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 第49回・2018年8月19日掲載

マクロン政権の症候、ベナラ事件


 *ベナラ事件を報道する新聞

 フランスではこの春、社会運動(スト、デモ、大学封鎖)が盛り上がったが、マクロン政権はそれを無視・弾圧しつつ、国鉄改革などネオリベラルな法案や、難民・外国人規制を厳しくする法案を、次々と国会で採択していった。

 政府(大統領の側近や高級官僚など)が急スピードで作成し、与党「共和国前進LREM」議員に提出させる法案を、圧倒的多数の与党議員たちは、機械人形のごとく可決する。野党の修正案はすべて否決される。政府に服従した国民議会議長(緑の党からマクロンの党に鞍替えした日和見主義者)のもと、国会は昼夜、時には週末も返上して、超スピードの不条理な時間割で運営された。かくして十分な討論も経ず、ときには出席議員数が激減する深夜を狙って、重要な法案が可決(あるいは修正案が否決)された。過半数を占める与党議員席は、日中でも討議のあいだはやたら空席が目立つが、採決を告げるブザーがなると、待機していた与党議員が集まって指令どおりに票を投じる。これほど露骨に民主主義のパロディーが展開されたことは、フランス共和国始まって以来、初めてではないだろうか。

 第五共和政は大統領の権限が強すぎる政体だが、マクロンはその権力のさらなる強化を進めている。与党一人舞台の新国会が1年を経たこの7月、憲法改正を含む政治制度改革法案がかけられた。議員数を30%も減らし(秋に予定されている法案)、修正案の数も制限し、国会の議題に対する政府の権限(今でさえ政府主導が歴然)をさらに強めるなど、「絶対君主政」にますます近づくと野党から痛烈に批判されている内容である。マクロン政権は「より効率性・代表性が高く、責任ある政治」を掲げるが、まず効率を謳う企業経営者のネオリベラルなメンタリティが表れている。

 フランスの第五共和国憲法(1958年に制定)の修正はこれまで20回以上行なわれているが、その多くは国際条約やEUの規定、国内の法改正によって必要になったり、死刑廃止や環境憲章を書き込んだりするために行われた。また、憲法評議会の権限の強化や、一般市民によるレファレンダム(国民投票)提起の権利など、人権の尊重と民主主義を強化するための内容が多い。改正には国民投票、あるいは両院の議員五分の三以上の賛成を必要とするが、政治制度の改革を必要とする場合には憲法改正のための委員会をつくり、時間をかけて討議が行なわれるのが通例だった。マクロンの改革は、そうした公共性への配慮が全くない、まさに大統領とその側近による強権的な方法・内容である。

 ところが、着々と進められていたこの「大統領君主制」への道に「まった」をかけることになるかもしれない事件が、7月中旬すぎに起きた。5月1日メーデーの大規模なデモのあと、パリ5区のコントレスカルプ広場で機動隊を率先して若い男女に暴行を働いた人物が、マクロン大統領の警備責任者アレクサンドル・ベナラであったことを、7月18日にル・モンド紙が暴露し、その動画が大々的に流布されたのだ。同じ場面でもうひとり、与党LREMに雇われたヴァンサン・クラーズという人物も、同様に暴行を働いていた。また、この場面の別の動画から、二人が警察の腕章とトーキーウォーキー、拳銃を所持していたことや、暴行を加えた相手の逮捕を指導した様子も確認された。さらに8月に入って、この場面の三時間前に別の場所(植物園)で、ベナラとクラーズがデモ参加者を逮捕した様子を映した動画が公表された。

 警察に同行して「デモ見学」に行った大統領の側近が、警察官のふりをして暴力を働いた、という前代未聞のスキャンダルである。加えて、元老院と国民議会の調査委員会での聴取やメディアの調査によって、この事件にはいくつもの異常な事実が隠されていることがわかった。

 そもそも、ベナラの暴力沙汰を大統領官邸は隠蔽していたのだが、暴露された後にも官邸は虚偽の発表を行い、政府も大統領も責任ある対応を全く行なわなかったために、両院に調査委員会が設置された。元老院での関係者聴取は夏休み後にも続くが、国民議会では与党LREMの調査委員長が他の委員の要求を受け入れず、聴取の対象者を最低限に絞ったため、与党以外の議員は調査委員会を中途でボイコットした。そこで7月31日、野党の共和党(保守)と左翼3会派合同(社会党、ラ・フランス・アンスミーズ(屈服しないフランス)、共産党)はそれぞれ、内閣不信任案を提出した。双方とも過半数をとれないので可決されなかったが、この事件について説明の義務を怠っていたフィリップ首相を、ようやく国会での答弁に立たせた。

 大統領と首相をはじめマクロン政権は、この事件を単なる「個人の過失」だと主張するが、大統領官邸で「官房部長助役」という高い地位を与えられた26歳の人物が、警官を装って不当な暴力を働いたのに直ちに解雇されなかったこと自体、国家的な問題である。しかも、官邸には警察と憲兵隊双方の警備プロによる大統領護衛チームがあるが、ベナラはそれに属さない大統領の私的な警備係であることが明らかになった。

 また、ベナラはル・モンド紙の報道で身元がばれるや否や、事件が起きた広場に設置された監視ビデオのその場面の映像を警察から受け取り、そのCDを大統領官邸に提出した(監視ビデオの映像は通常1か月後に消去されるが、なぜか保存されていた)。ベナラに映像を渡した警察吏3人は処分を受けて起訴され、傷害と警察官の身分詐称の罪で起訴されたベナラも、ビデオの不当押収行為によって官邸から解雇されることになった。ベナラは広場の監視ビデオを自分の弁護に使おうと、警察とグルになって映像を入手したわけだ。

