「なせばなる」、朴正煕称賛大会で終わった地球村セマウル指導者大会
成果は「朴正煕のおかげ」、外信記者の憂慮には「なせばなる」
キム・ギュヒョン記者 2015.11.30 19:50
町中にセマウル旗が翻る。
村を清掃しろという洞長の電話がかかってきそうだ(もちろん洞長が誰なのかは知らない)。
おそらく公務員から教育を受けたセマウル指導者であろう。
大統領の強力な指導力のおかげで「なせばなる」という気持ちで村を清掃して、
道を作り、統一への意思を満遍なく植えつけて、
農家は少し負債はできたが、国家の生産力は高まった。
われわれは「なせばなる」といったような信頼さえあれば、何でもできる全知全能の大統領を歴史上二回も持つとても運の良い国に暮らしているのかもしれない。
2015年「なせばなると信じれば、どんなことでもできる」という呪文が、大邱から全世界に広がる。
「2015地球村セマウル指導者大会」が11月24日から4日間、大邱市寿城区晩村洞のインターブルゴホテルで開かれた。
行政自治部が主催し、セマウル運動中央会と大邱市が主管する今回の大会には、
アフリカ、アジア、南アメリカなど57か国が参加した。
各国のセマウル指導者が大邱に集まり、自国のセマウル運動の成功事例を発表し、
韓国政府はセマウル運動の「自助」精神をまた強調した。
慶尚北道亀尾のセマウルテーマ公園、朴正煕大統領生家訪問の現場踏査も行った。
▲カヨンゴ(KAYONGO Busuulwa)氏[出処:ニュースミン]
ウガンダのカテレケ村のセマウル指導者、カヨンゴ(KAYONGO Busuulwa)氏は、
ウガンダでセマウル運動を始めた村は40を越えると自慢した。
カヨンゴ氏はセマウル運動のために教師という職業も捨てた。
「初めてセマウル運動を始めた時、
住民はなぜ政府がするべきことを私たちがしなければならないのかという反発が多かった。
また、共同のためでも仕事をすれば無条件に金を受け取らなければならないという住民も多かった」。
カヨンゴ氏は「教師として働いていた時、月給もきちんと受けれず、ご飯を食べられないことが多かった。
そんな私たちがとても恥ずかしかった。
村にはなぜ教師を辞めるのかという人が多かったが、
セマウル運動に対するかたい信念があった」とし
「セマウル運動のおかげで私の人生は精神的、経済的にすべて変わった。
今は全てのことが可能だという確信を得た」と話した。
「わが国には朴正煕…君たちの国にはそんな人はいる?」
「朴正煕という偉大な指導者が…」
世界貧困退治を装った朴正煕自慢大会?
韓国政府はセマウル運動の成果に注目し、
世界の貧困退治のために持続可能なセマウル運動モデルの拡散に努力すると明らかにした。
今回の大会もそうした趣旨だ。
11月24日午後1時30分、高位級ラウンドテーブルで
「セマウル運動活性化のための中央・地方政府の役割」についての討論が開かれた。
70年代の韓国セマウル運動は、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が陣頭指揮した。
18年間、民主主義の時計を止めた独裁者のリーダーシップを説明したかったのだろうか?
