本文の先頭へ
LNJ Logo 韓国:永久的IMF、解体された生の時間、大宇自動車販売労働者
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
News Item 1229236743962St...
Status: published
View


永久的IMF、解体された生の時間、大宇自動車販売労働者

[寄稿-美行]正規職と非正規職の境界で労働の権利を叫ぶ

ハン・ポヒ(延世大比較文学講師)/ 2008年11月30日8時01分

『非正規職化拒否』

11月13日午後。『美行』プロジェクトに同乗するために進歩新党の党舎がある 汝矣島に行った。『メディア行動で、非正規職問題の深刻性を知らせよう』と いう趣旨には熱烈に共感するが、よく確かめるほど、この問題がどこから絡まっ たことか、どのように解いていくべきなのか、はるかに遠く感じられ、足取り は軽くない。労働者とインタビューをするなんて、口がよくまわりそうもない。 進歩新党党舎の近くで特殊任務遂行者会の超大型横断幕を見た。たった今食べ た昼飯が逆に上がってきそうで、すぐ視線をそらすが心はさらに重くなる。純 福音教会? ハンナラ党? 特殊任務遂行者会のあきれたトライアングル! そうだ、 この汝矣島をはやく出て、尾行でもしに行こう!

私が訪ねることにした闘争事業場は二つとも自動車関連業だ。一つは生産業者 (『双竜自動車』)、もう一つは販売業者(『大宇自動車販売』)だ。自動車産業 は、国内外を問わずもう10年前から飽和状態だ。深刻な競争と買収合併、常時 的な構造調整が度重なる戦場だ。今年は米国発の金融危機と石油価格不安の直 撃を受け、消費市場も凍りついている。生産と販売がさらに萎縮せざるをえな い。GM大宇が生産ラインの一部の操業を中断したというニュースがあり、GM本 社が倒産するかもしれないという驚くべき話も聞こえる。GM大宇だけの事情で はないだろう。すべての自動車産業、いやIMFの時のように、経済全体に不況が 広がりそうだ。非正規職は言うまでもなく、正規職の運命も風前の灯だ。相当 の企業が不況のトンネルの中で淘汰されるという不安が広がっている。こうし た悪条件で、少数の非正規職労組が自分たちの要求 ─とりあえず『雇用安定と 正規職化』といっておこう─ を貫徹させられるだろうか? 『タマゴで岩を砕こ うとする』ように見えるというのが率直な心情だ。ところがこの貧しい労働者 たちが、巨大資本と『資本の友人』を自任する国家権力に投げるタマゴとは何 だろうか? 他でもない自分の体と家族の生計ではないか。生存をかけた彼らの 闘争の前で、可能性があるとかないとか、みだりに喚くことはできない。

口をしっかり結んでストライキ座り込みが行われている仁川市富平区の大宇自 動車販売(大宇自販)本社に向かった。大宇自販営業職労働者たちはもう2年も会 社の不当な『待機発令』と戦っていて、またそれによる生活苦とも戦っている (待機発令状態では月給が既存賃金の半分の5〜60万ウォン程度しか支払われな いという)。30代から50代の家長たちに、生活苦とはただ『暮らしが苦しい』と いう程度の意味ではない。それは愛する家族が、当分は自分を恨むしかなく、 崩れていく姿を見守る苦痛だ。会社は職員のそんな痛みを知らないのか? 違う だろう、使用者側はそんな弱点に食い込もうとしているのかもしれない。『そ れでも頑張れるようにしよう!』この不条理な戦いにいったい何が関わっている のか? 長い話が必要だが、一言でいえば、『非正規職化拒否』だ。

[出処:美行提供]

『誰が閉じ込められていて、誰が自由なのか?』

汝矣島を出発して30分ほど車を運転すると大宇自販本社前だ。前まで行ったが、 中に入れなかった。正門の外では戦闘警察が、中では用役警備員が出入りを止 める。近寄ってみると大きな青い鉄の扉の片方は閉じられていて、もう半分は 小型トラック一台が防いで停まっている。トラックは長く放置された廃車のよ うに汚く、貨物室には用途の分からない物が乱雑に積まれていたが、目を引く のは車の汚さより車の不明瞭なポーズだった。トラックは会社を出ようとした ら正門でエンジンが止ったかのように、貨物室は会社に向かって、運転席は会 社の外に差し出されたまま停止している。どこからか飛んできて打ち込まれた 流弾のようにも見え、連座デモをして横になって寝ているように見えもする。

