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韓国:世界一流グローバル企業、サムスンの言い訳 | ||||||
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世界一流グローバル企業、サムスンの言い訳[寄稿]サムスン半導体三人目の多発性硬化症被害者の話
ヒジョン(執筆労働者) 2012.11.19 10:40
さて、ソジョンさん(仮名)をどう紹介すればいいのだろう。パノルリムに情報 提供された多発性硬化症患者の中で、一番深刻な症状を見せる人と紹介すれば 良いのだろうか。あるいはサムスン半導体器興工場2003年入社者だと紹介すれ ばいいのだろうか。どれも違うような気がするので、彼女に自分について話し てくれといった。彼女は「私の話ですか? 特に違うことはないけど...」と言った。 彼女の話は特に違うものではない。家が貧しく、大学を諦めなければならなかっ た賢い女の子。自分の力で学費を稼ぎ、大学に行った時には重い病気になって いた。ドラマや小説でしばしば扱われて、あまりにしばしば扱われて、当事者 が味わう痛みもまた明らかになるような話であった。
[出処:チャムセサン資料写真] 私の話ですか?「私の話ですか? 私はただ貧しくて、中学1年の時に家が破産しました。その時 から学費がちょっと払えなくなって。制服をもらって着て、後で先生が事情を 知って奨学金をくれました。高等学校は全校で10位、5位、そんな形で奨学金を 受けて行けることになりました。問題集みたいなものは、先生が教師用問題集 をくれて、よく配慮してくれました。私は理工科を出ました。理工科の中では 私だけ大学に行けませんでした」。 某大学の生命工学科に合格したが、両親は大学に行くことに反対した。登録金 もなかった。結局、入学登録ができなかった。しかし意に反して諦めたくなかっ た彼女は、自分で学費を稼いで大学に行くことにした。 「サムスン半導体に推薦制があるそうだというので、知っている人の推薦で入 りました。その時は170:1だったか、競争率がそうでした」。 彼女はあくせく働いた。登録金を貯めることしか考えなかった。寄宿舎生活と 言っても、1か月で5万ウォンしか使わずに粘った。二十歳だった。同期を見て、 洋服も、化粧品も欲しかったでしょうが、そのたびに諦めた大学のことを考え た。ここで勉強しなければ、私の人生はここから抜け出せない。皆のように、 彼女ももっとよく暮らし、もっと良い生活を送りたかった。それで大学に行き たかった。 「高等学校まで塾に通ったことは一度もありません。学校も、いつも歩いて。 運動靴が古くなっても買えないから、長く履いて、靴の底がなくなっています。 雨が降る日が嫌でした。雨が降れば運動靴がぬれてにおうでしょう。その時、 勉強ができなければならないと思いました。学校でいわゆる不良の子たちが、 臭いとかいいたくても、私はよく勉強ができたので、何もできなかったんです よ」。 勉強は好きだった。私がみたソジョン氏は、勉強できないことに我慢できない といった。自分の発展への欲求が強い人だった。しかし一気に体が弱くなった 今、英語単語をいくつか覚えたら首の下に発疹ができたとし、彼女はフフッと 笑った。勉強どころか、日常生活ができる境遇ではない。 多発性硬化症3人目の被害者イ・ソジョンパノルリムがサムスン電子半導体で働いて病気になった人から情報提供を受け 始めて5年、情報提供をしてきた多発性硬化症患者はソジョン氏を含み、3人だ。 多発性硬化症は、神経系統に障害が起きる病気だ。目、腕、脚、脳、どこにでも 障害が発生し、再発が続く可能性も高い病気だ。 初めは視神経、次は脳、そして足に異常が起きた。車椅子の世話になるように なった彼女は慎重に話した。それでも前は歩けたが、病気が足に来てからは、 絶望的だ。4年前に突然倒れた後、彼女は少し疲れただけでも痛みと失神を 味わう。痛みで目が覚めて夜を明かし、彼女はまた再発すればどうしようと 考える。 初めて症状が出たのは2005年の春だった。退社をするとすぐ目に異常がきた。 どんどん視力が下がった。腰も痛く、からだのあちこちがおかしかった。近く の病院に行くと、医師は大きな病院に行けと言う。そして数年間、検査ばかり 受けて暮らした。そんな2008年の夏、足と腕から力が抜けた。何日か後に顔面 マヒがきた。応急室に行くと、その時、始めて病気が明らかになった。多発性 硬化症。あまり聞かないこの疾患は、病名を明らかにするだけで数年がかかっ たりした。 からだに異常があっても知らずに一生懸命働くだけ20歳、自分のからだに異常が起きたことも知らずに一生懸命働いた。2003年、 高等学校の卒業式を前にして入ったのはサムスン半導体生産技術開発ライン。 開発ラインとは、販売用ウェハー(半導体)を作る工程ではなく、新技術を開発 するための研究ラインだ。開発ラインは頻繁に実験用ウェハーを作らなければ ならないので、半導体の生産工程ほとんどが小規模だ。 小規模だから、ほとんどが手動機械だ。受動機械とは文字通りの人手がさらに かかる機械、さらに古い機械だ。だから自動設備より化学物質への接触がさら に多くならざるをえない。実験という特性上、さまざまな作業工程を同時に扱 うため、接触する化学物質種類も多様だった。 主に彼女が働いいていたのはフォトラインだったが、ここは半導体工程の中で も最も有機溶剤の使用が多いといわれるラインだ。フォトラインで働き、ソジョ ン氏と同僚はPR(感光溶液)を一日16本程交換した。だが2009年、ソウル大産学 協力団がサムスン半導体工場を調べた結果、フォトラインで使われるPR溶液から 1級発ガン物質のベンゼンが検出された。 (勤労福祉公団が明らかにしておいたソヨン氏の業務は次の通り。2003年2月か ら2004年初めまでは主業務としてCMP工程とClean工程を担当し、補助業務とし てはCVDとEtchingを担当した。