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社会変革を夢見て闘った若者たち〜ドキュメンタリー映画『三里塚のイカロス』

久下 格(元国労組合員)


 *(C)2017 三里塚のイカロス製作委員会

 代島治彦監督作品『三里塚のイカロス』を、封切りの9月9日、京都の片田舎から上京して渋谷のシアター・イメージフォーラムで見た。土曜日の午後、70席のミニシアターは満席になり、補助椅子が用意された。3分の2ほどは、あの時代を同時代に経験した世代と思われる男女だが、しゃれた服を着た若い人たちも結構たくさんいて、私は少し嬉しくなった。

 スクリーンの中で、加瀬勉さんがいきなり喋りはじめる。「俺たちは…、世の中は変わる。変えることができると思ったんだよ」。農民運動家として、三里塚闘争のはじめから今日までずっと闘い続けてきた人だ。80代半ばになる加瀬さんの自宅には、今も中国革命の指導者、周恩来の大きな写真がかかげられていることが、後半、インタビューの場面でわかる。そうだ、1949年の中国革命に続き、1975年にはベトナム革命が勝利したあの時代、私たちは、中国やベトナムに続き、この日本の地でも革命を起こそうとしていたのだ。

 67年10・8羽田闘争以来拡大したベトナム反戦闘争の高揚のなかで、闘いに加わった私たちの世代はみな、三里塚芝山の農民たちが、警察機動隊を投入した政府の暴力的な土地強奪に対して、己が身を鎖で立ち木に縛りつけ、鬼神の形相で闘う姿に心を打たれた。そして、労・農・学連帯の闘いこそが時代を切り開くことを確信して、空港反対闘争に全国から続々と結集した。

 1978年3月26日、私たちは、福田政権の3月30日強行開港に反対し、「開港阻止!」「空港包囲、突入、占拠!」をかかげて全国から結集して機動隊の阻止線と激しく衝突した。15人の突入部隊が管制塔に駆け登り、管制室を破壊して3・30強行開港は阻止された。しかし、その闘いの中で山形大生、新山幸男が死に、数百人の労働者、学生が逮捕されて長く監獄に閉じ込められることになる。福田政権は反撃に転じて5月20日には開港を強行し、この闘いを頂点として闘いは後退を余儀なくされていく。

 映画には、学生として三里塚闘争に参加し、援農のために入った農家で恋におち、農民の息子と結婚した女性たちが何人も出てくる。皆、今は移転に応じ、新しい土地で農業を営なんでいる人たちだ。なぜ、反対闘争に参加したのか、公団=政府に土地を売って移転することを、どのように納得したのか…。彼女たちは雄弁ではない。むしろ、言葉を選び、あるいは言葉を飲み込み、とつとつと語る彼女たちの語り口からは、語られない真実、語ることのできない真実、呑みこまれた、たくさんの「本当の言葉」のあることが、無言の中から浮かび上がるようにカメラは回る。なかでも、支援者としての立場を見失い、あくまでも「絶対反対」のスローガンを農民に押し付け、苦渋の中で移転に応じていった農民たちを、裏切り者、脱落者として糾弾するまでになった、北原派を支持する支援党派とのいさかいの多くを、彼女たちは語らずに飲み込んでいるように思えた。

 反対同盟は分裂し、熱田派を支持した第4インターナショナルのメンバーを、中核派が全国で襲撃して瀕死の重傷を負わせるまでになる。闘いの波は大きく引いて行った。

 太陽にまで登りつめることを願い、背に蝋でつけた羽を羽ばたかせて天空をめざしたイカロス。太陽の火に焼かれ、熱で溶け墜ちた羽をもがれ、まっっさかさまに地上に落ちたイカロス。前作『三里塚に生きる』で農民を描いた代島氏は、本作では、社会変革を夢見て三里塚闘争に参加した支援者たちに焦点をあてて映画を作った。…彼らは現代のイカロスだったのか。

 当時、第4インターナショナル日本支部に所属し、国鉄労働組合の中で活動していた私は、代島氏の問いに客観的に答えることはできない。私はイカロスなのか?

 私の考えをここで書くのはよそう。しかし、そのかわりに二人の登場人物について触れることにしよう。中川憲一氏と平田誠剛氏。どちらも管制塔に登りつめた突入部隊のメンバーで、8年間の長期投獄に耐えた人たちだ。私は二人を心から尊敬している。

 中川憲一氏は当時、プロレタリア青年同盟所属。「助っ人ですよ。俺たちは百姓を助けるために来た助っ人だった」と語る氏は、獄中にあった時も出獄したあとも、ずっと持ち前の明るさには陰りがない。自分たちの闘いは正義であったという心底からの信念が画面から伝わる。連れ合いとの長い別れ、そして再会の場面を私は涙を流しながら見た。

 平田誠剛氏は当時、第4インターナショナル日本支部所属。中核派からの襲撃で5人の仲間が瀕死の重傷を負わされたことを振り返って、「もし、(インターが)やり返していたら、最後のところで踏ん張っていた三里塚闘争が解体して、日本のそういう運動がどうしようもないところに行ってたんじゃないか…」と静かに語る。対立党派間の殺人にまで至る内ゲバの横行の中で、人々の共感や支持を解体していった新左翼運動の堕落の中でも、党派の利害を人々の利害の上に置くことなく、社会変革を民衆自身の闘いとして組織しようとした勢力のあったことを、平田氏は画面の中から教えてくれる。

 代島氏は「三里塚のイカロス」公式サイトの「製作者より」の欄に書いた文章の最後をこう締めくくっている。
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成田/三里塚の空港反対闘争で勝ったのは、国家と上手に和解し、高額の補償金を手にして移転した農民なのだろうか? 空港は建設されたのだから、国家が勝ったのだろうか? 農民を助けた“あの時代”の若者だけが負けたのだろうか? そこにあるのは勝ち負けなのだろうか? その答えを見つけるために、ぼくはこの映画を作った。
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 月並みだが、その答えは映画を見た一人一人が見つけ出さねばならない。三里塚闘争の高揚期を同時代として生きた世代にはもちろん、闘いを知らない若い世代にもぜひ見てほしいと思う。

 *東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映中。劇場情報のほか、予告編、解説、製作者より、などは下記サイトでご覧になれます。http://www.moviola.jp/sanrizuka_icarus/index.html


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