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News Item 0329saitama
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さいたまスーパーアリーナ(JRさいたま新都心駅)には、三月十七日から避難勧告を出された福島県民が集まっています。大館、双葉町を中心に、二千人以上の人たちが避難生活をし、多数のボランティアが来ている様子は、テレビでも大きく映し出されました。被災地ではなく、被災した人たちを一時的に受け入れる・・ということで、ボランティアもやりやすいのでしょう。

私は十八日にここで炊き出しの手伝いをしたのですが、支援のまとめ役になった社会福祉協議会の方の話によると「避難してきた人たちが何を求めているのか、これから調査してみないとわからない」とのこと。手探り状態で始まった支援活動だったのです。

家が津波で流されたわけでも、怪我をしたわけでもなく、見えない放射能から逃げてきた人々。慣れない埼玉という土地に突然移ってきてすでに十日が過ぎ、まもなく(今月三十一日には)退去しなくてはならない人たちが今、何を思っているのか、Sくんと話を聞いてきました。(レポート=江東拓美)

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●新聞を広げていたAさん(四十二歳・男性・独身)

「仕事は運送業で、地震にあった時は東京にいた。あわてて会社(双葉町)に戻ると、すでに町は閑散としていた。最初は双葉町から車で一時間ほどの川俣町に避難させられた。そのあとだね、埼玉に来たのは。双葉町の人間が、町長も含め、町ぐるみで集まっているから心強い。ここを出たら、加須市の廃校になった高校に移ることになっている。個々人で避難先にうつった人もいるが、自分としては大勢まとまってたほうがいい。これからの保障の問題とか、個人では言いにくいから。(テレビの大画面に、避難所作りの準備をしている加須市の高校の様子がうつったのをみて)。ここ(アリーナ)は都会だけど、加須市にうつったら、ボランティアなんて集まるのかな。たぶん田舎で人もいないだろうから、マスコミも取り上げなくなるし、自分たちのことは忘れられていくんだろう」

「双葉町で被爆検査は受けたよ(二枚の証明をみせてくれた。数値の記載はない簡単なもの)それから、埼玉にきてからもう一回受けた。受け入れてくれる人も大勢いるけど、‘邪魔だ‘と厄介者扱いする人もいると思うよ。でも、人はいろいろだから、気にしないようにしてる。ここへ来て驚いたのは、ボランティアが多いこと。これは、地震にあったことよりも驚いたね。もし自分が逆の立場だったら、支援しようと思えたかな・・」

「ここにいると、食べ物も不自由なくて、甘えてしまう。床は固いけど、マッサージしてくれる人もいるしね。気晴らしに外に出て呑みたいと思うこともあるけど、貯金と失業保険を食いつぶすのは嫌だから控えてる。自分はまだ働き盛りだから、仕事を見つけたいっていうのが一番、あるね。加須での仕事を斡旋してもらってる。(リストをみせてもらう)バイトと臨時だけだけどね。できれば正社員で働きたい。起こってしまったものはしょうがない。今は、これからどうするかを考えるのみだ。」

「双葉町では、原発で働いてた人、沢山いる。怖いという人もいた。でも自分にとって原発は、生まれたときからあるもので、当たり前のものだった。電力のためには原発はしょうがないと思う。でも、福島の人間より、東京のほうが恩恵受けてんだよな。地方への負担っていうのは感じるけど、誰かが負うしかない。」

●小学生の子どもと一緒にいた女性

「私は大館で生まれて、嫁いだあとは南相馬に住んでいます。原発はあぶないなんて、まったく思っていなかった。南相馬は双葉町と違って、避難区域でない人たちも大勢いますが、私は区域内だったのでここに来ました。でも、三十一日以降は、加須市に移れるのは双葉町の住民だけということなので、私は熊谷の体育館に避難することになっています。」

「仕事は看護士です。だから、熊谷で看護師の仕事を探すこともできると思う。でも避難解除が出たら、また福島の病院で働きたい。 一緒に仕事していた病院の同僚たちは、バラバラに避難しています。連絡は取り合っています。子どもたちがかわいそう。今、アリーナでは勉強を教えてくれるボランティアさんがいるので、そこでやってますが。熊谷の小学校に転校する手続きはしましたが、馴染めるかな。心配だからしばらく仕事はしないで、子どもたちの話を聞いてあげようと思う。」

「ここ(アリーナ)にいると、やることが何もない。館内の掃除とかも、全部ボランティアさんがやってくれる。気晴らしに外に出て、ヨーカドーとかで買い物したりすることはありますが。」

●夫婦で避難してきた男性(六十三歳)

「五十八まで、いわき市の大企業で組合やってて早期退職して、双葉町で親が作った田んぼをしてた。放射能の影響っていっても俺はもう年だから、ここにいたいって言ったんだ。孫と嫁は逃がしたけど。俺は動く気はなかった。最期まで双葉に残りたいっていうやつ、四人くらいいたけど、自衛隊、消防団が来て、ここにつれてこられた。強制退去だね。牛を飼ってたんだ。生きものたち残して・・つらかったと思うよ。」

「福島原発が建つ前、あそこは「塩田」だったんだ。そこを、どっかの偉い社長が買い取った。反対運動ゼロ。今、原子炉に海水入れてるでしょ、塩が出来るよね。皮肉だね。」

「事故起こしたら終わりだと思ってた。内部告発だって、いっぱいある。事故が起きて、東電社員のうち若い女性社員を、真っ先に川又町に避難させたらしい。でも、年とった社員がそのあと・・・召集令状だね。東電には見切りをつけた。復旧なんて見通しないじゃん。一、二年たったら戻れるって思ってる人もいるけど。野菜作ってもたたかれて・・・売れないジャン。政府が悪いって言う人いるけど、東電が一番わるい。こっち来てみても、計画停電っていっておいて消えなかったり、馬鹿にすんなって思う。これからが問題だ。おれは組合やってきた。原発なくせって、思ってたよ。」

(友人らしき人が通りかかり、「ここは監獄だな」という)

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ボランティアも支援物資も、打ち切られるくらいに沢山集まったアリーナ。ここでの仮住まいの居心地の良さに甘んじている人は、どれだけいるのだろう。誰もがこれから見知らぬ土地で、人生をやり直さなくてはならない。やりきれない思いが、これから先噴出していくと思います。津波や地震で被災した人たち。ボランティアの善意。メディアが殺到する話題の影で、この先忘れられていくであろう「避難者たち」の声を拾い上げていく必要があると、心から思います。


Created by staff01. Last modified on 2011-03-29 08:18:37 Copyright: Default

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