 しかし、この事実が明るみに出るまで、大統領官邸はベナラをかばおうとした。暴行事件のあと直ちにとられたという15日間の「停職処分」は偽りだった(その間もベナラは公式式典に同席し、給料も払われていた)ことが発覚し、また7月初めには、大統領官邸関係者用の高級住宅街の職員住居が彼に与えられたことも暴かれた。さらに、銃の所持許可や、パトカーと同様の回転警光灯と運転手つき乗用車、国民議会の議場に自由に出入りできるパスなど、さまざまな特権が与えられていた。

 ベナラは初め社会党の警備係だったが、2016年秋からの大統領選キャンペーンで候補者マクロンのガードマンになり、マクロン夫妻の信頼を得た。マクロン当選後に大統領官邸の「官房部長助役」に抜擢されたが、それは官報に記載されない「任務担当官」という非公式で曖昧な地位であり、通常の顧問以上の特権を得ていたことから、公の制度とは別の私的警備システム(秘密警察のような)をマクロンが組織したのではないかという疑いがもたれる。歴史上でもドゴール以来、大統領の「私的密偵」の存在は何度も指摘されてきた。コントロールを受けない権力の集中は、法からの逸脱をよぶものなのである。

 両院での調査委員会は、大統領側近の警官なりすまし暴行という異常事態がなぜ、どのように起きたか、責任と過失の所在を追及するために設置された。しかし、コロン内務大臣やパリ警視総監、大統領府官房長官などはみな、何も知らなかったと責任逃れをした。複数の証言に食い違いやがあり、司法の捜査や今後の元老院調査委員会によって、虚偽発言はいくらかは明るみに出るだろう。そして、事実が鮮明にならなくても、過失をすぐに認めなかった大統領以下政権の態度は、マクロンの政治的な失態として尾を引くだろう。

 数日間無言だったマクロンは7月24日、与党と閣僚だけ参加した内輪の会で、「責任はすべて自分にある、文句があるなら捕まえにこい」と挑発した。大統領は殺人でも犯さないかぎり刑に問われない特権をもち、国会の調査委員会にも呼び出せないため、この発言は無責任の極致である。何より驚くべきは、警察官を装って見せしめのような暴力をふるった人物を、大統領府官房長官(Secrétaire Général)や官邸官房局長(Directeur du Cabinet)は調査委員会で、「彼は有能で皆から評判がよかった」などと擁護したのだ。ちんぴら然の振る舞いをした人物を国家権力の中枢に雇った責任を、誰も微塵も感じていないことが露呈された。

 一方、元老院で聴取された警察の組合幹部などは、「ベナラ事件は警察のイメージをぶち壊した」と怒り、従来の大統領の警備体制に介入・干渉しようとする民間ガードマンの存在を批判した。大統領警備の「私有化・民営化」についての指摘は的を射ているが、正規の警官ならベナラのような行為はしないという含みは、必ずしもあてはまらない。というのも、警官を装って暴力を働いたベナラは皮肉にも、デモの際に警察など治安部隊が市民に対して、不当な暴力を頻繁にふるっている現状を示したといえるからだ。

 このコラムで既に何度か述べたが、デモや環境関係反対運動の参加者に対するフランスの治安部隊(警察、機動隊、憲兵)の暴力行使は、近年(とりわけ2015年の「緊急事態」令発布以来)エスカレートした。そして、移民系の若者に対する警察の逸脱した暴力事件と同様、重傷者や時には死者も出している。このベナラのビデオは5月1日の晩、現場で撮影した若者が早速ネットに投稿して、左派のSNSで反響をよんだ。しかし、機動隊によるデモ参加者への不当な暴力沙汰はかなり日常茶飯事になっているせいか、ニュースにならなかった。

 事実、警察の監察局が数日後に問題のビデオを見ているが、「テクニックは不適応だが過剰な対応ではない」と判断され、それ以上調査が行なわれなかったのである。つまり、もしベナラが警官だったらこの暴力事件を誰も問題にしなかったわけで、ベナラ事件は治安部隊による暴力の「平凡化」を示している、と経済学者・哲学者のフレデリック・ロルドンは分析する。そして、ネオリベラル政策を進める政権のもとで、社会運動に対する弾圧がエスカレートした(オランド政権〜マクロン政権)と告発する。政権は、市民に恐怖を与えるために過剰な暴力を行使し、異なる意見の市民のデモの権利を脅しているというのだ。ロルドンはさらに、ネオリベラル政治は実は、極右を内包していると主張する。 https://blog.mondediplo.net/benalla-et-l-arc-d-extreme-droite

 難民の受け入れを拒否するようになったイタリアの政権を批判する一方で、地中海で難民を救命した船のフランスへの寄港を許可せず、難民受け入れ規制を強化したマクロンの語る「人道」が、口先にすぎないのはたしかだ。ベナラ事件の勃発により、国会の憲法改正法案(政治制度改革法案)の討議は延期になったが、8月1日、難民を最高90日間も収容できる非人道的な法案は可決されてしまった。

 ベナラ事件をとおして、マクロン政権の「大統領君主制」的な性格はあらわに示されたといえるだろう。ベナラという「症候」によって、国家を民間企業のように考えて運営することの危険さ、何よりマクロンが民主主義や共和制(レス・プブリカ)という政治の精神にまったく疎い人物であることが露呈された。「屈服しないフランス」が主張するように、公益・公法(レス・プブリカ)をとり戻す民主的な新しい政体(憲法)、第六共和政の必要性を痛感する。

2018年8月17日 飛幡祐規(たかはたゆうき)


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