警察と、何か事情なのか抗議なのかわからない小競合がしばらくあった後、会 社の中で座り込みをしている大宇自販労組員と会えた。彼らは会社の外に出ら れず、われわれは会社の中に入れないのでインタビューをするには門の境界に 止められたトラックに上がらなければならなかった。トラックはそうして臨時 面会所になった。『誰が閉じ込められていて、誰が自由なのか?』大学生時代に 聞いた問いが思い出された。そういえば、トラックは会社の門をふさいでいる のではなく、『開いているもの』と言うべきかも知れない。

何を信じてあのように堂々としているのか?

[出処:美行提供]

「11月4日、使用者側は救社隊と用役チンピラ数百人を動員して私たちを強制解 散させようとしました。二人の仲間が血を流して病院に運ばれて行きました。 警察はそれを助け、用役チンピラが乱暴を働き、何日間も食べ物さえ持ってく ることができませんでした。われわれは今監禁状態も同じです。使用者側は電 気を切り、ハードディスクがなくなったと言って、とんでもないことに私たち を窃盗犯に追い立てています。夜にはロウソクを灯し、コンクリートの地面に 身をすくめて寝ますが、家族との連絡ができないのが一番苦しいです」。物静 かな語調で状況を説明するキム・ジンピル労組支会長のもじゃもじゃしたひげ が白い。短くかった頭も半白だ。小さな背丈、しっかりした体格、温和な目つ きの中年の労働者だ。しかし「われわれは使用者側の不法な不当行為に最後ま で屈しません」と話す時、彼は会社の中をうろつく青い用役チンピラすべての 若さを合わせたよりさらに若くて固く見えた。ふむ、この人たち、会社は業務 妨害で告発して、公権力は法律違反者扱いをして、世論は冷淡に沈黙して(ある 労組員の表現を借りれば)家では「悪い夫、悪いお父さん」なのに、何を信じて あのように堂々としているのか?

二つのおかしな決定

2006年秋、大宇自販は臨時株主総会を開き、おかしな決定二つを通過させる。 一つは、『DW&直営販売』という新設法人を作り、乗用車直営販売事業を移転す る。二つ目は、533人の販売営業職員を全部そこに転籍発令する。今日大宇自販 の労働者たちの無期限ストライキ座り込みはその時の火種が引いた。

大宇自販はGM大宇が作った乗用車を代わりに売る業者だ。事業多角化で建設と 金融部門も持つが、中心はまだ乗用車販売だ。およそ、資産規模1兆5千億、自 動車販売の純益だけで毎年200億前後の会社が、せいぜい資本金10億のペーパー カンパニーを作り、主力事業の乗用車販売全てを『委託』するというのだから、 一瞬理解できない。経営者がどんな戦略的な構図を持ってそうするのか、誰も 知るわけはないが、労組との何の協議もなく下されたこの決定 ─明白な団体協 約違反─ が労働者に深刻な打撃を持たらすという事実だけは明らかだった。 『DW&直営販売』になると、現在の正規職は雇用安定が保障されない非正規職 (特殊雇用職の『カーディーラー』)に変わり、あるいは大宇自販がこの法人と の関係を整理すれば所属職員全員が一刀のもとに解雇される形になる。『法人 分割は偽装された人材構造調整で、不法な労組瓦解の試み』という労働者の主 張は、会社が取ってきた経営路線 ─直営店と正規職をなくす─ から推し量っ てみると、とても説得力を持って聞こえる。労組は即刻反発し、事態は会社の 垣根を越えて法廷紛争に発展した。ところが法院の判決がとてもあい昧だった。 法人新設は合法、転籍発令は個別労働者の同意がなければ不法という要旨だ。 使用者側は解雇威嚇と圧力 ─全羅道で暮す職員を慶尚道営業所に辞令を出すと いった調子─ で半分を越える職員から新設法人に移すという『同意』を受け取っ た。大宇自販に残ったのは、200人ほどの労組員だけだった。使用者側は彼ら全 員を『待機発令』させ、労組との団体協約も一方的に解約してしまった。もう 労組と対面することはないという強い意思表現だった。労組員が全面ストライ キを宣言して座り込みに入ったのは、こうした脈絡から見ると『強要された選 択』と言える。進むことも退くこともできない所 ─ 非正規職化を拒否する労 働者が最後に立つ場は、公権力と用役チンピラに囲まれた無期限ストライキ座 り込み現場のほかはないのか?

