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復興五輪前の双葉町を行く〜タバコ畑はフレコンの仮置き場に

    堀切さとみ

 福島第一原発周辺地域のうち、最も放射線量が高かった帰還困難区域の一部が、もうすぐ避難指示解除になる。3月4日に双葉駅周辺が避難解除されることによって、双葉町にも聖火ランナーが通ることになるのだが、嬉しいという町民の声を私は聞いたことがない。五輪開催に間に合わせるための準備が着々と進む、福島県双葉町の現状を取材した。

 双葉町は今も96%が帰還困難区域だ。申請しなければ立ち入ることができない。2月8日、田中信一さん(69/写真)の一時帰宅に同行させてもらう。といっても田中さんには、帰宅すべき我が家はもうない。家も土地も畑もすべて国に売却し、お墓も現在暮らす郡山市に移した。双葉に帰る理由は何もなくなったが「ちゃんと記録してもらいたい」という一念で、一時帰宅のため申請をしてくれたのだ。

 郡山駅から双葉町まで、車でおよそ一時間半。国道288号線沿いには除染した土の入ったフレコンバックが、まだ至る所に積まれていた。除染した後は、山から掘った砂を入れているのだと田中さんは言う。「山の放射線量は高いんじゃないですか?」と私が聞くと「この辺の山は砂だから掘りやすいんだ」とトンチンカンな返事。

 田村市を抜け大熊町に入る。線量計は、0・05マイクロSv/hから1・45マイクロSv/hへ。ちなみに、一般の人が年間に浴びていい放射線量は1ミリSvで、1時間に換算すると0・114マイクロSvだ。
 双葉町に入ると、巨大な白い建物が姿を現す。建設中の骨組み段階のものもあって、一見ショッピングモールのようにも見えるが、これらは中間貯蔵施設だ。福島第一原発から出る汚染水を貯めているタンクも千個ある。

 ここには2600人の地権者がいて、田中さんはいち早く、自分の土地を中間施設のために売った。「誰かが犠牲になんねばしょうがないべ」
 田中さんはタバコ農家を営んでいた。四世代十人の大家族。自ら選びぬいた木で建てた我が家は、福島第一原発から喫緊の距離、細谷部落にあった。家と畑、山を合わせると4ヘクタールある。「これだけの広さがあれば、国はずいぶん助かるっぺ」。タバコ畑は田中さんが売った瞬間にフレコンバックの仮置き場になった。家は去年7月に壊され、更地になった。いつか来るものと覚悟はしていたが、解体されるその日、田中さんは現場には行かなかったという。以来「もうここは自分の土地ではねえだから」と言い聞かせてきた。

 「野外ステージみてえだ」。田中さんの家があった場所には、巨大な鉄骨の骨組みが出来ていた。フレコンバックの中身を焼却した後の灰を入れる建物になるそうだ。
 我が家の写真の入ったタブレットを見せながら、どこに何があったか説明してくれた。そうすることで、自分の記憶の中に刻み込んでいるようだった。「何代もかけて作ったものを、たまたま自分の代でこんなことになっちまって。津波で亡くなった人もいることを思えば、ナァ。こっちはモノがなくなるだけだから、ヨシとしなければ」。

 細谷部落が大事にしてきた羽山神社。少年時代、ここで盆踊りをしたのが懐かしい思い出だ。せめてここだけはそのままにしてほしいという細谷住民の願いによって、祠や鳥居は再建され、石碑も立てられた。ここから細谷部落が一望できる。福島第一原発5号機6号機が間近にみえ、その右後方に1号機から4号機も。撤去作業にてこずっている排気塔もはっきり見える。原発は細谷の人たちにとって見慣れた風景だった。原発以外は一面緑色だったが、今は白や灰色に塗り替えられてしまった。この場所の放射線量は3.8マイクロSv/hと高かった。

 田中さんの家の跡地から少し歩く。ダンプの音に会話がかき消される。今日は土曜だからまだいいほうで、平日はこんなものではないらしい。
 コンクリートで出来た大きなプール。フレコンバックの中身を分別し、きれいな土を溜めているのだという。「きれいっていうのは、木や根っこを取り除いたっていう意味。線量はあるゾ。放射能って言わなきゃわかんねえべ」。この土が、全国の公共事業に使われていくのだ。
 周囲には「美しい福島をとりもどせ」と書かれた横断幕が目立つ。「取り戻してねえべ。壊してんだべ」と田中さん。そして言い直す。「ここを犠牲にして、取り戻すんだべ。誰かが犠牲になんなきゃ仕方ないって。そういう意味だとオレは思うよ」

 双葉駅は工事の真っ只中だった。からくり時計がある可愛らしい駅舎が、どこにでもあるJRの駅に変わろうとしていた。常磐線は9年ぶりに全線開通になるのだ。駅前にある小さなお店はそのまま。高校生がタバコを吸うのを大目にみてやったのよと目を細めていたこの店の主は、今も埼玉県で避難生活を続けている。
 この駅前を聖火ランナーが走るのだろう。「双葉の人にとっては嬉しいことですか?」と聞くと、田中さんは言った。「こうなることは最初からわかってた。一応は復興五輪だから。双葉町だけ通さないってわけにいかねえんだべ」
 中間貯蔵施設の北西から一キロしか離れていない双葉駅。一か月後、そこだけが華やかなセレモニー会場になる。


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