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「全泰壹公園」を宣言した場所は生家の場所ではない?…「証言と書類が違う」

チョン・ヨンギル記者 2015.12.01 17:26

▲2015年11月21日、全泰壹大邱市民文化祭推進委は桂山五叉路の交通島を全泰壹の生家の場所と推定し、全泰壹公園宣布式を行った。

11月21日、全泰壹(チョン・テイル)大邱市民文化祭推進委は全泰壹(チョン・テイル)烈士の生家の場所と推定される桂山五叉路の交通島で全泰壹公園の宣布式を行った。 全泰壹公園の立て札を設置し、横断幕も掲げた。 烈士の弟のチョン・テサム氏の証言によって桂山五叉路の交通島を生家があった場所と推定したが、 烈士の母、李小仙(イ・ソソン)女史が証言した住所とは違っていた。 そのため生家の場所について正確な考証が必要だという主張が提起されている。

2011年に亡くなる前、李小仙女史の証言によれば、 全泰壹烈士は1948年代に中区南山洞にあるおじいさん(チョン・アムフェ氏)の家で生まれた。 1948年当時の住所では南山洞184番地で、その後に南山洞50番地に変わったという。 この証言を土台にすれば、全泰壹の生家は桂山五叉路の交通島ではなく、ソヒョン教会の横の方だ。 推進委が立て札をたてた交通島は南山洞22、24、39番地で、184番地や50番地とは関連性がない。

[出処:クォン・サング時間と空間研究所理事提供]

全泰壹の生家の推定地についての証言と記録との間の食い違いを確認したのは 時間と空間研究所のクォン・サング理事が問題を提起したことによる。

時間と空間研究所のクォン・サング理事は 「全泰壹探しには意味がある。 しかし場所について十分に検証しなかったのは残念だ」とし 「証言、戸籍、土地台帳等を通じ、 記憶と書類が合わない部分について考証が必要だ」と話した。

推進委のキム・チェウォン執行委員長は 「市民に全泰壹烈士の故郷が大邱だという事実を知らせることが優先だと考え、 遺族チョン・テサム氏の証言に多くの部分を頼った」とし 「問題を指摘したクォン・サング理事をはじめ、市民と共に考証を行い、 生家の場所を確認して知らせる作業をする予定」と話した。

これに推進委はクォン・サング理事と共に多様な証言と記録を基礎に 全泰壹の生家の考証作業を続けている。

言論も事実確認をいいかげんにしたのは同じだった。 本紙をはじめ、ほとんどの言論は推進委が提示した場所と李小仙女史が証言した 「南山洞50番地」を確認することなく記事を作成した。 全泰壹烈士の精神と顕在的な意味を市民と共感するためには、 クォン・サング理事の話に耳を傾ける必要がありそうだ。

全泰壹探しは社会的な探しものだ。 十分な検証過程を経ることができなかった点については不足な点があったと思う。 また、宣言した場所についても平均的な市民が見れば一部の市民が場所を占領したようにも見える。 知らせる時間も必要で、納得する時間が必要だ。 さらにはこの場所だ点も説得力が足りなかった。 関心を持つ人が参加できるように長い目で見て段階的に全泰壹の時間の軌跡を見つけ出してほしい」

付記
チョン・ヨンギル記者はニュースミンの記者です。この記事はニュースミンにも掲載されます。チャムセサンは筆者が直接書いた文に限り同時掲載を許容します。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2015-12-02 06:01:10 / Last modified on 2015-12-02 06:01:11 Copyright: Default

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