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火が消えた工場見下ろして高空籠城1年、春はきたのか

[インタビュー]チャ・ガンホ スターケミカル解復闘代表、最長期の煙突高空籠城

ユン・ジヨン記者 2015.05.22 18:26

彼とのインタビューは容易ではなかった。 紆余曲折の末、彼とのインタビューが実現した。 電話機の向こうで吹く激しい風の音が、何度も彼の声をかき消した。 45メートルの煙突の上で1年。 365日間、空の下で生きてきたスターケミカル解雇者復職闘争委員会のチャ・ガンホ代表との一時間ほどの電話インタビューが始まった。

[出処:ニュースミン資料写真]

「少しは眠れましたか?」 煙突座り込みの初期数か月間は、不便な寝床と遅い時間のためにかなり苦労した彼だった。 幸い、最近は計画とおりに煙突生活を続けていくことに適応したようだった。 体調を尋ねたところ「体調は完全ではないが、その代わりに規則的に運動をしようとしている」という返事だった。 一日二回、二時間にかけて丹念に運動をしているという。 煙突座込場で早歩きし、腕立て伏せ、足踏みランニング、屈伸、縄跳びまで。 「とても体力が落ちているので、これ以上体力を落とさないように運動をしています。 今まで足が痛んで1回か2回運動を欠かしたほかは、きちんと運動をしています」

一度計画が外れ始めると、手のつけようもなく生活が崩れる。 一人で毎日を粘っていると、自分を統制して規制することが一番重要だ。 それでも人なので息抜きも必要だ。 「三、四か月前からは日曜だけは時刻表のない自由時間を自分に与えています。 それでいつも日曜がとても待ちどおしい」。 そこそこ丈夫であまり風邪も引かない体質のおかげで、厳しい寒波の中でも何とか一度も風邪を引かずに冬を耐えた。 だが肉体的な苦痛ほどに耐え難いのは、精神的な苦痛だ。 1年間、ひとりで、火が消えた職場が見下ろせる煙突の上で耐えるなど、可能なことであろうか。

最近、労働者たちの立て続けの死にぶつかった時、一番最初に思い出した人がチャ・ガンホ代表であった。 ポスコ社内下請労働者ヤン・ウゴン烈士が5月10日に命を絶った場所は、 生前に自分をあれほど困らせたポスコ光陽製鉄所が見下ろせる公園だった。 そして、チャ・ガンホ代表も20年の青春を捧げた工場が見下ろせる空の下にいる。 20年間、彼が使っていた工場の機械は稼動を止めて久しい。 火が消えた工場のどす黒い姿を毎日見下ろさなければならない心境は、どれほどつらいだろうか。 「機械の点検もしました。 それで工場には行かなかった所はありません。 労組活動をしながらも、仕事をしながらも、工場の隅々まで歩き回りました。 工場を見下ろしながら、私が触ったあの機械は今頃どうなっているのか、そんな思いがあります。 同僚たちと泣いて笑った思い出もたくさんあります。 そしてはやく工場にあかりがついて、また追い出された労働者たちと働きたいととても思います」。

チャ・ガンホ代表も相次ぐ労働者の死の便りを伝え聞いている。 胸がつぶれるようだった。つらくくるしかった。 なおさら歯をくいしばった。耐え忍ぶことが一番重要だった。 「5月に入ってきて、労働者たちの急報がずっと聞こえてくるたびにとてもつらかった。 労働者で、生活が苦しいことは知らなくはなかったが、労働者たちの死はそれ自体がもうひとつの苦痛でした。 ハイディス支会のペ・ジェヒョン前支会長の場合、2007年の闘争の時にハイディスの中で1泊2日の闘争を一緒にしたことがありました。 その時は労組の副支会長だったか... (消息を聞いて)もっと頑張らなければと考えました。 今も亡くなった二人の恨みを晴らすためには、世の中を変えなければと自らを慰労しながら耐えています」