永久のIMF体制

「大宇自販は『労組員ブラックリスト』事件など、以前から労組に敵対的な事 業場で悪名が高かったのです。人々は大宇自販を『労組破壊総合展示場』と呼 びます」。会社の正門外で焚き火をして寒さに耐える座り込み労組員の声は終 始一貫していた。大宇自販販売の営業社員は表面だけは正規職で、中身はすで にかなり前から非正規職だったということだ。いったい『非正規職化』が何で、 会社はあらゆる無理を強いてまでそれを強要し、労働者たちはさまざまな苦労 をしてそれに抵抗するのか? この話を始めると、また十年前に遡らなければな らない。

1999年、大宇グループが解体され、構造調整に入った大宇自販は、職員の半分 以上を切る大規模人員削減を断行した末、2002年ウォークアウト(workout)から 抜け出すが、その後も労働者を死地に追い遣るワーカー-アウト(worker-out)は 『効率』の美名の下で限りなく続いてきた。会社は直営店を整理して販売営業 網を代理店に渡して管理し、その間に職員の給与は基本給大成果給が『7対3』 から『3対7』に逆転した。自動車マネジャー(Car Manager)だった肩書も、販売 代行者(Sales Representative)に変わっていた。代理店という名で外注化され ることで、中間で利益を取る集団が生れ、成果給は市場競争の不安と危険をセー ルスマンの役割に押し付ける効果を持たらした。労働強度とストレスは高まっ たが、出血競争をしても収入は確実に落ちた。2006年には過労と構造調整のス トレスに苦しんだ同僚(故チェ・ドンギュ氏)が突然亡くなる姿も見なければな らなかった。会社は毎年数百億の黒字をあげたが、労働者の人生は悪化の一路 を抜け出せそうもなかった。今、労組員が本社座り込みで白旗を掲げれば、雇 用保障というみすぼらしい名目上の権利までが奪われるようになる。

[出処:美行提供]

これは大宇自販労働者だけの事情ではない。大韓民国という国はIMF危機を卒業 したのかもしれないが、この国の労働者の実状はそうでなかった。大韓民国が IMF体制を『早期卒業』したのは労働者の大半が『事実上の非正規職』という日 常的で永久的なIMF体制に耐えるという条件付きだった。

この10年間、大宇自販労組の歴史はまさにこうした過程、労働の中身を抜き出 してその場に荒涼とした廃虚と真空状態 ─その名は『非正規職』の場合もあり、 『ゴミになる生』でもある─ だけが残される傾向に対する血の涙の抵抗で綴ら れている。労組員の規模が十分一に減ったので、その戦いは見かけは敗北の下 り坂を歩いてきたように見える。だがまだ戦っているという点で、彼らは敗北 したのではない。いったい何の力で、どんな意志で、何を信じて、そんな闘い をしてきたのか、私には分からなかった。

会社:累積した生の時間

「短くて十年、長ければ二十年働いてきました。私たちの血の汗がなければ今 の大宇自販はないとはっきり言えます。この会社は私たちの暮らしであり、私 たち販売営業職員の労働の累積です。イ・ドンホ社長はこうしたものへの尊敬 心がない。私たちを使い捨ての部品程度に思っているのだろう。そうした者は 社長の資格がない」。焚き火の前で会った、かなり年を取った労働者の1人が激 しい感情を吐き出し、周辺の同僚が首を縦に振った。彼らが感じる公的な怒り の感情は、一瞬理解できるようだが、一般的な考えとは違うなじまない面を持っ ていたりもする。それは『会社とは何なのか、誰のことか』という問題への私 たちの常識的な返事と一致しない。労働者たちは『会社は株主と経営者のもの』 だということに全く共感できないようだ。彼らが会社を考える方式は、株主や 経営者が考えるのとは全く違う。労働者にとって会社は職場であり生の場所で あり累積した生の時間だが、権利上、企業の所有主である株主と経営者 ─彼ら の中には大宇自販が何の車を売るのかも知らない人もいるだろう─ に会社は利 益を出す機械以上でも以下でもない。

