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財産権が生存権より重要だという大韓民国の司法府

[寄稿]コルトコルテック労働者と文化芸術家、われわれは負けない

イ・ソノク(記録労働者) 2013.02.04 10:56

「それがすべてだよ...」

枯れた声でコルテック支会のイ・イングン支会長が答えた。2月1日金曜朝8時頃、 富平のコルト工場で座り込みをしていたコルテック楽器解雇者4人は突然押しか けた警察と用役に手足をつかまれてた。

眠っていた時、がやがやする音で目を覚ますと、警察と用役が見えた。「引き 出せ」の一言で引き出された。裁判所の『代執行』は十分もかからなかった。 これ以上を聞くのは難しかった。一日中叫び、あたって、怒りと絶望で 疲れ果てたが、その枯れた声の一言がそのまま伝えているからだ。

解雇されて6年、富平工場で座り込みを始めて3年になる歳月、忘れた頃になる と押しかけてきた警察と用役。こうして捨てられたのは一回や二回ではないが、 今度は何も防ぐ暇もなく、ただやられてしまった。本当にそれがすべてだった。

[出処:金属労組]

「寝ていた。がやがやする音で、何が起きたのかと出てみると、用役150人程度 が突然押しかけて『執行にきた』と一言だけ言って『引き出せ』。それから私 たち4人(コルテック解雇者、イ・イングン、イム・ジェチュン、チャン・ソク チョン、キム・ギョンボン)をみんな同じように5、6人にパッと掴まれて出され た。何も話すほどの状況はない。ただつまみ出された。それがすべてだよ、も う。十分もかからなかった。それがすべてだよ...」

どんな名目の執行なのかもわからなかった。事前に戒告状のようなものもなく、 どこまで執行するのかの執行目録も分からなかった。『代執行』が認められた と推測するしかなかった。彼らの推察は正しかった。2012年、コルトのパク・ ヨンホ社長からこの工場を買ったカン某氏は、昨年も用役を動員して労働者を 追い出そうとしたが失敗した。すると、労働者が占拠しているテントと食堂を 撤去してくれと『代替執行』を申請し、仁川地方法院はこれを認めた。コルト 工場の建物は、アスベストの危険のため、安全診断の前にはみだりに撤去でき ない。その代わりに労働者が使っている建物の外のテントと簡易食堂の空間を 『執行』してくれと要請し、裁判所はこの日、用役を動員して社長の代わりに 労働者を『片づけた』のだ。不当な解雇に対し、その正当性を認めてほしいと 申請した裁判は、数年間引き延ばして苦しめ、労働者を追い出す執行はこのよ うに迅速で正確だ。

奪われた労働者たちの『家』

今回の『執行』で家を奪われたのは、解雇者だけではない。コルトコルテック 労働者の解雇闘争は、労働運動の中でも例がない程、文化芸術家との粘り強い 連帯を誇ってきた。ギターという特別な品物を生産する彼らの労働が芸術労働 者に特別なものに感じられたからだ。ミュージシャンは自分が演奏する美しい ギターがこうした苦しい労働者の人生を抱いているとは知らなかった。彼らは 楽器の消費者ではなく、ギターという楽器を通じて生活し、夢を見る人間とし て、労働者と連帯し始めた。

文化芸術家の連帯は、廃虚になった空の工場に労働者がテントを張り『工場暮 らし』を始めると、さらに広がり、深くなった。ミュージシャンばかりでなく、 彫刻家、画家、設置美術家、版画家、大工、針仕事専門家、石鹸専門家など、 あらゆる芸術労働者が集まって、この工場を新しく変え始めた。ある日行って みると、大きなギターができていて、ある日は工場の壁が色とりどりの絵で覆 われていた。テントとコンクリートだけだった工場、屑鉄とゴミが転がってい た広場は、不思議にもその姿は同じなのに変わって行った。誰もが一緒になり 絵を描き、針仕事をして、石鹸を作って売った。昼間にはコルベン(訳注:コル ト・コルテック労働者によるバンド)の練習室にもなり、水曜文化祭が開かれる 夜には素敵なコンサート会場になり、屋台を開く日には夜通し酒を飲むお客さ んのおしゃべりが続いた。

解雇者の座り込みの拠点だった工場は、多くの人々が一緒に暮らし始めたこと で、ますます家になり、労働者たちはまた笑い始めた。解雇される前の暮らし を持ってきてくれる場所、それで彼らはここを『コルトコルテック労働者の家』 と呼ぶ。文字通り、解雇者と文化労働者みんなが食べて、眠って、働いて、遊 んで、休む所だからだ。前日の夜も笑いながら挨拶して出てきたわが家から、 労働者たちが追い出されたという知らせを聞いて駆け付けた派遣美術家チョン・ ジンギョン氏はこの光景に茫然自失とした。