勝利した労働組合に「労労対立」を誘発した会社...残った11人の頑丈な戦い

5月26日。チャ・ガンホ代表がスターケミカル工場の中の煙突に上がって1年になる。 1年の高空籠城闘争は、この20年間のスターケミカル闘争の歴史を守ることでもあった。 スターケミカルの前身である韓国合繊は、 2006年に経営上の理由で大規模整理解雇を強行した。 労働組合は闘争に立ち上がり、結局「整理解雇撤回」という勝利を勝ち取った。

だが2007年、韓国合繊は破産を宣言して工場から離れた。 また労働組合の闘争が始まった。 長い工場死守闘争の末に2010年、スターケミカルが韓国合繊を買収した。 労働組合は新しい使用主から労働組合と雇用、団体協約の継承を約束された。 だが会社は約束を守らなかった。 安く工場を買収したスターケミカルは、非正規職工場を作るために構造調整を断行した。 労働組合の反対にあたると、一方的に工場稼動を中断した。 そして2013年1月、キム・セグォン代表理事は一方的に清算を宣言した。

会社は巧妙だった。 過去に労働組合が勝利した歴史を会社は知らないはずがなかった。 それなら労働組合を破壊しなければならなかった。 一番良い方法は、労労対立を誘発することだった。 「会社が労労対立を誘発し、労働者たちを追い出しました。 一方的な工場稼動の後で勧告辞職を書かせました。 2月4日作成された(清算関連労-使)合意書には、勧告辞職を書いた人は工場が再稼働した時に雇用するという内容が入っていました」。 労組の執行部は組合員たちの自発的退職と勧告辞表の作成を勧めた。 組合員168人のうち139人が勧告辞表を書いた。 29人は解雇された。 だが昨年5月26日、解雇者の一部が会社から慰労金を受けて離脱した。 その日からチャ・ガンホ代表の高空籠城が始まった。

スターケミカル事態は、資本の「食い逃げ」の問題だった。 親会社のスターフレックスがスターケミカルに投資した金の使い道も不明だったし、 不当なインサイダー取り引きの疑惑もあった。 スターケミカルは赤字に苦しんでいたが、スターフレックスは莫大な営業利益をあげた。 そして一方的に工場清算を宣言した。 資本の食い逃げ問題は、ブラックホールのようだった。 あちこちで食い逃げ問題が飛び出すが、誰もブレーキをかけられなかった。 労働者たちは長期闘争に突入するが、疲れて辞めていくのが常であった。

ヴァレオ空調、双竜車、ハイディスなどもそうだった。 労働者たちは長期闘争に立ち上がるか、長期闘争に疲れて離れなければならなかった。 「資本の食い逃げで一番重要なことは、正確な資料です。 企業内部の財務財表から契約書、あらゆる文書などの資料がなければなりません。 しかし資本はこうした資料を一方的に処理してしまいます。 労働者たちには手がつけられません。 政治がこれを防ぎ、法的な規制を作らなければならないのに、 労働者の政治勢力化が失敗して、対応は容易でなくなりました」

妻が初めて「はやく降りてきてほしい」と話した

火が消えた工場の煙突で闘争をしているが、会社はこれも認めなかった。 会社は煙突座り込みと工場テント座り込みを理由に業務妨害仮処分申請を出した。 解復闘11人が一日100万ウォンの罰金を払えということだ。 これに大邱地方裁判所金泉支院は3月30日、解復闘組合員1人当り一日50万ウォンを会社に支払えと判決した。 これまで3億6千万ウォンを超える罰金が累積している。

[出処:ニュースミン資料写真]

遠くから夫と息子をながめていなければならない妻と両親の心配も並大抵ではない。 家族の話をする時は、チャ・ガンホ代表の声が沈む。 1996年、38日間のストライキ闘争の時、弁当を包んで彼を応援した恋人が今は妻になっている。 妻はチャ・ガンホ代表の労働組合活動を黙黙と応援し、支援した。 昨年も妻に「座り込みに入るから、当分家には帰れない」という話を残して煙突に上がった。 いつも彼を支持していた妻だが、最近になって少し苦しそうだという。