一生農作業をしてきた小作農は、自分が作ってきた土地に愛着を感じ、その土 地と仕事を縦横の糸として自分の生き様の時間で模様を織り出した独特の織物 を持つ。その織物は彼の人生であり、同時に世界であるから、地上のどんな権 利も自分をそこから引き離すことはできないと感じる。たとえ頭ではこれが自 分の土地ではないことを知っていてもだ。農作業をしない地主は小作農が持つ この独特の所有の観念を知らない。彼から強圧で土地を奪うことはできるだろ うが、その時に地主が奪う土地は、農夫が所有しているのと同じ土地ではない。

資本主義社会で資本家と労働者の間にも、地主と小作農と同じような重要な観 念上の、また情緒上の差異が存在するようだ。例えば労働者は金を稼ぐだめだ けに職場に来るのではない。もちろん彼らは『金だけでなければすぐ打ち壊す』 と口癖のように話し、それはまたそれなりに真実だ。だがその言葉は彼らが直 面する現実を示すもので、彼らが行う労働の真実を示すのではない。

非正規職化と戦う大宇自販労働者たちは、金と安定に命をかける人ではない。 それなら彼らはその場に、あれほど長く粘れない。事実、金と安定、つまり安 定した利益の増殖に懸命になるのは資本だ。労働者たちは自分たちが同僚とと もに暮らしてきた過去、また、生きていく未来に命をかけた人々だ。生の場所 に命を賭けた人々だ。その生は、ただ自動車を売って月給を受け取ること、つ まり『職場』という概念と一致せず、『雇用』という用語ですべてを表現する ことができないのだ。『生存権闘争』というものを最低賃金でも保証させる戦 い程度に誤解してはならない。われわれはそれを労働の中身、つまり労働する 人間が作った生活の共同体と共同体の人生を保存する戦いだと考えるべきだ。 市場経済とともに、社会という共同体そのものが崩れかかっている今、私たち がこの労働者の闘争に目を大きく開くべき理由がここにある。

会社から廃車扱いされて押し出され、自動車販売員という非正規職として投げ 出され、会社の中でもなく、外でもない境界で頑強に頑張って、正規職でも非 正規職でもない、労働の存在と権利を表わすことを決意した大宇自販労組員の 闘争は、韓国の労働者に、正規職、非正規職とは無関係に、非常に意味ある戦 いで、彼らが数年間闘って作った境界そのものが、この社会がこれから答える べき重要な問いを含蓄しているのだ。

労働者と市民の境界

『美行』が大宇自販を訪問した日の夕方、近隣地域の労働者と民労総、市民団 体の会員、民主労働党と進歩新党関係者など200人ほどが参加する『長期闘争事 業場闘争勝利のための文化祭』が開かれた。規模は小さかったが、イベントの 最後にとても感動的な場面があって忘れられない席になった。会社の外に集まっ た参席者が『仲間のみなさん、がんばってください』と叫び、中で座り込みを していた大宇自販労組員のわあわあとした応答の叫びがかすかに塀を越えて聞 こえてきた。鉄条網が張られた塀の上、11月の夜空の下で二つの叫びが一体と なったその響きに、私の前をはるかに遠く分けていた真っ黒なカーテンがぷつ んと落ちてしまったような感じがした。塀を行き来したのは、なぜ叫び声だけ だったろうか。