「私は素朴に、警察と用役は夜になれば出て行って、また工場に入れると思い ました。なぜ出て行かないの? 本当に私たちは追い出されたの? その時から、 そんな感じがして苦しいです。私は自分の作業室がかなり好きだったんです。 時々、ここは座込場という感じがしません。わが家に来たなあ、私が一番安ら げる空間に来たなあ、そんな感じがしてこの空間がとても好きで、夜に一人で 踊ったりします。解雇者のおじさんたちが遊びにくれば、ある時は面倒で、ど うである時はとても楽しくて、ただ人が楽しく暮らす方式でここで住みました。 灯りを消しても、どこに何があって、私がその空間をどう使って、明日の朝、 暖炉の煉炭を取り替えなければならないといったものがある所なのに、こうし て外で向こうの警官を見ていると、とてもいらいらします。昨夜も『また明日』 と言って出てきたのに...」

彼女は土曜の夜、集会の時に塀をのり越えて何とか工場の中に入った。工場の あちこちの作品が夜にどうなったのか不安だったためだ。外から見ても用役が 壊した食堂と、あちこちに火をおこすために壊して焼かれた痕跡がそのまま見 えた。中の状況はさらにみじめだった。作家が何日もかけて展示までしたすべ ての作品がゴミの山になった。焚きつけにされた作品もある。スクワットとい う占拠芸術行動で連帯し、「富平区葛山洞421-1」という題で展示会まで開いた 生気あふれる空間だった。用役と警官の目にはそう見えなくても、そこに意味 なく転がっている物は一つもない。使い捨てられた労働者にとって、また生活 の意味を見つけるために始めた戦いなので、工場の中の全ての物は、ゴミ一つ に至るまで、すべて重要で大切な存在だ。彼らにとって、片づけて捨てるべき ものは、私たちにとっては抱きあって一緒に暮らすべきものだからだ。それが 資本家と私たちが違う点だ。チョン・ジンギョン氏はまた力説する。

「同僚の作家たちや、この問題が自分の問題である人々が集まって話をしまし た。再奪還を目標にここで一緒に座り込みをしました。私たちにとって再奪還 はとても当然のことです。私にとって自分の人生でとても幸せで重要なことが、 あそこであったし、昨日までそれが続いたのですから絶対です。またその時間 を作りたいのです。私だけでなく、座り込みをしているおじさんたちももちろ ん、ここに自分のある部分を結びつけて暮らしてきた人間にとって、あそこは ただの捨てられた工場ではありません。捨てられた工場、閉鎖された工場、誰 かに買われた工場、そんな所ではありません。これほど簡単に警察がきて、防い で、用役が陣取っていても、簡単に終わらせられるようなものではありません」。

[出処:ニュースセル]

人生は分離できない

金曜の朝、工場から追い出された後、衝突が続いた。コルト支会のバン・ジョ ンウン支会長は頭を切り、コルテック支会のイ・イングン支会長は肋骨を折っ た。イ・イングン支会長は「腐りきった奴らの法のおかげで憤りが爆発する」 と言う。告知もなく、戒告状も全くなく、どんな執行をするという説明もせず、 荷物捨てるように人を投げ捨てる執行が果たして法なのか、それが人を人と思 う執行なのかと尋ねる。不当解雇の判決があっても、また解雇すればそれまで というような法が、果たして誰のための法なのか、資本家の財産権を労働者の 生存権より大切にする大韓民国の司法府は、労働者だけにはいつも苛酷だ。

工場の門の前に張ろうとしたテントは警察につぶられ、結局道の反対側に臨時 にテント二棟を張った。着るものも持たずに追い出され、何もなかった。警察 は工場の表門と裏門、塀も完全にふさいだ。労働者たちは鉄条網に貼りついて 『家を返せ』と叫ぶと引き離された。一部は塀を越えて工場に入った。土曜の 午後、小競合いの末に入った工場の中は、たった一日で昨日とは完全に違って いた。用役が壊して焼いた痕跡を見る解雇者の顔がこわばった。自分たちの作 品がめちゃくちゃに壊されたことを確認した作家も同じだった。代執行が決定 したのはテントと食堂だが、用役は占領軍のように工場のすべてを壊した。 「こうしてまで私達を追い出しすのか」という抗議と嘆きが続いた。元に戻せ ない状況に、ただ悔しがるだけだった。

解雇者と数年間、共に戦っている人権活動家のランヒ氏にとっても、ここはも うひとつの家だった。実際に暮らしている家より、あるいはずっと長い時間を ここで彼女は過ごした。