「妻は私が座り込みをすることにも反対しませんでした。 しかし煙突座り込み1年になるので... こないだの日曜には電話で『いつ降りてくるの? はやく降りてきてほしい』と話しました。 それでとてもつらかったです。 電話しながら、ちょっと泣いたりもしました。 私が『今からでも降りることを望むのなら降りて行ける。 だが降りて行ってもずっと闘争を続けなければならず、そうなるとさらに長期化して難しくなるのは自明だ。 それでも降りて行くか、あるいは上で頑張って闘争を率いる方が良いか』といいました。 家内は私の性格を知っているから、悩んでいるようでした。 火曜にしぶしぶ煙突座り込みを承諾しました。 気持ちが一層楽になりました」

両親は煙突座り込みを始めた時から『はやく降りてこい』と叱り飛ばした。 その上、3月12日に両親が交通事故に遭ったという知らせも聞いた。 肋骨が折れて膓から出血し、手首も折れて集中治療室に入院したという知らせだった。 峠は越えたが心から石の塊がなくならない。 痛い両親のそばに行くこともできないまま、父母の日をむかえた。 以前には休暇を出しても父母の日には必ず両親と時間を送る孝行息子だったので、 両親の願望も並大抵ではなかった。 「初めは叱り飛ばしたお父さんが、最近は『うん健康でいろ』と言うのですが、 実はその気持ちのほうが痛いです」

長く遅い闘争だが、止めることはできない。 11人によるスターケミカル解復闘は、まだ労働組合を放棄していない。 一番苦しかった時、煙突にやってきた希望バスも強い力になった。 彼は希望バスで座込場にきた千人程度の人々を見て、安堵感を感じたという。 一人ではない、この仲間たちを信じて座り込みを続けても大丈夫だ、そんな思いに心が暖かくなった。 特にチャ・ガンホ代表は、解復闘の仲間たちの話をしながら笑う。 今はあえなくても心でつながっているという。 解復闘の仲間たちは、食事のたびに読心術を働かせるようだった。

チャ・ガンホ代表は「降りたら一番食べたいのは何か」という質問に 「何もない」と答えた。 「仲間たちが下から食べ物を上げてくれるが、 もう私が何が好きで、何を食べたがっていて、何を食べなければならないのか、わかっています。 あえて話さなくても『あれが食べたい』と思うと、その食べ物が上がってきました。 もやしビビンバが食べたい日には、本当にその食べ物が上がってきます。 言葉や表現をしないのに」。 そのうち突然『食べたい物』があるといった。 妻が煮てくれるキムチチゲ。 そして一人ではなく、多数が囲んで座る食事。 1年間、毎日一人でご飯を食べるので、一人で食べる飯にうんざりしているようだ。

高空籠城1年をむかえる5月26日午後2時、 慶北道漆谷郡亀尾の国家産団高空籠城場の前で 「煙突座り込み1年決意大会および文化祭」が開かれる。 一日前の25日には同じ場所で「食べ物連帯の日」を開く。 毎日ひとりでご飯を食べるチャ・ガンホ代表と、遠くからでも一緒に食べ物を分けあう機会だ。 6月12日にはソウル市の龍山区にある酒屋シュムで 「スターケミカル解復闘闘争基金用意後援酒屋」も開かれる。 高空籠城の悲しい新記録をたてているチャ・ガンホ代表と、解復闘組合員たちを応援するための席だ。

最後にチャ・ガンホ代表に「心配している組合員たちと市民らに一言」を要請した。 「スターケミカル事態の解決のために煙突に上がってきました。 いっぱい知らせて組織してください。 そして皆さんの持ち場で資本の弾圧に勝ち抜いて、労働者の価値を実現する時、 スターケミカル食い逃げを解決できます。 平等な社会のために一緒に行きましょう」

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2015-05-24 02:14:38 / Last modified on 2015-05-24 02:14:40 Copyright: Default

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