島に行くためのデモ行進を準備した。 プラカードと横断幕と懸垂幕の絵を広げ、 デモ行進をする人たちはまたキム・ジンスクのクレーンを見るという思い出、 苦しそうだったり疲れたようなこともなかった。 影島橋を渡り、峰来三叉路に到着したわれわれは、突然会話が詰まった。 目の前にクレーンが見えるのだが、まさにその前に警官が車壁で道路を完全に防いでいたからだ。 夜中には催涙液に目をこすりまくりながら車壁を越えるためにもがいた。 その間、マイクを持った人は捕まって、車壁のあちこちで叫びながら戦う声が聞こえてきた。

雨水で洗われた催涙液の粉が地面に黄色く敷かれていた。 われわれは遊んだ。 その渦中でわれわれは楽しく遊んだ。 叫びながら遊んだ。 明け方が近付いてくると、コーヒーを沸かす人、おにぎりを準備する人。 発言をして、公演をしながらみんな道端に座り、長い時間を楽しんで過ごした。 朝になると、いつ雨が降ったのかというように、日差しは熱く、 人々は熱い太陽にも道路から離れなかった。 遠くからキム・ジンスクの声が聞こえてきた。

「韓国にもはや正義はないと思っていました。 韓国には真実を聞いてくれる耳はないと思っていました。 韓国にはもう連帯はないと思っていました。 ところが遠くから駆け付けて、雨が降って、催涙液と放水銃を浴びた皆さんがいました。 本当にありがとう。」

また3次希望バスが行く。 7月30日。 搭乗客はさらに増え、準備することはさらに多くなった。 韓進重工業の本社はソウルにある。 ソウルでも圧迫が必要だった。 韓進重工業ソウル本社に厳しく対応しようという意味で、24時間リレー1人デモを準備した。 「昼耕夜読」、そして何回かの糾弾記者会見と、一緒に希望バスに乗ろうという提案記者会見をした。 ソウルで、大田で、群山で、済州で、多くの人が釜山に行くために休暇を出していた。 釜山に行く3次希望バスのコンセプトは「希望を作る休暇、私たちが塩の花だ」。 韓進重工業労働者も座ったままで人に来てもらうことだけを願っていることはできなかった。 希望自転車に乗ることに決心した。 大漢門から釜山まで、彼らは走りに走った。 真夏の猛暑と暴雨と、そして自分と戦いながら走った。

釜山に到着した人々は、2次の時と同じように釜山駅で市民と共にする文化祭を開き、 道路に出てデモ行進を準備した。 影島橋を渡り、また峰来三叉路。 やはり車壁で塞がれていた。 だが同じようにやられてばかりいる私たちではなかった。 影島は山の町だ。 それぞれの路地は山にのぼれば反対側の道路に行くことができ、 私たちは85号クレーンが見える水辺公園を到着地として三々五々、 山腹の道路をのぼり始めた。 路地ごとに警察が盾を持って塞いでいたが、彼らもすべての路地を塞ぐことはできなかった。 山腹の道路を上がってみると、遠くにクレーンが見えたし、 クレーンが見える所なら間違いなく人々が集まって手を振っていた。

夜中に山腹の道路を歩き回って、水辺公園に集まった時間は午前3時を越えていた。 5、6時間歩いて、また歩いて警察と戦って、また戦いながら、集まった人々。 私たちはまたイベントを始めた。 歌も歌って、踊って、今回は写真家が準備した写真館で写真も撮って、夜を楽しんだ。 壁の向こうのキム・ジンスクにも聞こえるように、大声で遊んだ。 希望バスの力は楽しく楽しく遊ぼうということだった。

夜中に山を上ったり降りたり、疲れた人々は水辺公園の地面に横になって眠った。 明け方の写真の中の姿は心がじんとする。 これが本当の「連帯」なんだ。

付記
この文は文化連帯が発行する話倉庫〈文化パン〉にものせられました。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2017-09-10 02:45:43 / Last modified on 2017-09-10 23:38:33 Copyright: Default

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