▲鄭宗燮行政自治部長官[出処:ニュースミン]
最初に問題提起をした鄭宗燮(チョン・ジョンソプ)行政自治部長官は、
セマウル運動の成功要因として、
△政府の強い意志と戦略的支援、
△住民の自発的参加、
△村の指導者の情熱をあげた。
「最初の要因は『政府の強力な意志と戦略的支援』です。
政府は画一的で無条件の支援ではなく、成果がある村にはさらに多くの支援をすることで競争を触発させ、
これは村の住民たちがさらに多くの支援を得るためにまとまり、
農村近代化の大きな波を起こしました」。
当時、内務部傘下のセマウル運動中央協議会、
市・道にセマウル協議会、
村・面にセマウル推進委員会、
村単位に里・洞開発委員会を構成し、
セマウル閣僚会議、セマウル秘書官制度などに見られるように、
それこそ「強力な」政府の意志であった。
鄭長官は「政府の強力な意志」に住民と村指導者の参加も付け加えた。
鄭長官は「初期に現れた住民の拒絶と非協力は、
セマウル指導者の献身的役割、教育と啓蒙活動、成功事例の共有などで次第に組織化され、
自発的な参加を引き出した」とし
「政府主導で触発されたが、上向き的な地域社会開発モデルとして発展することができた」と自賛した。
それと共に「セマウル運動の相当部分は朴正煕大統領の頭の中にあった。
セマウル運動の歌まで直接作詞・作曲したほど。
多くのメモからもそうした情熱が分かる。
他の国では誰が主導的にセマウル運動の中心的役割を果たすのか」と尋ねることもした。
二番目の問題提起をした金寛容(キム・グァニョン)慶北道知事も、
住民の自発的参加には朴正煕大統領の努力があったと強調した。
▲金寛容慶北道知事[出処:ニュースミン]
金道知事は「一つ注目すべきことは、
セマウル運動がすべての問題を解決したとは言えないことだ。
政府、現場の指導者などが共に統合的な姿勢で成果をあげ始めた。
時代別に見れば、初めから成功したわけではない」とし
「それは朴正煕という偉大な指導者が直接現場を回り、農民と対話した。
農民がそうしたことに感動し、下部組織が動いたと考える」と話した。
続いて「セマウル運動は村の清掃、台所改造から出発した。
特にセマウル精神と下部組織がしっかり整備され、
上からは大統領から地方政府までが実践して評価するシステムがあった。
単なる貧困克服を越え、共同体の繁栄を夢見た」とし
「こうしたセマウル運動は、下からの実践運動だ。
主人公は政府ではなく住民だ。
いつ、どこででもできる運動だ」と話した。
朴正煕大統領の「強力な推進」ははっきり説明できるが、
住民の自発的な参加はどのようにして形成されたのか、具体的な事例の説明はない。
住民の自発的な参加があったと強調したかったのだろうが、大会の主催側は抽象的な説明で一貫した。
[出処:ニュースミン]
25日午後2時30分に開かれた本大会の総合セッションで、
セマウル運動中央会のチョ・ミョンス事務総長は、
各国の事例共有ワークショップで討論した内容を発表した。
チョ事務総長は
「全員が同意したセマウル運動の成功の理由は、
韓国政府の下降式リーダーシップと共同体の村単位のボトムアップ式リーダーシップのすばらしい結合があったという点だ。
こうした下降式の方式については多様な研究結果があったが、
どうして住民の参加を引き出せたのかについての研究は不足していることが分かる」と評価した。
セマウル運動の研究が
朴正煕大統領の成果に合わせてなされたことを自ら認めたわけだ。
外信記者の質問に「なせばなる」、「住民自発的参加」で一貫
農村減少問題、画一的思考の強要などの問題に対する悩みなく
今回の大会では、コロンビア大学のジェフリー・サックス(Jeffrey Sachs)教授が基調講演をした。
ジェフリー・サックス教授は国連の持続可能な目標(SDGs)を達成するためにセマウル運動の動力に注目した。
「セマウル運動は持続可能な開発目標のための強力な解決策になることができます。
特に村に重点を置き、共同体の基盤を開発するという点がそうです。
共同体精神や社会的資本を利用して、共同体基盤投資・発展を通じて成功するのです」。
[出処:ニュースミン]
これについて行政自治部は「今回の大会の成果」という総合ブリーフィング資料で
「ジェフリー・サックス教授が国際社会の貧困を退治し、持続可能な発展を実現する意味で
韓国の『Can do』精神と『セマウル運動』に注目しようと言及し、
今後、国際社会でセマウル運動の役割がさらに大きくなるだろう」と期待した。
続いて「大韓民国は地域別、国家別の多様な開発環境に普遍的に適用可能な実践戦略としてのセマウル運動を体系的に理論化する一方、
国際社会の持続可能な発展のために、セマウル運動の成功要因を基礎として多様な国際開発協力事業を展開していきたい」と明らかにした。
セマウル運動を試みる開発途上国は、こうした期待の中でも心配もあった。
25日午後4時30分に開かれた記者懇談会では、
外信記者の憂慮を強く含む質問が殺到した。
パキスタンから来たある記者は
「開発途上国でこうした開発が行われる時、
農村が減少する問題などがある。
農村地域での持続可能な開発をどのようにして担保できるのか」と尋ねた。
