本文の先頭へ
LNJ Logo 韓国:アジア民衆の抵抗と左派「理念なき怒り...理論的な革新が必要」
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
News Item 1425258003171St...
Status: published
View


アジア民衆の抵抗と左派「理念なき怒り...理論的な革新が必要」

聖公会大東アジア研究所国際ワークショップ「アジア社会主義ワークショップ:香港/台湾」

チョン・ウニ記者 2015.03.01 11:03

植民と冷戦の経験を共有する香港と台湾の歴史的で現実的な矛盾に対し 「社会主義」という批判的思想と運動を媒介として理解する場が設けられた。 参加者らは香港と台湾の左派の屈折と怒りはあってもイデオロギーがない抵抗に注目し、 アジアの歴史と現実に基づく理論革新の必要性に共感した。

2月27日に聖公会大で開かれた東アジア研究所国際ワークショップ 「アジア社会主義ワークショップ:香港/台湾」の最初の発表者になった 香港教育学院の呂大楽講座教授は、清国末期から香港左派の発展を制約してきた要因としてこうした認識の端緒を提供した。

呂教授は、阿片戦争後の1842年、香港は英国になったが、 中国大陸の政治とは分離できないため左右を整理することに困難な面があるとし、 香港の特殊性を論じた。 例えば、1920年、30年代に香港で発生したゼネスト、一連の労働運動は、 中国の政治と密接な関連があり、 1945年以後の共産党と国民党間の内戦と1989年の天安門事態もそれぞれ香港に深い影響を与えたという。 英国植民政府はこれをすべて認めたが、それにより平衡と安定を保てたからだ。

呂大楽教授によれば、こうした香港での左右は、中国共産党と近ければ左派、国民党と近ければ右派と呼ばれた。 こうした香港の左右は、1949-1970年中盤まで、固有の教育制度と企業、銀行などを運営しつつ大衆を抱き込むそれぞれのしくみを運営し、陣営を再生産した。

ここでの香港の左派は毛沢東思想に基づき、相対的に進歩の文化を構成し、労働者階級を団結させようとした。 香港の左派は60年代、親中共勢力の大規模運動、労働者ストライキを主導し、 これは資本主義批判へと発展した。 全体的に中国大陸の革命勢力に影響を受けたもので、さらに強い反英国的傾向を見せた。 しかし左派の視点では、香港の機能は長期的に中国の輸出、外貨所得の窓口であり、 ソ連の修正主義、米国の帝国主義に反対するアジア的活動の土台であった。 そのため香港の左派は植民政府を転覆するのではなく、長期的に利用する愛国戦略を選んだ。 そのためにストライキをしても、最後の状況では安定を維持したという。

しかし70年代以後の左派は左派的ではない状況へと展開したと呂教授は指摘した。 このような中で、60年代から学生運動、70年代の地域運動、反撤去運動、新しい労働運動は既存の左右から独立した運動として発展した。 左派は愛国を左派の任務と見たが、独立左派は中国と資本主義をどう見るのかという問題を提起した。

香港の左派は結局、80年代初めの中英対話の過程で政治的な妥協を受け入れた。 当時からイデオロギーに関する討論は完全に死滅し、新しい保守主義が出現した。 雨傘運動を契機として展開されたさまざまな討論も、この時の枠組みから抜け出せないという。

呂大楽教授が香港左派の右翼化の過程に対して話したのに対し、 台湾唱和師範大学の徐秀慧副教授は台湾左派の性格に対して提起した。

徐秀慧副教授は「戦後台湾左派の思想の系譜と抗日世代の左右派思想伝承を共に論じる」という題名で、 戦後台湾の左派思想全体が必ずしも日帝強制支配期の左派の伝統を継承しているのではなく、 個人の信念とイデオロギー的選択の結果に近いと指摘した。

世界経済危機以後の大衆運動、20世紀的政党の死滅

台湾世新大学の陳信行副教授はこうした左派の屈折をさらにグローバルな脈絡で接近した。 陳副教授は2008年以後のグローバル経済危機は1929年大恐慌と似ていると前提にし、 1930年代、人々は当時のグローバル社会主義運動を始めたが、 現在は大衆抵抗運動が起きても社会主義的な視野はほとんど現れていないと見た。 その代わりに台湾の場合、1980年代以来、各種の民主論理の中で、彼が「プチブルの正義観」と呼ぶ「主体性」という語彙が核心的に登場したという。