2004年初めから2005年初めに退社するまで、主 業務でPhoto工程で働き、補助業務で全工程の検査業務(SAM、SCOPE)をしていた。 露出可能な有害因子としてスロリ溶液(シリカ、アンモニア数)、感光溶液(PR、 solvent-based polymer)、シンナー、ふっ化水素、硫酸などがあった。) その上、新技術のために名も知らない各種有機溶剤が使われたという。しかし それぞれの有機溶剤に合った保護装具や装置は与えられたのか、入社1-2年目の オペレーター(生産職職員)にわかるわけがない。ソジョン氏のからだはその時 から痛かった。 「1年通った頃、とても痩せて生理が不順になりました。献血もできませんでし た。献血に行くとまず検査をするでしょう。それで献血できないと、2年の間。 そのうち退社すると献血できるようになりました」。 しかし気にしていることはできなかった。その頃、暮らしに忙しかった。 体調は問題ではなかった。彼女はお金をためた。使わず、買わず、着ず、 あくせく貯めて大学の学費を用意した。 「経営大に入学したが、法大に転科したんです。明け方6時に学校に行き、図書 館から講義を聞きに行きました。自分の専攻ではなくても聞きたい講義は聴講 しました。授業が終わると9時まで図書館にいました。他の科目は成績が良かっ たのですが、英語はc+。英語は塾に通わなければいけませんからね。自尊心が 傷つきましたよ。オーストラリアに6か月の語学研修に行ってきました」。 だから彼女の望みは成就するかにみえた。したい勉強を思いきりした。応急室 に担ぎ込まれるまで。多発性硬化症という診断を受けるまでは。
[出処:チャムセサン資料写真] 「大丈夫ではありません」「大丈夫、大丈夫、でも... 人々には明るいふりをしますが... 正直言って、 大丈夫ではありません。本当にどうすればいいのかわかりません」。 何もできない身になった自分を受け入れられない。その上、病気は日々重くなる。 彼女に初めて会った日、作業環境などを聞いた。簡単な質疑応答だったが、 それも彼女には無理だった。彼女は少し疲れただけで、からだが痛んだ。 なにしろ日が曇っても痛んだ。疲れたようだが、どうしようかと聞くと、 彼女は大丈夫だといった。 「どうせ30分でも1時間でも、みなさんが帰れば私は気絶します。だから できる時にちゃんとしておく方が良いです」。 からだの痛みで眠れないという彼女。賢くて強靭だった人は今、病院で横にな り、痛くて泣くのが常になってしまった。それでも諦めを知らない性格だから、 入院しても放送通信大に登録した。しかし足に再発し、動きが自由でなくなり、 これ以上の欲を出せなかった。 「やめました。だめなことにこだわっても仕方ありません。どうせだめなら、 未練は捨てよう。最善を尽くしてもだめなら、さっぱり諦めることですね。 未練は捨てました」。 いつも堅固な精神を維持していたいが、闘病生活だけ5年間、瞬間瞬間弱くなる。 「半分は希望、半分は絶望... 今まですべてに勝ち抜いてきたのに、気持ちが ぐらつきます。今までは苦しいことがあれば、人生でたくさん苦しみを体験す るほど、その苦しみを克服する時間が減る、そう思って生きてきたのに... 病気 になってからは違うようです。たくさん苦しみを体験したのに、どんどん大きく なって、ずっと... きます」。 わずか数日前、ソジョン氏は結局憂慮していた再発を体験した。頚椎に再発が きたというのだが、運良く死なずにすんだケースだという。今は24時間、ずっと 痛む。彼女が目を開いて夜を明かしながら考えることが、一つ増えた。果たして 治療は可能なのだろうか。 多発性硬化症にもさまざまな症状がある上、彼女は特異な症状だという。それ は治療するにあたり、さらに多くの費用と努力が必要だということだ。しかし 神経系統の治療で有名な大病院は、一日の病床費用が17万ウォンだという。夢 にも見られない。小さな病院にいるだけでも毎日が負担だ。ただステロイド剤 と痛み止めの薬を飲むだけだ。行く手ははるか遠い。頑張ってみても、病気の 体でできることは多くない。小さな頃からのお金の心配は、彼女は病気にかかっ た今でもついてまわる。 理由を上げる誰かソジョン氏は自分は働いたことで病気にかかったと考えている。いくら計算し ても、その時に病気が始まったのは明らかだ。だがサムスンと勤労福祉公団の 立場としては、彼女は職業病と認められない140人(サムスン半導体で働き病気 にかかったとパノルリムに情報提供された数)の一人でしかない。 労災を判断する勤労福祉公団は今年の4月、『顧客が申請した傷病について審議 した結果、業務と災害との因果関係は認められないという判定により、やむを えず療養給与申請を不承認にしました』と知らせてきた。彼女はこれを認められず、 また労災かどうかを知らせて欲しいと再審査の申請をした。 私は彼女に聞いた。苦しくても、なぜそんなにあくせく大学に行こうとしたの かと。なぜそんなに諦めずに暮らしてきたのかと。彼女は話した。 「私はこんな状況だから、これができない。これはすることができない。そんな 言い訳がとても嫌いなのです。言い訳する人になりたくありませんでした」。 言い訳しようとせず、一生懸命に生きてきた人生が壊れた。病床に横になって 若い人生を駄目にしたのは果たして何なのかと探してみると、そこにグローバル 企業の半導体工場があった。しかし世界一流のグローバル企業は彼女が嫌いな 言い訳を何年も繰り返している。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2012-11-20 02:50:45 / Last modified on 2012-11-20 02:50:46 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ | ||||||