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エジプト民主化と労働者政治勢力化

[闘う世界の労働者](7)エジプトの独立労組運動、民主化の主動力

労働者運動研究所 2012.05.31 17:21

5月23日〜24日にエジプトは、歴史的な初の自由大統領選挙を行った。ムスリム 兄弟団と緊密な関係がある自由公正党(Freedom and Justice Party)の候補の ムハンマド・モルシ(Mohamed Morsi)と、独立候補として立候補した、空軍将軍 で、ムバラク時期に総理だったアフマド・シャフィク(Ahmed Shafik)が それぞれ24.78%と23.66%の得票率で1位と2位を占有した。二候補は6月16日〜17日 に行われる決選で大統領職をかけて競争する。エジプト国民は、イスラム教政治 と、ムバラク時代の保守指導者のうち片方を選択することになる。

進歩候補の失敗

圧倒的に得票した二候補以外、敗北した候補についてのマスコミ報道はあまり ない。特に、労働界が支持していた4人の進歩候補への言及は殆どなかった。 弁護士で人権活動家のカリド・アリ(Khaled Ali)、進歩選挙連合の革命は継続 (Revolution Continues Alliance)の候補のアブアリズ・アルハリリ(Abu Al-Izz Al-Hariri)、ナセル主義カマーラ党(Dignity Party)の候補のハムダイニ・ サッバーヒー(Hamdeen Sabahi)と、社会主義を標榜するタジャンム党(Tagammu Party)の候補のヒシャム・アルバスタウィシ(Hisham Bastawisy)は、世論調査で 大きく出遅れ、5月23日〜24日の選挙で20%以上得票したサバヒ候補の他には 誰も2%も得票できなかったためだ。

昨年、エジプト独立労組連盟(EFITU)によって創党された民主労働党(DWP)は、 階級を基盤とする政党を禁じる現行の政党法では認められず、まったく候補を 出せなかった。昨年から始まったエジプト労働界の政治勢力化の試みは、まだ 多くの限界にぶつかっており、大きな成果を上げられない。

エジプトの民主化と労働運動

▲EIFTU所属労働者

しかしエジプトの労働者が現在進行中の民主化で、役割を果たせずにいるわけ ではない。むしろ重要な主体だといえる。2011年の1月〜2月にムバラク政権を 転覆した1.25革命で、労働者のストライキは決定的な転換点だった。2月9日か ら多様な業種(繊維、軍用品、郵便、運送、病院、行政など)に従事する公共、 民間部門の労働者、数万人が作業を中断して路上に出た。タハリール広場に集 まった国民は、こうした労働者の行動を熱烈に歓迎した。集会の参加者は政権 圧迫のためにストライキが持つ重要性を明確に認識していたからだ。ストライキの 真っ最中だった2011年2月11日にムバラクは辞任し、カイロを離れた。

大部分のストライキは、公式な労組の枠組みの外で行われた。昨年まで唯一の 労総だったエジプト労組総連盟(ETUF)とその傘下組織は、労働者の利害を代表 するよりは独裁政権と緊密な関係を維持し、労働者の闘争を統制し、弾圧する 機能をしてきた。大部分のエジプト労働者と国民がムバラクの下野を要求して も、ETUFは「人民と祖国の安全と危機だけを考える偉大な指導者、ホスニ・ ムバラク大統領の正統性を全的に支持」という立場を固守した。

1.25革命の前に始まった労組民主化運動

2月9日〜11日にストライキに入った労働者たちは、エジプト労総という公式な 体系の外で彼らを代表するストライキ委員会を構成して、その指導に従った。 こうした闘争方式は前例がないわけではない。1980年代の中盤からエジプトの 労働者たちは、ムバラクの新自由主義政策に対して闘争してきた。1984年から 1989年まで、ワシントン・コンセンサスによる政策、たとえば医療保険と年金 の賃金控除額が二倍に上昇したことに反対し、道路をふさぎ、放火したり列車 を壊すなどの極端な戦術を動員して闘ったことがある。

