荒唐無稽な国体イデオロギーを信じ込んでいる麻生ら「日本ナショナリスト」たち(その2) | |||||||
Menu
おしらせ
・2024総会(報告) ・レイバーネットTV(5/15) ・あるくラジオ(4/20) ・川柳班(6/4) ・ブッククラブ(6/8) ・シネクラブ(6/15) ・ねりまの会(4/17) ・フィールドワーク(5/31) ・三多摩レイバー映画祭(6/2) ・レイバーネット動画 ●「太田昌国のコラム」第89回(2024/4/10) ●〔週刊 本の発見〕第344回(2024/5/2) ●「根津公子の都教委傍聴記」(2024/4/24) ●川柳「笑い茸」NO.153(2024/4/26) ●フランス発・グローバルニュース第8回(2024/4/20) ●「飛幡祐規 パリの窓から」89回(2023/12/31) ★カンパのお願い ■メディア系サイト 原子力資料情報室・たんぽぽ舎・岩上チャンネル(IWJ)・福島事故緊急会議・OurPlanet-TV・経産省前テントひろば・フクロウFoEチャンネル・田中龍作ジャーナル・UPLAN動画・NO HATE TV・なにぬねノンちゃんねる・市民メディア放送局・ニュース打破配信プロジェクト・デモクラシータイムス・The Interschool Journal・湯本雅典HP・アリの一言・デモリサTV・ボトムアップCH・共同テーブル・反貧困ネットワーク・JAL青空チャンネル・川島進ch・独立言論フォーラム・ポリタスTV・choose life project・一月万冊・ArcTimes・ちきゅう座・総がかり行動・市民連合
|
投稿 : 高井弘之【荒唐無稽な国体イデオロギーを信じ込んでいる麻生ら「日本ナショナリスト」たち】(その2) 「日本」なるものを、自らの拠り所とする――あるいは、拠り所とでき、誇れ、賛美すべき「実体」と見做したい麻生ら日本ナショナリストたち。 しかし、その「日本」なるものは、彼らの頭のなかに存在する「観念」に過ぎない。「日本」なるものに実体を与えているかに見える、彼らが大好きな「日本の伝統と文化」なるものも、もともと何ら実体のない「観念」であり、フィクションに過ぎない。 以下、参考までに、拙著より。 ///////////////////////// 「日本の伝統と文化」を捏造・強要した明治国家 <創られた伝統> ・・・私たちが日常、「日本の伝統と文化」であると思っていたり、メディアや出版物などで「日本の伝統と文化」であるように言われたりするものの中には、初詣・神前結婚式・日本画等々、明治近代以降―大日本帝国時代に新たに創り出されたり、創り直されたりしたものがとても多い。このような、近代ナショナリズムの勃興期に新たに「伝統」を創り出す行為は「伝統の発明」と呼ばれ、その「伝統」は「創られた伝統」などと呼ばれていることは既に述べたとおりである。 日本国家によって列島民衆統合の核―中心に据えられた明治天皇も、江戸期までの伝統であった公家型・「女性的」天子から、欧州皇帝・大元帥型天皇に、新たに、設計的に創り変えられたものであった。 ところで、この「日本の伝統と文化」なるものは、そもそも、何がそれに該当するのか、そのリストや基準・定義が存在するわけではない。また、「日本の伝統と文化」なるものが、はっきりとした実体として存在しているわけでもない。近代日本国家の成立・「発展」以前の日本列島に存在していたのは、各地・各社会層・各身分層などにおける、(それぞれの間に大きな差異のある)それぞれの「伝統や文化」であって、それらは、決して、「日本の伝統と文化」として存在していたわけではない。 <「日本文化」という虚構> 「日本の伝統と文化」なる言葉・概念が呼び出され、創り出されるのは、たとえば、「フランスの伝統と文化」「ドイツの伝統と文化」などという形で「国民文化」なるものを立ち上げていくのと同様、近代国民国家・国民を創り出していくナショナリズムの作動の中においてである。それぞれ違った伝統と文化の中に住む人々を囲い込み、他の国民国家とは違う形での、均一・同質なひと塊の「国民」として創りあげていくための「国民創出装置」として、そのような「伝統と文化」が必要とされた―されるのである。 そのため、まず、「日本」という近代国民国家が立ち上げられることによって、はじめて「日本文化」などの言葉―概念が生まれ、次に、そこに向かって、個々の具体的文化・慣習などが呼び出され、そこに収められていくのであって、その逆ではない。 このことは、たとえば、「日本の自然」などという言葉の実体―実態について考えてみるとわかりやすいかも知れない。列島の自然は、周知の如く各地域でずいぶんと違い、さまざまである。