「私は人権活動家である前に、入居者のひとりです。ペンキも塗り、コーヒー メーカーも持ってきて沸かして飲んだ家なのに、憤りで死にそうです。われわ れはこれまでずっと話してきました。この工場は果たして誰のものなのかと。 この工場が存在できたのは、30年、40年、ここで働いてきた労働者のためでも あり、ギターを購入した人々、そのギターで音楽をしてギターを愛した人々が いるからでしょう。労働を通じて人生を作り、未来を夢見てきたのに、ある日 突然、この工場は社長のものだ、あるいは新しい所有主のカン某のものだから 出て行けというのが本当に常識なのか、そんな気がするんです。

この工場で私達は歌ったり、模型ですがギターも作り、石鹸も作って一緒にし てきました。それで『コルトコルテック労働者の家』と呼んだのです。それら すべての人のものでもある空間を、一瞬で平然と剥奪されたことが一番悲しい のです。果たして法的な所有者だけが工場の主人なのでしょうか? この問題は コルトだけでなく、すべての工場に投げる問いです。果たして工場の主人は誰 なのか、この工場は誰のものなのか、そんな質問が人々に絶えず投げられれば と思います」。

彼らがここを離れない理由は、まさにそのためだ。労働者たちは関係を分離す ることができない。家族よりさらに長い時間を過ごす同僚と話をして、笑って、 泣いて、一日一日を続けてきた生活の一部であり、全てのところ。彼らにとっ て工場とは、単に金を稼ぐために行く建物ではない。パク・ヨンホ社長はそれ を知らない。関係というものの意味を。彼らにとって、工場は値段が決められ ててい、売り買いすることができる財産目録でしかないが、労働者にとって、 工場は労働する家だ。家はまさに暮らしで、人生は労働と分離できない。人生 には境界がないからだ。工場を売って、区画を引き、それを分割し、ここまで は倉庫、ここまでは充電所に使い、そこでいくらの利益を上げるといった計算 はできないからだ。その計算で生きる人々は、職場であり人生の場所だった所 に警察と委託警備が陣取って、物を壊し、唾を吐き、悪口を言い、物を燃やす 場面を金網の反対側から眺める気持ちを知るはずもない。昨夜までふとんをか ぶって寝ていた場が消えてしまった当惑もわかるはずがない。彼らの計算では 労働者さえ人ではなく機械の一部だからだ。だから彼らは何事もなく壊し、追 い出す。

工場は誰のものか

私はパク・ヨンホ社長に聞きたい。
100億以上の利益を稼ぎ出してくれた 労働者に適切な賃金、安全な職場、家族と仲良く平凡な人生を認めること、 彼らの労働による利益の百分一にもならない金を使うことが、あなたには それほど容認できないことなのか?

ただギターを作るために、石鹸を作り、味噌、唐辛子みそを作り、木を削り、 ギター作る真似でもしなければくらせないような人に、人間としての憐憫の 一つも見せられないのか?

あなたの目には彼らが虫に見えるのか? だからこれほど乱暴に捨て、踏みにじ るのか? あなたと同じように妻がいて、子供たちがいて、一緒に暮らす家族が いるのに、食べて、寝て、笑って、泣く彼らは、人ではないのか?

あなたが雇った用役に追い出され、注文を受けた石鹸百セットをどうすればい いのかと頭を抱え、石鹸を売ってやっと買った135万ウォンのアンプが壊された のではないかと心配する貧しい彼らがバカに見えるのか?

こんな状況でも韓進や起亜に行けなくて申し訳なく思う人々は、あなたが一生、 貪欲に稼いだ金塊りより大切な人たちだ。人のために一度でも泣いたことのない あなたには分かるわけがないが。

工場を占拠した用役は、工場の塀をフェンスで取り囲もうとしている。労働者 たちがまた入れないようにするためだ。土曜の午後に入った解雇者の一部と文 化労働者、連帯する活動家たちは、これ以上、家を壊させないように出ずに頑 張って戦っている。日曜の夜に開かれたキャンドル文化祭は、鉄条網を挟んで 離散家族になって行った。工場の中の人たちは鉄条網に張り付いてキャンドル を持った。雪が降った。

2月の初日からまた戦いが始まった。奪われた労働者の家を取り戻す戦い、人生 と労働を続けるための戦いだ。勝つ自信はないが、負けない自信はある。彼ら とわれわれは、生き方が違うからだ。

彼らは壊す。われわれは崩す。彼らは持つ。われわれは分ける。彼らは閉じる。 われわれは開く。彼らは殺し、われわれは生きていく。また工場を開いてギター を作るまで、われわれは戦い続けて生きていく。とにかく、われわれは負けない。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2013-02-05 02:17:17 / Last modified on 2013-02-05 02:17:18 Copyright: Default

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