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危険な「大学入試共通テスト」−「激動の時代」への対応能力を欠く安倍政権

    塚田正治(「教育産業」関係者)

今年も1月13・14日に大学入試センター試験が行われるが、昨年12月4日、2021年からそれに代わって導入される「大学入試共通テスト」(以下、「共通テスト」)の試行調査問題・正答などが大学入試センターから公表された(こちらから問題・正答に移行可能→ http://www.dnc.ac.jp/corporation/daigakunyugakukibousyagakuryokuhyoka_test/pre-test_h29_01.html)。筆者は自分が担当することが多い国語・日本史について、主な新機軸とされる記述問題、資料を読ませる問題を解いてみた(各第1問)。関係者は「(激動のグローバル時代を乗り切るという)改革の本質を捉えた問題」(安西祐一郎・前中央教育審議会長。12月10日付『朝日新聞』朝刊。37面)とするが、内容はそれに程遠く、むしろ受験生・保護者にとっては危険な内容と言える。なお、以下の記事は基本的に12月5日付『朝日新聞』朝刊の報道に基づいている。

・「新手の暗記物」−問われるのは膨大な問題・出題文・資料を頭に叩き込む力−

 国語の記述問題は、すでに指摘があるように基本的には「文章中の語句を組み合わせる形」(南風原朝和・東大教授。前述12月10日付『朝日新聞』)の正答になっている。例えば問1は提示された「南原高等学校 生徒会部活動規約」の中の

第12条 部の新設は、同好会として3年以上活動していることを条件とする

第13条 条件を満たし、部として新設を希望する同好会は、当該年度の4月第2週までに、所定の様式に必要事項を記入し、生徒会部活動委員会に提出することとする。(後略)

ゴチック部を字数に収まるように組み合わせればよい(正答参照→http://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00011249.pdf&n=01_%E5%9B%BD%E8%AA%9E.pdf)。日本史も基本的に同様である。つまり、基本的には出題の主旨を踏まえ、資料中から「正答」の根拠を発見し、記述問題の場合には指定時数以内に収めれば正解できるということになる。

 しかし、問題になるのは資料(国語の場合は文章も含む)が膨大ということである。国語の場合は、A4判で5ページに及び、日本史も資料問題全体で5枚の資料に目を通さねばならない。しかも問題の主旨や条件(指定字数など)も頭に入れる必要がある。現在のセンター試験でも国語などでは出題文・問題・選択肢などで読まねばならない文字数が多く「時間不足」に陥る受験生が珍しくない。より難易度が高いとされる「共通テスト」では非常に高い集中力を要求されるのは疑いない。

 今回の試行問題の作成主体である大杉住子・大学入試センター審議役は「思考力・判断力・表現力を問うことを重視した」とする。しかし、上記の点からすればこのテストで問われるのは、まず以て目を皿にして問題・出題文・資料などの字句を一字も漏らさず認識する(頭に叩き込む)能力である。勿論、それらの内容についての「理解力」や出題文・資料のどの部分が正答の根拠になるかという「判断力」は必要だが、それらは一般的な日本語の能力があれば十分、対応できる。答案を指定時数以内に収める能力に至っては「要領」の問題であって、「表現力」とは言えないであろう。一般的に想定する「考える力」が必要ないことは、上記の問題で言えば「部活動はいかにあるべきか」といった問題がなんら関係ないことに明らかである。『朝日』が懸念しているように(1面「視点」)、「正答」を出すための作業をこなす力は「情報処理力」と言うべきであり、後述の私立中学受験の指導経験からも、筆者の印象は「新手(あらて)の暗記物」というものである。

・競争激化必至―懸念される生徒の「自尊感情」−

 『朝日』でも「成績が二極分化する心配がある」(社説)と懸念が表明されているが、もっとはっきり言えば、私立校、特に中学出身の生徒は圧倒的に有利ではないかと思われる。私立では中学入試の段階から、資料はもちろん、大量の文字数を読ませる問題が出題されている。報道では公立高校の生徒が苦戦したことが伝えられているが、前述の「情報処理力」は低年齢から訓練を積んでいる生徒の方が発達しているはずで、私立の生徒は傾向に慣れれば対応できる可能性が高いと思われる。逆に言えば、私立に通わせる経済的余裕のない家庭の生徒にとっては、ますます不利になるということである。

 とはいえ私立中学の受験でもまさに「死闘」と言うべき状況が続いている。公立・私立問わず「淘汰」された生徒の「自尊感情」が心配される。

・「内面の評価」への転用の危険性

 記述問題が「愛国心」などの「強制」につながる「内面の支配」の有力な媒体となること、都立高の入試ではすでにこのような「強制」「支配」につながる問題が出題されていることは、すでに拙稿でお伝えしている(http://www.labornetjp.org/news/2017/0822tukada)。ただし、今回の問題については、少なくとも国語・日本史ではこのような「強制」「支配」につながる問題では出題されていない。。

 しかし、このような危険は記述問題では常に付きまとうのであり、自民党が「極右」化している現状では油断はできない。都立高入試では、前述の記述問題に加え、英語の「スピーチテスト」という「内面の評価」に転用可能なテストが検討されているが(https://www.asahi.com/articles/ASKDG3K15KDGUTIL00K.html)、「共通テスト」は、道徳強化科を定めた新指導要領の実施と連動しているのであり、「内面の支配」に転用される可能性は常に留意しておくべきであろう。

・「入試(問題)改革」で「教育改革」「社会改革」が可能か?−「激動の時代」への対応能力を欠く安倍政権−

 冒頭の安西祐一郎・前中央教育審議会長は「共通テスト」導入の狙いについて「入試改革ではなく、教育改革、社会改革です。」と述べている。現代では、言われたことを覚えるのではなく、「世界にあふれる情報の中で何が大事かを理解し、構造化して、明快に表現でき」る力が必要なためとされる。しかし、このテストがこのような「改革」につながらないのは、既述のように「情報処理力」が問われているに過ぎないことから明らかである。

 安西氏が述べる「力」が現代社会で必要なのは、他国の立場・歴史や「万一」の事態で犠牲になる「大衆」の状況を十分踏まえず、「自分ファースト」な言動を繰り返す米朝日の指導者を見れば明らかである。しかし、その「力」の育成は「入試改革」あるいは「入試問題改革」で可能であろうか。

 かかる「力」の育成に必要なのは、「情報処理力」以前に「世界」とその「構造」を多様な視点から豊かに認識する経験を積み重ねることであり、さらにそれ以前に自らの個性に従って「世界」を認識することであろう。失敗すれば就職で重いハンディを背負う(現代ではたやすく生存権の否定につながる)という重圧の下、採点者が定めた「正答」を答える入試というシステムがその場でないことは明らかであり、「内面の支配」はもちろんのこと競争激化もそれに逆行することは言うまでもない。安西氏の見解はナンセンスであろう。

 生徒を受験勉強に駆り立てる根本的原因が、既述のように就職の問題であることからすれば、本来、必要なのは生存権の保障であろう。厳しさを増す時代であるからこそ、「社会改革」とは「一人一人が安心して生きていける社会づくり」でなければならず、「教育改革」もその一環でなければならない。

 にもかかわらず、安倍政権は生活保護費を減額するという(https://www.asahi.com/articles/ASKDQ4VGMKDQUTFL00T.html)。「共通テスト」のような危険なテストを導入する一方で、かかる措置を強行していることは、この政権が「激動の時代」への対応能力を欠いている証左に他ならないであろう。


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