セマウル運動中央会のチョ・ミョンス事務総長は「持続可能な開発」に焦点をおいて答えた。
チョ事務総長は「誰か金も能力もある外部の人が助けてくれることと、
自分たちが意思を持って決めるのとは全く違う結果をもたらす。
セマウル運動支援事業が終了しても、自ら事業を続けることができる」と答えた。
実際に1968年に韓国人口の51.6%を占めていた農村人口は、
1979年には全人口の31.1%に減った。
これについての説明はなかった。
▲チョ・ミョンス セマウル運動中央会事務総長[出処:ニュースミン]
ルワンダのある記者は
「どのようにして成功的に同じ精神を実行できたのか気になる」と尋ねた。
勤勉、自助、協同の精神を画一的に強制することは、独裁国家なければ不可能だからだ。
チョ事務総長は「貧困から抜け出そうという意志が一番重要だ」とし
「セマウル運動をしようとするすべての村が成功するわけではない。
立派な指導者がいて、肯定的に未来を思考すれば、良い事例と共に成功的な結果があるだろう」と話した。
行政自治部のキム・ソンニョル地方行政室長も合いの手を入れた。
キム室長は「初期に朴正煕大統領が(セマウル運動を)主張したが、それこそ大統領のリーダーシップだった。
立派なセマウル指導者があちこちから出てきた。
その次に政府が教育し、うまくいっている村にはさらに多くの恩恵を与えた」とし
「政府が渡した金と物資をどう効果的に使うのか、自分たちで議論し始めた。
勤勉、自助、協同の価値は、時代と国を問わず必ず作動できる」と話した。
ウガンダから来たある記者は
「セマウル運動では協同が一つの重要な要素だ。
東アジアの国家では、精神的に協同が刻印されているが、アフリカの国家の場合は部族が競争する伝統的な関係があるのだが、
どうすれば協同精神を育てられるだろうか」と尋ねた。
これについてチョ事務総長は
「文化的な差異は明らかにありえる。
セマウル運動の主要原則がそうだということで、他の国家にそのまま適用しようというのではない」とし
「互いに豊かになるためには協力しか生きる道がないことを見せ、
成功事例を見せなければならない」と答えた。
外信記者の憂慮に対する韓国主催側の回答は「指導者リーダーシップ」、「なせばなる」しかなかった。
なせばなるという信頼さえあれば可能だという論理の根拠はない。
各国の貧困状況に対する具体的な分析なく、ただ「精神の勝利」を要求した。
▲大会場に展示された大型農機具で作ったロボット[出処:ニュースミン]
あるルワンダの記者は
「ここに展示された農機具の費用を問い合わせたが、高かった。
われわれは財政的な限界もあるのに、どうすればいいのか」と尋ねた。
韓国のセマウル運動でも、ルワンダの記者が憂慮した問題が発生していた。
農村環境改善事業は明確な成果があったが、農民の経済的な事情は良くならなかった。
1970〜80年の間の農家一戸あたりの所得は26万ウォンから270万ウォンへと10.5倍増加したが、
農家の負債は1万6千ウォンから34万ウォンへと21倍も増加した。
「農村近代化」のために農機具、農薬、肥料などを買わなければならなかったからだ。
セマウル運動の成果は誇示しつつ、その問題についての分析は、今回の大会では見つけられなかった。
成果だけを見てセマウル運動を行う開発途上国では、韓国での問題を同じように繰り返すほかはない。
本当に世界の貧困退治のための大会なのか、朴正煕大統領称賛大会なのか、疑うほかはない理由だ。
セマウル運動は自助(self-help)する国民作り
「全宇宙論」の最初はセマウル運動…?
セマウル運動の功についてはすでに無数の研究と論争があった。
それでも「過」の評価なく「功」だけを強調する今回の大会は、
またその問題を考えさせる。
1973年の朴正煕大統領の発言でもわかるように、
セマウル運動は当時朴正煕大統領が進めた重化学工業育成政策の一環だった。
「韓国の農民が豊かになったため、
いわゆる農村購買力がそれだけより大きくなり、
工業が発展できるのです」。
農村の購買力を上げ、工業を発展させる一方、
ますます開く労農間の所得格差による農民の不満を鎮める意図だったという評価もある。
今回の大会でも何度も強調されたように、セマウル運動が強要した核心は「なせばなる」、
つまり「自助」の精神だ。
当時、毎月発行されていた雑誌「月刊セマウル」はあらゆる成功事例をのせ、
これを強調した。
セマウル運動は国家がするべきことを国民に押し付けるだけでなく、その責任まで押し付ける。
ウガンダから来たカヨンゴ(KAYONGO Busuulwa)氏が話した住民たちの反発は、あるいは当然だ。
すぐ目に見える成果で反発は緩んだが、その成果は結局国家の役割と責任を国民に押し付ける結果だったのかも知れない。
原文(チャムセサン)
翻訳/文責:安田(ゆ)
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Created on 2015-12-01 10:59:59 / Last modified on 2015-12-01 11:00:01 Copyright:
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