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労働者歴史ハンネ故イ・スンウォン事務局長、磨石牡丹公園に埋葬

公共部門労働者の大きな先輩、膨大な労働者歴史の記録担当者

パク・タソル記者 2017.07.27 18:21

民主労組運動を率いて、最近では労働者運動歴史記録に専念していた 労働者歴史ハンネのイ・スンウォン(55)事務局長の葬儀が7月27日、 民主労働者葬で行われた。 労働者歴史ハンネ、全国公共運輸労組、民主ユープラス労組が共同葬儀委員会を作り、葬儀を行った。

7月27日午前10時、ソウル市新村の労働者歴史ハンネの事務室で告別式が行われ、 その後、京畿道磨石の牡丹公園で下棺式と追慕大会が開かれた。 故人を追慕する80余人の家族、友人、同僚が参加した。

労働者歴史ハンネのヤン・ギュホン代表は追悼発言で 「つらい透析をしながらも労働運動に対する情熱と責任感で、労働者大闘争30周年のパンフレットと展示会を企画し、 東奔西走していた姿は私たちをさらに悲しませる」とし 「『労働者歴史ハンネ』で同志が行った仕事の痕跡がとても重く感じられ、 どうすればいいのかただ途方に暮れるばかりだ」と心情を伝えた。

民主ユープラス労働組合のソン・インギュ委員長は 「デイコム時代、先輩の同僚で、苦しい時に委員長になって陣頭指揮する堂々とした姿がとても懐かしい」とし 「済州43抗争、サボク炭鉱労働者歴史紀行に参加して見た姿から、 民主労組運動の歴史復元事業の重要性を再認識し、 その精神を受け継ぎ、継承していく」と追悼発言を残した。

午後12時30分から行われた磨石牡丹公園追慕大会で、 共同葬儀委員長のチョ・サンス公共運輸労組委員長は故人を 「いつも現場を中心に活動していた模範的な活動家」と称した。 チョ委員長は「公共部門の労働者闘争の先頭で、また労働者闘争の歴史を記録して後代に伝えようとした歴史運動家」だったとし 「同志が愛した公共部門労働者の名でその意を続ける」と話した。

民主労総のチェ・ジョンジン委員長職務代行は 「全労協から民主労総まで、労改闘とキャンドル抗争など多くの闘争の歴史を同志と共にしたが、 非正規職撤廃と労組をする権利を叫んでいる今も当時も、相変らず民主労組が話題」とし 「弱くなって崩れた民主労組の隙間を広げ、場を占めた非正規職千万の壁と向き合っている」となげいた。 チェ職務代行は「こんな時期に同志がいない空席が残念だ」とし 「民主労組運動の大きな足跡を残して行ったあなたを忘れない」と力説した。

故イ・スンウ事務局長の娘、イ・ジヨン氏は 「私と母が愛して尊敬する父が外でも愛されていたことを知らせていただき感謝する」とし 「最後の道まで一緒にして下さったことを忘れない」と、集まった人々に感謝の言葉を伝えた。

民衆歌手のチェ・ドウン氏はヤン・ギュホン代表が作った歌詞に曲を付け、弔歌を準備した。 チェ氏は「あれほど叫んだ87年労働者大闘争の主役が、 労働烈士が眠るここに先輩がいるということが信じられない」とし 「勇気を失わずに生きろという意に従う」と歌を始めた。

民主労組と共にした20年…非正規職闘争にも先頭に立って

故イ・スンウォン事務局長の活動は、民主労組歴史の軌と共にする。 1987年に韓国データ通信(株)に入社した故人は、 1990年8月に韓国データ通信労働組合調査統計部長として労働組合活動を始めた。 その後、デイコム労働組合5、6代委員長を歴任し、 2002年の80日ストライキで解雇された。 解雇後の2005年4月から7月まで「元職復帰、非正規職撤廃」をかけて2000km全国徒歩デモ行進も行った。 6年後の2008年、大法院での勝訴を経て復職したが、すぐ労働者歴史ハンネの事務局長として活動し、労働者歴史を記録して展示する仕事に邁進した。

故人は非正規職闘争にも先頭に立った。 2003年に公共連盟委員長として勤労福祉公団非正規職労働者たちと41日間の闘争をして正規職転換の端緒を作った。 イ・ヨンソク烈士が焼身した翌日にストライキを始め、 ストライキ隊伍と同苦同楽しながら段階的正規職転換の約束を勝ち取り、団体協約を締結することができた。 だが内部試験による正規職転換という条項により、500余人は正規職に転換されたが200人は結局契約が解約される痛みを味わった。

当時、ストライキ参加組合員だったイ・ギョンミ氏は 「その時に委員長はストライキが労働者の学校だと話した。 使用者側の懐柔と妨害などでストライキが挫折するのが恐いと言うと、 恐れは外部ではなく自分の内面にあるといった。 気が静まらず、動揺するという言葉が一番記憶に残っている」と回想した。

彼が2008年から労働者歴史ハンネで始めた労働者歴史記録活動は、 同僚から最も評価される業績のひとつだ。 公共運輸労組のハン・ソンジュ前教育部室長は 「捨てられて壊された労働者の資料を彼がデータベース化し、 直接労働者と会い、インタビューして口述してしっかりまとめた。 『歴史は記録する人のこと』という彼の信念おかげで、 どこから手を付ければいいのかわからなかった労働者の歴史が記録され、展示された」と話した。 ハン前教育部室長は 「イ・スンウォン処長は労組の会議進行法を最初に教育的観点から考えた」とし 「彼が作った民主的な会議進行法に少し付け加えて補完して使っている」と説明した。

故人は7月24日午後2時30分頃、ソウル大病院で落命した。 糖尿合併症などで腎臓が良くなく、透析を受けているときに倒れ、 ソウル大病院応急室に運ばれたが結局亡くなった。 死の直前まで展示館、博物館事業などを活発に進め、 2015年からは公共運輸労組指導委員をしていた。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


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