▲エジプト女性繊維労働者ストライキ

2004年から2009年の間に、170万人以上の労働者が1900件以上のストライキなど 争議行為に参加し、この時も2月9日〜11日のストライキと同じように自発的な ストライキ委員会が構成された。2004年から続いたストライキは、2008年4月の 繊維労働者のストライキで絶頂に達し、1.25革命で重要な役割を果たした4.6青 年運動の形成につながった。2003年の米国のイラク侵略反対大衆闘争と共に、 エジプト労働者の闘争は「エジプト社会に抵抗の文化を根付かせ」、「市民権 と権利に対する認識を形成した」と評価されている。

EFITUの結成と拡大

何年間もの労働者の行動は、民主労組運動として芽生え始めた。2007年12月、 5万5千人の地方税務員ストライキの結果、経済的要求を勝ち取っただけでなく、 不動産税務員独立労組という、エジプト労総から完全に独立した労組が初めて 結成された。そして1.25革命の初期の1月30日、独立労組と事業場委員会がエジ プト労総から独立したエジプト独立労組連盟(EFITU)の結成を発表した。EFITU の設立と独立的な発展は、エジプト民主化の核心的な軸だといえる。わずかな 小さな独立労組と非公式の労働者の会から始まったEFITUは、現在160万人の 組合員と100以上の傘下組織を包括している。

この一年間で未組織漁業労働者、貨物トラック労働者、スーパー売店労働者、 看護師と保健医療労働者、オンライン記者、陶磁器職人、採石場労働者が独立 労働組合を設立した。また数千人の労働者はETUFから脱退している。3月にバス 労働者、料金徴収労働者、運転手がETUFから脱退し、大衆交通当局労働者独立 労働組合を結成した。

この一年間の労働者の闘争も活発だった。2011年には民間部門、公共部門、非 公式部門で、200回以上のストライキが記録された。この中で教師、医師、運輸 と繊維労働者のストライキは特に重要だった。また多くの労働者大会、デモ、 ハンスト闘争、占拠闘争が続いている。このような闘争にEFITUとは違う独立労組 が主導的な役割を果たしている。

労働者の要求

▲EFITUロゴ

労働者の要求は、経済的な問題と政治体系的な問題を含む。ほとんどのストは 賃上げ、未払い賃金支給、労働安全条件改善と非正規職正規職化という要求か ら始められた。EFITUは発足の時から215ドルの最低賃金と、最高賃金を最低賃 金の10倍に制限することを要求してきた。最近、1984年から6.5ドルに留まった 最低賃金は125ドルになり、最高賃金制限(最低賃金35倍)が初めて導入された。 EFITUの要求が部分的に争奪されたが、戦いは続いている。

エジプトの独立労組はまた、民営化阻止と主要産業再国有化、ETUF解体と労組 弾圧中断を要求している。前の二つの分野で一定の成果をあげている。最近、 法廷闘争を通じ、ムバラク時代に民営化されたさまざまな企業の再国有化判決 を勝ち取った。ETUFはまだ政府の保護の下に存在しているが、非常に弱まり、 多くの労働者の信頼を失った。

労組の弾圧中断は死活的な要求だ。2011年3月に過度軍部政権が経済に悪影響を 及ぼすストライキや集会を不法化して、違反者への懲役刑と罰金を規定する法 を施行した。1.25革命の後、多くの労組活動家が裁判を受け、拘束された。 それ以上に、政府が統制する主要言論は労働運動に対する悪宣伝を強めている。 政府の弾圧と言論の攻撃は、労働運動の政党活動の試みが大きな成果をあげられ ない理由の一つだ。

組織化と労働運動強化、政治勢力化への道

エジプト労働運動の政治勢力化と選挙運動は無意味ではない。しかし労働階級 が強化される前まで、明らかな限界を持つほかはない。そのため、この時点に 政府の弾圧に対する闘争、未組織労働者の組織化と独立労組の設立と強化は、 より優先的な課題だ。この分野でエジプトの労働者たちはすでに多くの成果を あげているが、さらに発展しなければ意味ある政治勢力化は不可能だろう。し かし独立労総を建設し、御用労総に挑戦してさらに平等な経済的・社会的体系 を追求することで、すでにエジプトの民主化で中心的な役割を果たしている。

この点で、失敗した歴史を評価して、第2の労働者政治勢力化を始めようとする 韓国の労働運動は、今まさに民主労組運動が噴出し始めたエジプトから教訓を 得られるだろう。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2012-06-01 17:49:44 / Last modified on 2012-06-01 17:54:47 Copyright: Default

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