文化祭に参加したある非正規職労働者は、こう話した。「われわれ労働者自身 が『非正規職』という観念を打破しなければ各個撃破されます。まず非正規職 を切るように助して、正規職の未来は保障されませんね。正規職と非正規職の 区分は資本家が立てた狡猾な分離障壁でしかありません。それを受け入れた瞬 間、労働運動は滅亡に向かいます」。私はこの言葉をもっと拡張しなければと 思った。労働者と市民の境界も越えなければならない。労働しない市民がどれ ほどいるのか。ほとんどすべての市民は賃労働者だ。労働問題を自分の事とし て受けとめ、共に解決しなければ、どんな社会運動も正しい方向を定められな い。財テクで資産を増やし、その資産の障壁の中でゆっくり暮らすとような性 格が広がった社会には、本当に未来はない。

ある正規職労働者のこんな嘆きを思い出す。「数千億の黒字を出しても人件費 削減を考える人々です。本当にあきれて頭がおかしくなります」。大企業は数 年間、国内の新規投資をほとんどしていない。万一の事態に備えて、現金を積 み、金融や不動産などの投機的性格を帯びた所に群れをなして行き来するだけ、 雇用創出には無関心という話だ。企業が天命意識を持って事業を展開し、また そんな事業により社会に寄与した時代は過ぎ去った。そんなことが企業家の口 から出た嘘であも、一時は韓国社会はそんな神話のような話を純粋に信じた。 資本家たちはもはやそんな嘘もつかない。彼らは利益の創出が企業の存在理由 であり、『分配は盗み』だと堂々と話す。それにもかかわらず、人々は『企業 が生きることで私たちが生きられる』という信頼を、何か自然の法則かのよう に信奉している。毎日の生がそれを反証しているのにである。なぜか? 何千株 の株式、2億アパートしか持っていなくても『資本の運命がすなわち私の運命』 とパチンと共に信じる『資本家』がとても多いからではないか。これは純粋な のではなく、愚かなのだ。資本の運命と私たちの人生を同一視する誤りがどん な災害になって返ってくるのか、今目をとじても見え、耳をふさいでも聞こえ る状況になった。これ以上退く所がない人々は、大宇自販の労働者、キリュン 電子、コルト-コルテックの非正規職労働者たちだけではない。彼らは勝てない 戦いで生を消尽する哀れだが愚かな者ではない。これから私たちが頑張って戦 い、守るべき所に一歩先に立っている人々だ。

富平の古いトラック

フランツ・カフカが書いた「法の前で」という題の短い寓話がある。ある田舎 の男が法に何か請願しに行くが、門の前で険悪な門番に制止される。『今は入 れない。自信があるなら私をどかせて入ってみなさい。でも私の後にもまだ門 番がいて、私はその中で一番弱い門番だということを忘れないでおきなさい』。 田舎の男は待って、また待つ。歳月が流れ、息が絶えようとする瞬間、彼は門 番に問う。法に訴える人は多いだろうに、なぜ私以外はこの門の前に請願にく る者がないのかという。門番は答える。『なぜならこの門はただあなただけの ものだったからだ。もう私は行って門を閉めます』。

この寓話は法の奇妙な権威に押さえられて正しい生活の唯一の機会を握ること も出来ない田舎男子の愚かさをあざ笑うように見えたり、また入ることも退く こともできない『不可能な選択』に固着したまま限りない時間に耐えなければ ならない生の苦痛に関する話のように聞こえたりもする。だが新しい意見もあ る。この話の田舎男は実はメシアだという主張だ。

私は大宇自販の正門がとても閉じられないように開いていながら、また同時に 資本の富を象徴する会社が誰にでも開いているという愚かな幻想を遮って停め られている富平の古いトラックを思い出させる。そのトラックのように、私た ちが流れだと信じる時代の流れを全身で防ぎ、また同時に突き抜けて立ってい る労働者隊伍を考える。正規職と非正規職の境界で、かろうじて、しかし堂々 と抵抗する彼らの存在で、私たちが(あるいは彼ら自身もわからない)新しい法 と正義が開かれることを見ることができなければ、私たちの生は再び無駄な富 の欲望と、そのパートナーの反復的生活苦の間に固着したまま空しく流れてし まうだろう。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳)に従います。


Created byStaff. Created on 2008-12-14 15:39:03 / Last modified on 2008-12-14 15:39:05 Copyright: Default

関連記事キーワード



このフォルダのファイル一覧上の階層へ
このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について