問題は現在の学生運動の特徴は、多くの熱情的で持続的な献身性と比べ、 運動組織は緩く、運動の論理は薄いことだと彼は提起した。 台湾の80年代の学生運動では、組織に対する「主体性」の譲渡がなされ、 政党政治と代議民主主義は公共のものと見なされたが、 現在の政党政治嫌悪の情緒の中ではどの政党や政党類似の組織も、多くの自発的参加者や大衆を動かすように指導することができないということだ。

陳副教授は、2008年以後に世界各国で起きた抵抗の潮流を汪暉が代議民主制への問題提起だと定義したという点を上げて、 オキュパイ・ウォールストリート、アラブの春をはじめ、ウクライナのマイダン運動と最近の雨傘運動まで、 こうした大規模な抵抗は具体的なスローガンも違い、その後遺症も違うが、 同じことは彼らが運動の触発者、指導部、または政治集中の焦点として、 20世紀的意味の政党を持たないことだとした。 左翼であれ右翼であれ、または自由派であれ社会主義であれ同じだということだ。 台湾の場合、ひまわり運動の後に昨年末の地方選挙で国民党が大敗し、 2016年に民進党が再執権するかもしれないが、大衆はまた街に出てくる可能性もあるというのが陳教授の見解だ。

しかし陳教授はここでの肯定的な面は「政府が無能だ」という叱正の中で、 台湾の財閥らが本当の統治集団であるという事実がますます明確になっている点だとし、 運動の最も重要な任務は労働者階級の運命的な連帯を強調することで、 「問題は資本主義」だという点を浮上させることだと見た。

陳教授は特に、1848年以前のヨーロッパの状況と似てきている現在、 当初社会主義は資本主義に対する認識と批判から来たものだったとし、 その意味で2010年代は相変らず思想的に貧しいというよりも、 むしろ豊富な時期だと強調した。

「怒れる人はいてもイデオロギーはない」

「新自由主義とアジア社会主義」を論じた最後のセッションでは、 理論革新のための糸口を解いていった。

香港教育学院の呂大楽講座教授はアジアで社会主義を思考するのであれば、 アジアの特殊性を考慮しなければならず、 ヨーロッパの社会主義思潮、伝統マルキシズム、ユーロコミュニズムなどは各自の方式で19世紀の問題について互いに回答を提示しようとしていたという点を強調した。 この点で、彼は帝国主義の影響、民族解放、現代国家形成の問題、中国と共産党をアジアが共有する話題だと見た。 彼の視点では、現在、アジアには怒れる人々はいてもイデオロギーはないとし、 体制自体をひっくり返す力量の不在が、韓国、香港そして台湾の左派が直面している共通の現実だと見た。

聖公会大のチャン・ヨンソク教授は社会主義という概念がとても曖昧になったとし、 事実上、道徳的な水準に低下したと診断した。 結局、理論の次元でマルクス主義に戻っても、 アジア各国の左派陣営が深く掘り下げて理論を革新する作業が必要となる一方、 中国式の毛沢東主義の官僚主義が直面する問題を制度的・実践的に克服する問題が重要だと見た。

東アジア研究所のペク・ウォンダム所長は、新自由主義蓄積構造を変えるには、 私たちが持つ物的土台が何であって、いかに動力を形成するかが重要だと指摘した。 彼はこの点で、金融に抱き込まれ、労働が柔軟化している現在、 新しい政治が起きる場所は「グローバルシティ」、都市だが、 この都市化は第1世界だけでなく第3世界が最も強いとし、 いかに抵抗の動力を形成するかという問題が残ると話した。

この日の国際ワークショップでは「香港/台湾青年左翼の理論と実践」等も議論された。 ヨン・グァンソク研究員の企画と通訳で進められた今回のワークショップに続き、 聖公会大東アジア研究所は10月にローザルクセンブルグ財団と共に 「アジア社会主義とヨーロッパ社会主義ワークショップ」を開き、 この時までに何回かのワークショップを通じて議論を深める計画だ。 議論された内容は書籍でも発行される。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2015-03-02 10:00:03 / Last modified on 2015-03-02 10:00:04 Copyright: Default

関連記事キーワード



世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ
このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について