この中には、その実態が大きくかけ離れている沖縄と北海道も含まれている(もちろん、沖縄と北海道においても、その各地域で違いがある)。 たとえば、沖縄の自然の実態は、「日本」の北海道よりも、「日本」の外にある台湾の方に近いだろうし、北海道ならば、「日本」の外にありながら日本に近接しているところのロシアの自然により近いだろう。しかし、「日本」という言葉―観念を立ち上げることによって、その沖縄も北海道も、同じ「日本の自然」ということになる―されるのである。 つまり、「日本の自然」などという言葉は、ただ、「日本」を立ち上げるために、「日本」にとってのみ必要な用法であって、そこに収斂されていく自然の側から見れば、何ら意味もなく、また、その実態を表現できる言葉などではない。 むろん、人間がつくった人為的境界に規定されるところのある文化や伝統と、そうではない自然とを同列に扱うことはできないが、「日本」という大文字をその先頭に付けることで生ずるその「からくり」には共通しているところがあるだろう。 たとえば、「日本文学」・「日本美術」なども、明治日本国家成立以前に、それがそのような性格―位置づけのものとして、この列島に存在していたのではない。 たとえば、列島のさまざまな地域の人々によって、さまざまな時代に表現されていた(決して日本美術として存在していたのではない)個々の「美術的」作品は、「日本美術館」に一斉陳列されることによって「日本美術」に属する一作品となり、同じく列島のさまざまな言語表現作品が「日本文学史」として編まれることによって、「日本文学」という一ジャンルが実体化されていくのである。 つまり、「日本(の)文化」とは、そのような「からくり」で創られていく、もともとは、何ら実体のない、いわばフィクションとしての言葉―概念である。 それは、「日本」という名がつく「日本思想」や「日本精神」なども同様である。参考までに、それぞれのタイトルがつく論稿でありながら、それが実体(=それ自体として存在しているもの)としては存在していないことを論者自らが吐露している一節を紹介しておきたい。 「日本思想なるものがどこかにすでに存在しているというわけではない。あるいはまた、日本思想史なるものが、すでに形成されているというわけでもない。日本思想とは何か、日本思想史とは何か、ということを絶えず問い、不断に検証してゆく作業のなかにおいてのみ、それは存在する」(加地伸行『中国思想からみた日本思想史研究』、1985年) つまり、「日本思想」なるものが、あらかじめ実体として存在しているのではなく、「日本思想」という言葉や問いが、(それの存在しないところに)まず、初めに発せられるのである。しかし、次の一節のように、もともと、「日本思想」や「日本精神」なるものは存在していないので、それを問えば問うほど、それが何なのかわからなくなる、というのである。 「日本精神という言葉は目下の流行語の一つである。しかし、それが何を意味しているのかということは、あまり明白ではないように思われる。人が日本精神とは何であるかを問わなければ、それは誰にでもわかっている。しかし一度問いはじめるとだんだんわからなくなってくる。ついには誰にもわかっていないということがわかって来そうに思える。少なくともこの問題についてここに何かを書かされる自分は、実のところよくはわかっていないのである。」(和辻哲郎『日本精神』、1934年) つまり、「日本の伝統」とか「日本の文化」なる言葉―概念は、もともと実体のないものでありながら、まるで実体のある装いで、列島住民に、日本人意識と日本人としての誇りを植え付ける極めてナショナルな言説装置であり、人民の「国民化」のためのイデオロギー装置―ナショナルアイデンティティー醸成装置とでも呼ぶべきものなのである。〔注1〕 〔注1〕 ・・・・・・・・・・・・・・ 一九三一(昭和六)年ごろから日本独自の精神という意味で、「日本精神」という言葉が広がった。文部省もこの言葉を位置づけ、一九三六年に日本諸学振興委員会を設置し、日本精神の研究を課題とした。この日本精神を説明するには、日本の伝統文化や古典を挙げて論証する必要があるために、学術研究をすすめると、伝統文化が海外起源であるという結論を日本諸学振興委員会で発表するという事例が多発した。(高橋陽一『教育勅語の構造』/岩波出版『教育勅語と日本社会』所収) (『礼賛される「日本150年」とは、実は、何か―日本ナショナリズムの解体と新たな列島社会の形成に向けて―』より抜粋) Created by staff01. Last modified on 2020-01-18 18:39:36 Copyright: Default |